エピソード41 セフィラ解放
戻ってアインーー
(ヤッベぇ……)
なんでまた村人の暴動を煽るような話をし始めたのだろうか。
アフェクの言動に頭を抱えながら僕は彼の様子を見届けていた。
どう足掻いても、状況は進んでしまうのだ。彼が言った”ありがとう”という言葉を信じるしかない。
「皆に謝らなければならない。すまなかった」
アフェクは今度は村人たちに頭を下げた。
不思議と暴動は起きなかった。
命の危機が迫っていると言うのに、この状況に追い込んだのは自分だと自白していると言うのに、村人は静かにアフェクの言葉を待った。
それはきっと、先の彼が雷の如く放った言葉が効いていたのだ。
普段から祈りも捧げない者が、都合のいい時だけ神頼みーー
冷静になってみればその通りだ。筋が通らない。とんだ笑い話である。
「わたしの生まれ故郷は、北大陸にある小さな村だったーー」
みんなが聞いてくれている。そう感じたアフェクは、静かに語り出した。
「ここよりも狭く緑豊かではなかったが、愛する妻と娘、村人たちに囲まれた生活は穏やかだった……」
ぼんやりとだが、白銀の火から僕の脳裏に情景が映し出される。
木々などはないが、芝生が生い茂った広大な土地。少し冷んやりとする寒さにも負けずに畑を耕す村人たちの光景。
「ある日、徴兵に駆り出されたわたしは、別れを惜しむ妻たちに何も言ってやれなかった」
若い頃のアフェクが鎧を着込み、不安に見つめる母子に”行ってくる”とだけ告げる。
大好きな村だからこそ守りたいと強く誓うアフェクに反して、そばに居て欲しいと願う娘。
別れ際は、寂しいものであったに違いない。
「今思えば愚かだった。自分がこの村を守るのだと。その為に魔物の討伐に向かうのだと。しかし、その勇ましさは後悔に変わってしまった」
村に戻ると、焼け落ちた家々だけが残っていた。
魔物に襲われたのだと悟る。生き残っている者は誰一人なく、我が家に駆けつけた頃には、二人の遺体は雪のように冷たく横たわっていた。
「何も見えてなかったのだ。己の宝は身近にあったはずなのに」
いつしか抱いてしまった身の丈に合わない思い上がった望み。村を守る。国を守る。果ては世界ですらーー
空しか見ていなかったばかりに、足元にあるガラスの床が砕け散って奈落に堕ちる。アフェクが語る人生の歩みを、そのようなイメージとして灯火が映した。
「だからわたしはこうして信徒になった」
グラッド教。
それはかつてアフェクが口にしていた宗教。
「あらゆる物事を許してくれる慈愛の神がいる。妻が信じていた教えだ。しかし、本当に許して欲しかったのは神からでなく、亡くなった妻からでもなく、わたし自身からなのだ」
家族を失った日、何よりも許せなかったのはアフェク自身。
傲慢さが招いた結果であるなら、天罰が下るのは当然である。
しかし、それで己の気持ちが晴れる訳が無い。
許されたい、自分自身から。許せない、自分自身が。
自ら課した鎖が首を締め上げていき、苦しみもがいた矢先に辿り着いたのが、この長旅なのだ。
打ち続けてくる激しい雨は、他の誰でもないアフェクの落涙なのだと、この時はそう思った。
「各地を巡って何度も疑問に思った。なぜ神はこんな残酷な運命を課すのだと。恨むことすらあった……しかし、ここに来てようやく答えを見つけられたーー」
瞬間、頭の灯火の色に青みを帯び始めた。
「自らの罪を許すのは、自分しかいない。人の罪を裁くのは、同じ人でなくてはならない。窮地を打開するのは、結局のところ、手の届く我々でしかできないのだ」
その答えに、一人の老人が口を開いた。
「そんじゃ何か……神様は居らんということかの」
それでは、何の為に、誰に信仰心を捧げていると言うのだーー
老人の問いはもっともで、世界中の人々が形なきものを崇めている。
その否定に繋がりうるアフェクの答えに、村人中が息を呑んだ。
「ーー違う」
首を横に振って即答した。
「皆は思ったことがあるだろうか。日々の暮らしの中で、ほんの些細な願い。しかして自分ではどうしようもできない願いをーー」
ある者は、永遠の平穏を。
またある者は、叶わぬ恋の成就を。
過去の行いの愚かさを。他者に感じる息苦しさを。己の思いやりの無さを。履き違えてしまった怒りを。努力が報われぬ悔しさを。理不尽に対する恐怖を。
かけがえの無いもの失った時の悲しさを。願いが果たされなかった虚しさを。
痛みを。憂鬱をーー
「日々の中で、人は、時に親しき隣人同士では解決できない悩みが必ずある。それがいずれ人を善にも悪にも変えてしまうだろう。その為に心の拠り所として、人の在るべき指標として、神は存在するのだ」
青い灯火が、脈打つように小さく、だが徐々に大きく揺れていった。
アフェクは強い口調を崩さずに、続ける。
「我々は今、見失っているにすぎん。わたしも皆に謝罪してもし足りない愚行を犯した。しかし我々がすべきことは、神に祈ることでは無いはずだ!」
熱い演説だが、村人の表情は暗く、俯いたままだった。
なら、このまま魔物に食われるのを待つしか無いのか。村を破壊されるのを、ただ黙って見ているしか無いのかーー
もう下から獣の咆哮が聞こえてくる。もはや逃げる時間すらあるのか怪しい。否、もう手遅れだろう。
「案ずることはない。我々には、”我々”がついている!」
その言葉に、村人の俯いた顔が上がる。
何を言っているんだ、この男はーー
そんな疑問すら、顔に浮かんでいた。
(あれ……?)
アフェクの背後を見ていたのだが、その左右にボンヤリと、人影の様なものが漂っていた。
右には女性の、左には少女の姿をした人影が。
「神に祈りなど必要ない。神の加護など、とっくの昔から宿っている。今必要なのは、俯いた顔を上げ、眼を開き、手腕に力を込め、止まった足を動かしーー」
檄だ。
アフェクは今、動けずにいる村人の一人ひとりの顔を見つめ、声を張り上げている。
「胸に闘志を燃やし、思考を巡らせ、知恵という知恵を絞り抜き、戦うのだ!」
呆けていた村人の顔が、段々引き締まってゆく。
「二度繰り返す。我々には我々がついている! 過去の英雄よりも、共に過ごした隣人と肩を並べた方が心強い! 王都から来た兵士よりも、我々の方が地形を深く理解している!」
膝を着いていた者は立ち上がり、社に籠って怯えていた者が続々と外に出る。
「うぉおおお! オイラ、やるっぺよ!」
一人の村人が叫ぶ。彼は幾分か前にすれ違った、一端に覚悟を決めていた印象の残る青年だった。
「旦那に言われちゃあ仕方ねぇべ! ワシも戦う!」
「兵には悪いが、わっちらの力、見せちゃるけんのぉ!」
一人の熱意が、伝播して次々と燃え盛ってゆく。
もはや、誰一人として後ろに退がる者などいなかった。
「共に戦おう! テルル村の者たちよ! このどうしようもない窮地を救うのは、神ではなく我々だ!」
ーーおおおおおおおお!!
アフェクの檄に応じるように、村人たちが雄叫びをあげた。
初めから戦う意思のあった者だろう。すでに行動の早い者は、社にあったクワや斧を手に持ち、戦意を顕にし始めていた。
「ギィィィィーー!!」
そこで、最悪のタイミングで魔物が階段の下から現れた。
巨大な両翼を羽ばたかせる、大鷹ーー
(こいつ、二匹目!?)
一匹目は街道の入り口でヴァンが仕留めたはず。ならこいつは他でもない二匹目である。
耳を覆いたくなるような金切声。
「ひぃぃっ! 何じゃコイツぁ!」
時間切れである。制空権を奪い取った飛行型の魔物は、一直線にこの城を目指して襲撃に来たのだろう。
それは、下にいるカナリアのマナが尽きたことを指し示していたのも同義である。
直に、下から魔物が這い上がってくるーー
「こいつが魔物かえ!?」
「でっかいのぉ! とっ捕まえて焼き鳥じゃ!」
しかし、村人たちは目を閉じなかった。
恐怖に慄いてはいる。手足が震え、頭では一目散に逃げたいはずだ。
それでも、対峙している。
目を開け、敵を見据え、威勢すら吠えるその様に、僕は目を疑った。
ーーこれが、さっきまで神に縋ろうとしていた者たちだったとは到底思えない。
しかし、相手は飛行型の魔物。
剣のように鋭く尖った嘴に、人間の柔肌など最も容易く引き裂かんとする巨大な爪。
こちらには弓など上等な武器すらなく、投げる石など当たっても気にも止めないだろう。
「でてけぇ! おっかぁはオラが守っべ!」
先程、縛られて生贄にされかけていた子供が小石を大鷹に向けて投げていた。
小石は放物線を描いて虚しく階段を転がり落ちてゆくのだが、それが何よりも勇敢に映った。
子供ですら、戦おうと言うのだ。大人のワシらが怖気付いてどうするーー
村人たちに宿った火が、更に燃え盛る。
「キィィィィィィ!!」
村人たちに迎撃する力などないと悟ったのか、大鷹は早々に様子見を諦め、攻撃態勢に入った。
後ろからも続々とカラスの様な魔物が現れる。
絶体絶命のピンチ。
「アイン殿!」
待ってましたと言わんばかりにアフェクが僕に向かって叫び、手を伸ばした。
差し伸べてくる手は、決して庇おうなどと思っておらず、かと言って無遠慮に力を欲しているものでもなかった。
ただ、無意識に、手を伸ばしたのだろう。
気づけば、僕の頭の篝火はとてつもない程、大きく燃え盛っていた。
まるで村人たちの闘志が形となって表しているかのようにーー
【セフィラ解放:青】
青みがかった大火から脳裏に流れてくる言葉の意味を知る前に、辺りが光に包まれた。
『あの人をお願いします』
『お父さんのこと、よろしくね』
一人は大人びた女性の声が、もう一人は可愛らしい女の子の声が聞こえた。
「ーー争い絶えぬ世の摂理。失った悲しみよ、どうか聞き届けて欲しい。わたしはただ願っている。世界に平穏が在らんことを」
それは福音。祝福を告げる詠唱。
「ーー神道目指して歩む道のりの先に、青の祝福あれ」
アフェクの声が、刹那を過ぎる。
「ーーアリア、ユウ、ありがとう。わたしは今も愛している……」
慈愛に満ちた蒼い炎が、星のように煌めく。
「我祝福せんーー青・慈愛症候群・柱!!」
さぁ、反撃の狼煙だ!




