エピソード31 漆黒の鎧
戦慄。背筋に冷や汗が溢れてくる。
(一体何が起こった……?)
「て、敵襲ぅぅ!!」
アフェクが目を疑っているうちに、一人の兵士が叫んだ。
声を耳にした途端、辺りの兵士が携えていた剣を抜いた。慌ててはいるものの、パニックを起こす様子を見せないのは流石としか言いようがない。
「くそッ、どっから来やがった!」
一瞬で警戒態勢に移り、互いの背中を守るように陣を形成。
辺りを見回すが、獣一匹たりとも姿を捉えることができない。
「────」
アフェクは遠目に、ついさっきまで動いていた兵士の死体を見つめた。
首がない。鎧から止めどなく血が流れ、街道入り口ど真ん中に赤い水溜りができていた。
辺りには他に変わったものがない。居るであろう魔物の姿もない。死体の頭が無い……
喰われたと思うのが自然だ。人的殺人などではない。相手は魔物。魔物は基本的には獣の姿をしていることが多い。狼、山羊、蛇──
「上か!」
閃き、空を見上げる。
そこには鷹が一匹、羽ばたいていた。否、鷹と呼ぶには大きさが違いすぎた。
魔物特有の漆黒の羽は一枚一枚が大人の腕一本ほどの大きさで、塊となった両翼は優に街道の幅など覆い隠せるほどである。
ギィィィィィ!
空を駆ける魔物が鳴く。まるで金属と金属がぶつかり、悲鳴をあげるかのような金切声。兵士一同が思わず耳を塞いでしまう。
鷹──いや、”大鷹”は地上に降りようと両翼を羽ばたかせて砂塵を撒き散らす。
鋭い嘴の端には血が滴っており、さっきの倒れた兵士のものだと誰もが気付く。その圧倒的な巨大さに最早、畏怖しか残らない。
「あ、ああ……」
「なんだよ、このバケモノ……」
さっきまで意気揚々に作業をしていた兵士が腰を抜かす。
このままでは、戦うなんてもっての外である。
「退け! 態勢を立て直すのだ!」
アフェクが兵士たちの前に立ち、腰の後ろに携えていた杖を構える。
この世界の杖は、セフィラの力を増大させるだけでなく、マナの貯蔵にも一役買っている。
この一週間、万が一の時のためにマナを注ぎ込んでおいたのは不幸中の幸いだった。
「青の慈悲よ、我が心を依代とし、形を成せ──」
詠唱を唱える。
淡い青の光がアフェクを纏い、そして頭上へと昇ってゆく。
「我こそ胡蝶の夢也、彼者を泡沫の海へ。ケセド・インヴァイト!」
それは一匹の大きな青い蝶であった。
頭上で展開されたマナの渦が創り出した蝶は、羽を広げ、丸い巨大な目玉を連想させる模様を大鷹に見せる。
ギィィィ……
すると大鷹は金切声をあげつつも地に伏せ、倒れた。
「……やったのか?」
見ていた兵士が目をまん丸と見開いて驚愕する。
一端の坊主がバケモノを倒しちまったのではないかと。
「寝ているだけだ。足止めに過ぎん」
「この間に剣をブッ刺してトドメをーー」
「馬鹿者、それでは起きてしまうだろ!」
これは各地を放浪して旅をするアフェクが身に付けた護衛術に過ぎなかった。
練度の高い術者なら刺激してもしばらくは目覚めないだろうが、元々青は戦術にあまり向かない性質なため、これでも応用に応用を重ねた産物なのだ。
魔導を教える立場の人間なら、邪道だと切り捨てられる類の代物である。
村の巡回の時は大いに役に立っていたのだが、これほどの大型の魔物となると、それなりにマナも消費する。
「それよりも早くこの場から退くのだ。皆に知らせて──」
戦闘態勢へ、と言いかけたところで視野の端に異物が映り込む。
注視すると街道の先の方から何やら黒い影が。
「……来てしまった」
魔物の軍勢。
狼に、山羊に、鹿に、蛇。後方には見たことのない大型の獣すら行軍していたのだ。
「急げ! 早く!」
軍勢を見た兵士一同は、素早く地面を蹴った。
敵襲、と叫んで、まるで一目散に逃げるように。
しかし、アフェクはその場を動かなかった。
「何故だ」
否、動けなかったのだ。
視線の先、軍勢を率いている者がそこに居たからだ。
黒い。漆黒の闇を纏うような黒い鎧。背丈は子供ほどで、地面を踏む音はまるで中身が無いのではと疑うほどに軽く、無機質。
そして何と言っても、頭である。
鎧兜で覆われているが、黒一色なので遠目でもはっきりと見え隠れしているのが分かる。白銀の炎。
魔法生物の象徴。昨晩、カナリアの連れていた者にもあの炎はあった。
「何故、お前がそこに……」
何より、アフェクが驚愕することは、以前より知っていたからである。
彼自身が言った、『この村の守り神』と喩え、一週間もの間、陰ながら数々の助言をくれた張本人。魂を持つ魔法生物。
それが何の因果か、村を襲う魔物と共に行軍している。攻め入ろうとしている。
「最後に"逃げろ"と忠告した」
いつの間にか魔物たちは街道入り口まで来ており、先頭に立つ漆黒の鎧がアフェクに話し掛ける。
機械音混じりの女性の声。間違いなく、彼女である。
アフェクは目の前の事実に疑いながらも、そう遠くない過去を思い返す。
兵士たちが村にやってくる二日前、彼女は茂みから突如と現れ、助言を伝えたのちに消えた。その間際に、確かに『この村から逃げろ』と耳にした。
それ以降、今日まで彼女は現れなかった。
「だが、あれはわたしを助けようと──」
「村の指揮系統を崩すために言った。キサマは厄介だと思ったからな。恩を着せて従わせれば楽に排除できると踏んだ」
声質のせいか、彼女の声がまるで氷りのように冷たかった。
魔法生物は、隣で寝ていた大鷹を軽く叩いて起こす。目覚めた大鷹は、再び金切声をあげて羽ばたき、宙を舞い始めた。
「ここに居るということは、村人たちと共に死ぬことを覚悟してきているんだな」
その呟く声だけ、どこか寂しげな雰囲気を持っていたが、すぐに掻き消える。
彼女の腕が鋭い刃物と化したからだ。
「少々手間だが、慈悲は無用だな」
「ッ!」
声を置き去りにする程の速さで、漆黒の鎧がアフェクの眼前に迫った。
腕をクロスさせ、首を跳ねようと刃が捉える。
防ぐにも時間が足りない。手遅れであった。
(ここまでか……)
我が身の終わりを悟ったアフェクが逡巡したのは、愛する妻と娘の姿。
あの世で会えるだろうか、そんなことすら過ぎる。
目を閉じ、首と胴体が飛ぶのを覚悟して待った。
ガキンッ!
刹那、不相応な音が鳴り響いた。
驚いて目を開くと、そこには鎧兜があったのだ。
白いメット。所々に傷があり、形はここの兵士たちのものとは違い、少々不恰好な後頭部。
それが漆黒の刃を受け止め、アフェクを守っていた。
アフェクは知っている。その鎧兜を。昨晩に、カナリアと共にいた彼なのだと。




