エピソード40 醜悪は笑う
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砂漠の上を這いずりながら進む。
遠い過去の記憶が過ぎる中、僕は大破した体をただひたすら引っ張った。
「ハァ……ハァ……い、生きるぞ……」
あのふざけた男の一撃を喰らって、下半身が吹き飛んだ。
悪魔に血液なんて通ってない。あるのは胸のコア──”流動”によって生まれた澱の塊だけだ。
「僕は、生きる……生きて……それで……」
また出会うのだ。
あの時の感動を、もう一度得るために。
そのためなら醜く這いずっていようとも構わない。
「──ようやく見つけた」
ザッ、と僕の目の前に小さな足が立ちはだかった。
朦朧とする意識を叩いて起こし、ゆっくりと視線を上にあげる。
「やっぱり、アナタでしたのですね──先生」
そこには少女がいた。
桃色髪のおさげ頭。見た目に反して知的な瞳。たしか──
「アハッ……キミは”器”くんと一緒にいた、”先生”だったよね?」
希望──いや、絶望を見つけた。
コイツを人質にして連れ去れば、追撃も免れるかもしれない。
僕を討ち取った形跡が見つけられなければ、追ってくるのは必然。ならばこの少女を利用する手はない。
「ノコノコと僕の前に出てきたこと、後悔するがいい……!」
活路を見出して、僕はなけなしの力を振るった。
人間は”痛み”に弱い。痛みから逃れるためなら何でもする。僕の手足となってもらえるよう、”痛み”による精神支配を──
「先生、私ですよ」
「──は?」
彼女は膝を畳んで屈み、僕の顔を拾いあげて瞳をじいっと見つめてくる。
なんだ。何をしているんだ。意味がわからない。彼女は一体なにを?
先ほどから呼んでくる『先生』という言葉に、僕は混乱を隠しきれなかった。
しかし、一度発動した能力は止められない。
僕の瞳が少女の魂、その傷跡を覗き込む──
「あ──」
言葉を失ってしまった。
覚えがある。数々の魂を見てきたが、この魂だけは忘れるはずがない。
「嗚呼……そうか、キミか」
この美しい曲線──間違いない。彼女だ。
瓜二つの魂が、この世にふたつもあってたまるか。
「キミは死んだはずだ」
あの時、父親らしき人物に殴打されて亡くなった。
過去の記憶がフラッシュバックした今なら、確信を持ってそう言える。
なぜ、ここにいる?
「私は所謂、”転生者”なのです」
短く答える少女の声。微かに震えているのは、狂人を目前としている故なのか。それとも──
「──まったく、簡単に言ってくれる」
僕は溜息混じりに笑みを零した。
”輪廻転生”の難しさを説くには些か語るに時間を要するが、簡単に言ってしまえば、魂とはマナと同一なのだ。
死をもって魂は肉体を離れ、理の流れ──曰く、”流動”によって運ばれる。そして次の肉体に宿る前に、多くの魂と同化し、まったく別の個体へと生まれ変わるのだ。
前世の記憶を保持する──これを成すには、魔女の手によるサルベージ。または悪徳”物質主義”の特権ぐらいのもの。
儀式も行わず来世を跨ぐとは、おそらく理に反する。ひと言で申せば”奇跡”だ。
彼女がゆっくりと口を開いた。
「先生のおかげなんです。もう漠然としか思いだせないけれど、あの時の暗闇から現れたアナタの存在が、私にとって救いの光だったんです」
「────」
僕の中で、”確固たる意志”が音を立てて崩れる。
固く誓った己という外殻が剥がれ、コアにヒビが入った。
「そうか──」
あの時、どうして名も知らぬ少女の魂が美しく輝いていたのか、ようやく理解する。
僕が創り出したのだ。彼女の輝きを。
どうしても自らの手で生み出したかった。それだけが悔いだった──いや。
「ごめんよ。あの時、助けてあげられなくて……」
一番悔やまれたのは、彼女を救えなかったこと。
そこから目を背くために、僕は外殻を纏ったのだ。
コアの亀裂によって僕の体も至るところにヒビが入る。
今にも崩れそうな手で、彼女の頬に触れた。
柔らかく白い肌。まだ幼い頬に一筋の涙が伝う。
「私は、ただアナタに伝えたいことがあるんです。そのために、今日まで生きてきた──」
灰色の大きな瞳がまっすぐ僕を射抜く。
「ありがとう、センセイ。助けに来てくれて」
「嗚呼──本当に、人間は美しい」
眩しいほどに。
残りの体が砂となって崩れていき、やがて頭部のみとなった。
最期に、忠告を施してやろう。
「覚えておくんだ。キミたちの”チカラ”は、やがて人を狂わせる──」
痛みこそ、人が持つ最大の共通感覚だ。
今は魔法があり、あらゆる治癒法が確率する。彼女の持つチカラも、人類進化の延長線上で破滅をもたらすやもしれない。
「だから、キミだけは忘れないでくれ。人の”痛み”を──」
「はい──センセイ」
彼女の返事を耳にして、視界が黄色い砂一色へ。
僕は笑う。
満足した。
カイツールの最期でした。
アディシェスの次に好きなキャラでした。