幸田露伴「対髑髏」現代語勝手訳 その(一)
幸田露伴「対髑髏」を現代語訳してみました。
自分の訳したいように現代語訳をしていますので、厳密な逐語訳とはなっていません。ある意味勝手な訳となっています。その点はご了承ください。
前回の勝手訳を全面的に見直しましが、それでも自信のない箇所は幾つもあり、今も大きく勘違いしている部分、言葉の大きな意味の取り違えがあるかもしれません。その時は、ご教示いただければ幸いです。
なお、段落は読みやすいようにするため、原文のそれとは違っています。
この勝手訳は、ちくま文庫「文豪怪談傑作選 幸田露伴集 怪談 東 雅夫編」を底本としましたが、新たに「新日本古典文学大系 明治編22 幸田露伴集」(岩波書店)を参考にさせていただきました。ただ、「対髑髏」という作品は題名も以前は「縁外縁」だったり、中身の文章も大きく、小さく何度か書き換えられていて、底本と「新日本古典文学大系」とは多少文章が異なっていることがあります。
この勝手訳はあくまでもちくま文庫に掲載されたものを底本としています。
(一)
旅に道連れの味は知らねど
世は情ある女の事女の事
但しどこやらに怖い所あり難い所
私は元々粋と言うものには縁遠い人間である。また、風雅を趣味とするような者でもない。ただ、ふらふらと五尺の殻を背負う蝸牛のように、浮かれ心が騒いで治まらず、東へ西へ南へ北へと這い回り、おぼつかない角の先っちょをアンテナ代わりにキョロキョロさせながら、見える限り、広い世の中を見てやろうと考えたまでである。
そんなことだから、昔、西行が江口にあった遊女の家を訪ねた時、中に入れてもらえなかったように、もしも宿が借りられなくても良しとするし(*1)、また、宇治の華族様が香煎湯の一杯を振る舞うのも惜しむように(*2)、誰からも白湯一杯もらうことさえ出来なくても一向に構わない。
この話は先年、故郷を遠く離れて、陸奥を一人旅し、一夜を露と共に過ごした時の話である。
その旅は、夜が更ければ野において疲れ果てた身体で歌を吟じ、そうやってこの身は露を友としながら、やがてあっけなく死んで、下枝からポトリと落ちれば、いずれマッチの軸にでもなってしまう大木の、その陰の仄暗い辺りに生えている何の役にも立っていない苔に、せめて碧みを添えてみたいというだけのことなのである。言ってみれば、今のこの生活に滴水をトクトクと注いで、少しは俗世間の塵を洗い濯ぎたいという寝言同然の愚かで思い上がった気持ちだったのだ。要するに、この旅は本当につまらぬ見栄を張った戯言から生じた所行であった。
私の魂魄は三十年という長きにわたり、我ながら呆れるほどにふわふわと宙を漂って彷徨い、自分でも可笑しいほどに心は乱れて、平穏を保つ力をなくしていた。世に出て名を成すのか、あるいは隠遁してしまうのかは、もっぱら自らの前世の業に左右される、という昔の人が残した金言がある。だから、歳の市が立つ冬の夜中とか、蝙蝠が騒ぐ夏の夕暮れなど、人生を感じる思いがする時には、我が身の拙さに肝を冷やし、身を焼かれる気持ちになって、仏道の修行をしようと思うこともあったが、それさえ三日坊主の一時的な精進であって、四日目からは元通りのゆったり、のったりのだらだら生活であった。
ちょうど明治二十二年の四月頃、私は中善寺の奥、白根が嶽の下湯の湖のほとりの旅宿で、病気を治すため、五目並べをしたりして暇を潰しながら、湯治をしていた。温泉の効能は有り難いもので、お陰で病気もたちまち治ってしまうと、自分は元々気力も充実した丈夫な人間なのだと自信を持つようになって、俄然いきり立ち、これから先、来た道を後戻りするのも芸がないと、旅宿の亭主にこう訊ねた。
「ここから先へ行く道はないのか」と。
亭主曰く、
「はい、ここはどうにも行き止まりの山の中で、ご覧のとおり、前に見えるは前白根奥白根となって、山は雲の上に頭を出している始末で、登山は夏場でも難しいのでございます。その続きの横手の方は魂精峠と俗に呼ばれる木叢峠で、この頂上は上野と下野と言う二つの国の境となって、山々が折り重なり、ここからそれを越えるとなると約六里の間には暖湯さえ飲ませてくれる家もありません。とりわけ時候も大分違って、大沢とか徳次良(*3)といった辺りでは野州(*4)の名花である八汐が真っ盛りとなりますけれども、この辺りではそれもまだ咲かず、まして峠は一面の雪、五尺も六尺も谷間に積もって、道もろくに分からなくなっております。今年になって、これを越えた人は数えるくらいのもの。とても遊び半分で行くようなところではございませんので、お客様、いいも悪いもございません、中禅寺までお戻りなさって、足尾とか庚申山とかの里近くの孫山(*5)でも見物されますのがよろしいのではございませんか」
亭主のその言葉に、自分が都会育ちの軟弱者だと侮られたと思い、
『なに、そう言うのなら、つむじ曲がりの根性、天邪鬼の意気地を見せてやる』とつまらぬことに虚勢を張り、股引も穿かない臑も露わに、
「そんな峠など何でもないわ。よし、焼むすびを作れ、草鞋を買ってこい。少しくらい難儀をしても同じ道を帰るよりはずっと面白い。俺の鼻歌を山の神に聞かせながら越えてやろうじゃないか」などと言い募った。
亭主は、
「な、何と大胆なことを。本気でそうおっしゃいますか。もし、本当にそうなさるのであれば、草鞋ではなく、まだしも凍りにくい雪沓になさいませ、そして、どうしてもとおっしゃるなら国境までは案内人をお雇いなさいませ。そうそう、お客様、もしも道中、この辺の名産である肉蓯蓉を手に入れて、精力剤にでもしようというお考えなら、残念ながら時節悪く、今は手に入れることはできないとお思いください。それでもお行きなさいますか。いや本当に、伊達や酔狂でことを起こすと本当に大変なことになりますよ」と言うが、
「何をつべこべと。ぐずぐず言わずに俺の言うとおりにしてくれればいいのだ。案内人は雇うし、雪沓も買う。だからこれ以上説教じみた話はしないでもらいたい」と亭主を罵り、着物の裾をそのままにグイと端折り、沓をしっかり履き締めて、身の丈六尺ほどもある樵夫を案内人に雇って、心勇ましく出かけたのである。
四、五町ほど歩いてみると、なるほど、人は嘘をつかないもの。一面の雪は、表面は凍っているが、その下は柔らかくて、歩きにくいことこの上ない。上の方に登って行くに従って、勾配が急になり、しばしば足下が滑ってしまうので、ちょっとたじろいでしまった。一方、案内人はと見ると、猪の毛皮の沓を履き、鉄雪橇を装着して、雪を踏みしめながら悠々と先を歩いている。
自分も負けじと頑張って追いつけば、その大男、振り返って、
「このとおりの雪なんで、道も何もあったもんでねぇ、本来なら谷を伝って行くところだんが、もしもお客さんが強ぇく我慢ができて、しばしの難儀も辛抱できると言うんであんば、もっと急な勾配ではあるけんど、頂上への近道を行くこともできるが」と言われたので、
「えぇい、ままよ」と、その提案に乗った。
そこから登ること一里あまり、もみの木、つげの木、たもの木、どろの木、唐松などが生い茂って陰は暗く、この山の本名である木叢峠の名はまさに体を表して、恐ろしいほどに森々としている。梢を渡る風に露がはらはらと襟首に落ちて顔を撲つ。空高く聳える木々の緑に囲まれているせいか、息をする度、山の湿気に気分が悪くなった。
雪に残った兎や鹿の足跡は段々と減り、今まで聞こえていた鳥の鳴き声も次第々々に途絶えてきた。身体はよじ登る苦しさに汗ばみながら、心を覆っていた五欲の塵衣、すなわち眼、耳、鼻、舌、身体の感覚が一枚一枚剥がされるようで、その感覚が朦朧となって来た。昨日までしっかり心に漲っていた五感を統べる第六識魔王とでも言うべき意識も段々とその力が薄れてきたような心持ちとなり、何となく世界からの落ち武者という情けない気持ちになった。人間が老衰の果てに五感の機能が衰え、人生の最期を迎える時のようで、自分自身が、いかほどに情けなく、どれほどに力弱く、また、どんなに頼りなさげなのかと弱気になって悲しく思うその時に、岩をも突き通すほどの鋭い鳥の鳴き声が黒々とした梢の中から発せられた。ギョッとして首を縮めた途端、案内人の樵夫の着ている唐草模様がくらくらと湧き乱れるように目の前に現れた。
案内人は、
「では、あっしはここでお別れしますんで」と言う。そして、
「この場所は二つの国の境、すなわち頂上で、これより左手、左手と谷を伝って下っていくと一つの沼があって、その沼の左をまたまた下っていけば片科川の水源となっており、それが後に坂東太郎と呼ばれることになったところ。で、それに沿うて行けば、温泉が湧く小川村という村に着くんだが、こっからその小川村まではまだ四里余りもあって、それまでは人家というものはまったくごぜぇません。迷わぬよう、よくよく気をつけてお行きなせぇ。では、これで」と言うのを聞くと、一人にされる不安も手伝って、淋しさが一段と増した。
今朝の似非勇気はもはやくじけてしまい、辺りを茫然と見下ろすと、曇り空の日の光には力なく、普段は見えるという会津の方角の山々も雲が多くて見えない。じっと立っていると流石に爪尖が冷たくなってくる。
案内人と別れて一人山を下りる覚束なさ。雪沓なので、滑り滑って、薄ら氷に向こう臑を痛めたり、岩角で頬を擦ったり、雪崩で埋まっている木の枝に着物を破られたり、そんな風にして足を進めたものの、迷ってしまったようで、行けども行けども案内人が話していた沼のほとりという場所に出ない。
樺の木を折って火を焚き、その火に当たりながら作らせておいた焼おにぎりを取り出して食べるけれど、木屑を噛むような味しかせず、まるで美味しくない。しかし、それで飢えをしのぎ、色々と方角を考え直して進んでいった。
時計などは持たない男だったので、今が何時なのかも分からず、気ばかり焦っていたが、そのうち徐々に仄暗くなってきたので、これは大変なことになったぞと、かつて険しい山に登って、行き暮れてしまった時のようになっては一大事だと急いで歩いて行くと、ようやく沼のほとりにたどり着いた。あぁよかったと思う間もなく日は谷間に没して、雪はもうないけれども、沓底はすり切れてしまい、足が痛んでいるところへ、ぷっつりと紐が切れてしまった。
なんと、こんなところで、紐が切れるとは情けないと、悲しくなって道にしゃがんで紐を繕っていたその時、
あっ、燈の光! と、遙か彼方に幽かに揺らぐのを見つけ、おぉ、これはうれしいことだと、その燈を求めて歩みを進めれば、丸木の掘立柱に笹葺きの屋根をした小さな家が、まだ蕾の堅い山桜の大木の根元に建っていた。
山桜が蕾とは……場所が違うとは言え、時候がこんなに変わるものなのかと驚いた。内外を分けることを嫌ってか、家は萩の垣根で外囲いもしておらず、枝折戸も立てていない。筧が見当たらないのは家の横を幅一間ばかりの小川が流れているからで、わざわざ水を呼び込む必要もないのだろうと思われた。
このような所に住んでいても生活が出来る世の中というのは有難いものだと感心しながら、尚も近づいて灯が洩れる戸の際に立ち、
「中禅寺の湯元から峠越えして道に迷ってしまった者でございます。ことごとく疲れ果て、夜道に難儀をしているところですが、小川村まではあとどれくらいの道のりがあるのでしょうか。また、雪沓を駄目にしてしまい、歩けずにおります。なにとぞ草鞋を一足お譲りいただけないでしょうか」と言えば、戸越しに、
「それはそれは、お気の毒なこと。小川村まではもう二十町ほどで、川に沿って行かれさえすれば間違いはありません。ただ、お履きものをお切らしなされてはさぞ大変でございましょう。ですが、恥ずかしながら、ここには生憎草履は一足もございません。私の今使っております履き捨ての草履でよければお譲りいたしましょうか」と言うのは何と不思議、女の艶めかしい声であった。
こんな山の中に似つかわしくないが、これは猟師か何かの娘だろう。しかし、ほとほと足の裏が痛く、その上、右の小指と左の親指は生爪まで剥がしてしまっており、これからさらに二十町は到底歩けそうにない。できることなら、一夜の宿を頼んでみようと、
「本当に言いにくいことですが、ここから小川村まで二十町と伺っては、疲れ切ってしまった身体では最早歩くこともできず、足も痛めておりまして、不憫と思し召して、何とか一夜だけお泊めいただく訳には参りませんでしょうか」と言ったところ、
「それは思いも寄らぬお言葉。ここは女だけでございますから……」と言いながらも、板戸を引き開けて、身体を半分出す女、歳は二十四、五くらいであろうか、背中に部屋の灯を負っているので、後光の射す天女のようで、その色の白さ、パッチリとした眼、長くて柔和な眉、小さくて締まりのある口、そして、今日洗ったかのような髪は結いもせず、単に後ろに流すようにして、その先の方を引き裂いた白い紙でちょっと結んでいるのだが、曲のない毛はふさふさとしていて、その美しさは人間離れしていた。おのれ、妖怪が現れたかと三歩程さがって窺うように見れば、女も私をまじまじと見て、
「あぁ、何というお気の毒なお姿、お足もあちこち怪我をされたのか、血まで出ているではありませんか。お袖も草木に裂かれてか、綻び切れて、お顔色も冴えず、酷くお苦しそう。それなのになるほど、ここから小川村までそんなに遠いとは言えませんが、これではきっと難儀されることでしょう。本来ならお泊めし難いところではございますが、世捨て人でもあるまいお方に、『ここはあなたが一夜の宿とするところではございません』とも言いがたく、曲げてでも一晩お泊めいたしましょうと申し上げるべきで、撥ね付けるようにお断りすることは辛ろうございます。さ、さ、お入りになって、ここに腰を下ろしてくださいませ、今、御洗足の湯を持って参りましょう」と言う。
そう言われると、逆に気味が悪いが、今さら逃げ出すという訳にも行かず、えぇい、もうどうにでもなれ、という気持ちになって、言われた通り、そのまま腰を下ろし、
「ありがとうございます」と礼を言ううちに、小さな桶に熱い湯を汲んできて、甲斐々々しく洗ってくれようとする。
「これは恐れ入ります。ナニ、自分で濯ぎますので」と言うも、
「イエイエ、ご遠慮なしに、サァお足をお伸ばしくださいな」とやり取りする間にも、足の指の股の泥まで綺麗にしてくれた。
畳の上にあがって、丁寧にあいさつすれば、女は莞爾と笑いながら、
「山の中なので、ご馳走などできませんが、ここは幸い小川村と同じ脈の温泉が裏の方に湧いております。一風呂浴びられて、一日の疲労をお休めなさいませ。サァこちらへお越しください。お背中をお流ししましょうか」と言う。
これは? ハテ? 狐にでも化かされるのではないかと内々心配する私の手を取るようにして、
「湯殿と申しましても、片庇廂の雨露をしのぐだけの造りで、むさ苦しくはありますが、お湯は天然の霊泉で、本当によく暖まります」という女の口上が嘘とは思えないくらい、底まで見える透き通った綺麗な湯槽。これは何の心配もなかろうと中に入れば、比べようのないほどの気持ちよさで、湯元の温泉よりもいいと思えるほどであった。昼間の辛かったこともすっかり忘れ、悠々とした心持ちで湯から上がると、女はそれを待ち受けて、
「お召し憎いとは思いますが、お着物の綻びを縫って差し上げます間これを」と、後ろから引っかけてくれるのは、ぼてつかないフランネルの浴衣に重ねた黒出八丈の綿入れ。女物なので丈はあっても行は足らず、両手がにゅっと出るのは可笑しいけれど、親切心が身に染みた。本当に不思議とも言える待遇。これはどうした運命なのだろうと怪しみながらも、少し煙に巻かれてみようと、
「ハイハイ、これはどうも恐縮です」と感謝の言葉を発しておく。すると、
「お召しになっていた帯には岩角の苔が付いておりますので、可笑しくてもこちらの帯を」と笑いながら差し出すのは緋縮緬の扱帯。
「ハイハイ、これはまたご親切に」と帯を締めながら、この帯ももしかしたら化かされていて、本当は藤蔓だったりして、と観念しつつ、座敷に来て居炉裏の傍に坐ると、肩に羽織ってくれるのは八反の鼠弁慶のねんねこ。
「湯冷めをされて、もしもお風邪でも召されてはどこぞの方に済みませぬから」と味な口を利き、居炉裏の中へどんどんと柴を折りくべ、自在鉤に掛けた鍋が湧き立つのを取り下ろして、
「さぞかしご空腹でございましたでしょう。サァ、御膳もできましたが、残念ながら麦飯しかありません。暖かいだけが取り柄の山家の不自由をお許しくださいな」と、取り出してきた蝶足の八寸膳には、乗せられた山独活の味噌汁碗から好い香りが立っている。
礼を言いながら、私が美味しい、美味しいと食べれば、女も
「それじゃ、私もご一緒に片付けてしまいましょうか」と無造作に食べようとするが、膳がない。椀を炉縁に置こうとするが、やはりそこに置くのは馴れていないようで、少し躊躇う様子を見て、私が
「この膳をお使いになってください」と女の方へ突き出せば、
「そんなら、お取り膳とやらに、オホホ、ごめんなさいませ」と、顔も赤めることもない。
このように、これら、宵からの一連の振る舞いは一々合点が行かないことばかりであった。
さて、食事が終わると、女は私のことには構わず、手早く膳と椀を片付けて、火影ゆらぐ行燈の下に坐って、私の破れた着物を綴ってくれる。その様子は私と十年も連れ添った女房のようで、見栄えも気にせず、色気も感じさせない不思議な所作であった。
この女は、一体……。
世を捨てた女なのかと考えるが、黒髪は匂やかで、尼でもない。では、まだ世を捨てていない女かと疑うけれど、この美しい容色を隠すように深い山奥に一人で住んでいることがどうにも解せない。
いずれにしても、口下手な私は口惜しいけれど、どう問いかければいいのか分からずに色々考えている中、着物の繕いも終わり、それをそのまま畳んで置いて、炉の傍に来て、私を差し向かいに坐り、微笑むような感じで、
「若いお方がどんな理由でご旅行をされておられるのかわかりませんが、さぞかし面白いこともございましたでしょう。少しお聞かせくださいませ」と女の方から話を切り出された。
「イヤイヤ、俗な私など、山歩きは好きですが、歌の一つも詠めず、たとえ面白いことがあってもそれをうまく言葉に繋ぐこともできません。あなたこそお見受けするところ、風流なお暮らしぶり。由緒あるお方と、先ほどから思っておりましたが、そうかといって、若い身空でこのような山奥暮らし、どんなことがあってのことか、お話しいただきたく思っております」
「ホホ、なかなかお上手をおっしゃいます。卑しい身分の女に何の由緒がございましょう。私は妙という気軽者で、去年からここに移り住んだばかりでございます。あなたは?」
「露伴という気軽者」
「おや、あなたも気軽者とおっしゃるか」
「いかにも」
「どういった気軽?」
「私は、訳もなく山に浮かれ、水に浮かれるだけの気軽。あなたは?」
「浮き世を厭うだけの気軽」
「うん? どうにもわかりません。本当に浮き世を厭いなさるなら、頭髪をごっそりと剃り丸め、墨染めの衣に身をやつされ、朝は山路に花を採り、夕べに渓川に閼伽を汲んで本尊に供えられ、看経念仏のお勤めをされるべきでありますのに、数珠さえお持ちになっておられません。昔の人なら、美しい顔には熱鉄を当てることもあったというのに、誰に見せるのか、あなたのその美しい黒髪、油っ気こそ無いけれどもしなやかで、しかも、友仙の着物下は紅い色こそ見えませんが、婀娜っぽい色合いは何とも疑わしい。世を疎んでとおっしゃるのは偽りで、実は深く言い交わした殿方を恨むような筋があるとかで、口喧嘩の末、拗ねて見せての山籠もり。思わせぶりの『初紅葉あきくちから濃うなる』という色手管か。オッとこれは失礼、図に乗って喋ってしまいました」
「アラ、この人の口の憎さ。そんな浮いた話ではございません。本当に世を避け、嫌ってのこと」
「見え透いたご冗談を。では、世を嫌うとはまたいかなる訳でしょう」と押し返して問えば、
「そんな要らぬことを訊ねていては、もったいない夜が更けてまいります。さぁ、お休みくださいませ」と、身を起こして、戸棚から取り出したのは……。てっきり綿の少ない痩せ布団かと思いきや、緋緞子の布団と浅黄綸子のかい巻きであった。それには裏に紅色の羽二重があしらわれていて、おまけに猟虎の襟付きという驚きの贅沢品である。
「さぁさ、お休みなされ」と私を押しやって、小屏風を立てるので、仕方なく話を途中にして、それではお先に御免と横になれば、蓬莱の夢でも見そうな雲鶴の錦の丸枕には茶を詰めてあるのか、ゆかしい香りがする。怪しさも手伝い、鼻の先に何だかもやもやしたものが立って眠ることができない。ソッと屏風の外を覗くと、女は炉の傍に尚もきちんと坐って何か読み物をしている。それはまさに人形のような美しさであった。
一時間ほど経っても眠られず、またそっと女の様子を盗み見るも、先ほどと同じ状態で動かず、二時間過ぎても女はさっきと変化はない。真夜中、頭もいよいよ冴えてしまい納得のいかないこの家について考えながら、もう一度女を覗けば、しきりに火箸で灰を掻き回している。しかし、柴木は既に燃え尽きているのか炉は暖まっていない。
木叢峠の山颪の風にさすがに寒気を覚えてか、女は「湯にでも入ってきましょう」と独り言を言って湯殿の方へ行ったが、しばらくして帰り、炉の火はまったく細々となっているけれども、その傍にシャンとして坐ったまま、特に何かをする様子でもない。
『そうか、女には夜具がないからなのだ』と解った時、私は男として自分ばかり温々と暖かい思いをしているのがさもしいような気持ちになって、今目が醒めたような振りをして、つっと起き出せば、
「お手洗いに行かれますか」と女が案内してくれる。用を足しての戻りがけに、今やっと気づいた風を装って、
「お妙さま、まだお休みにはならないのですか」と訊けば、
「はい」と答える。
「愛しいお人を待っていらっしゃるようにお見受けしますが、大分夜も更けましたでしょうに」
「ホホ、おからかいにならず、さあ、ゆっくりとお休みなさいませ」
「イヤ、こんなことを申して、違いましたら幾重にもお詫びをいたしますが、お一人住まいのご様子なれば、そんなところへ強引に一泊の宿をお願いしたので、あなたの寝床を奪ったのではないかと心配しております。もしそうでしたら、私は男、野宿の経験もありますので、一夜柱にもたれて眠るくらいのことは何の苦でもありません。あなたにそうしておられては心苦しいばかりです。私の体温で温まった布団は気味悪く感じられるかも知れませんが、どうか布団でお休みください」と言えば、顔を少し赤らめて、
「お言葉のとおり実は夜具とて一揃いしかなく、あなたをお泊めしますと申した時から私はこうして夜を明かしてもいいと思っておりましたので、お構いはご無用でございます」と言う。
「いや、それはいけません」
「まあ、そうおっしゃらずに」
「私が困ります」
「私が困ります」
「いえ、あなたこそお休みになってください」
「マァマァ、あなたこそ、お休みになってくださいませ」
「これでは際限がありません。私も男でございます。やせ我慢をして、これでお暇させていただきます。女子に難儀をさせて、自分さえ眠られればよしとするのは、一生の疵。母の手前、友人の手前恥ずかしくてなりません。夜道を歩く方がよほど楽です」
「それほどまでにおっしゃることに楯を突こうとは思いませんし、実際あなたに夜道を歩かせては、私の今までの心遣いは皆、無益になってしまいますので、お言葉に従いもしましょうが、それではあなたに寝床を暖めていただいただけになってしまいます。その布団に恥ずかしげもなくくるまって、あなたを火もない炉の傍に丸寝させては、たとえ私が夢の中で愛しい人に逢えたとしても面白くありません。妙も女でございます。そんなことをすれば私の一生の疵ともなりますし、持仏の手前、恥ずかしゅうございます。どうしてもあなたをちゃんとお休みさせなくては」
「そのように言葉を廻されては、どうしてよいものかわからず、無骨者の私は何とも言えなくなります」
「ホホ、そうであれば、おとなしく私の言うことをきいて、お休みくださいな」
「イヤイヤ、どうか私の言うとおりになさってください」
「マァ、頑固に剛情を張られずとも」
「頑固でも何でも、私の言うことをきいていただかねば」
「ハイハイ、わかりました。とてもあなたの頑固には叶いませんから、あなたのおっしゃるとおりにいたしましょ。ホホホホ、まぁ、怖い顔をして……」
「怖い顔は生まれつきです」
「怒られましたの?」
「いいえ、ご厚意に対して何で怒ることがありましょう。ただ少し真面目になっただけです」
「ホホ可愛らしいこと。真面目にですか?」
「ハイ、真面目に」
「では、私も真面目に申しましょう。サァ、露伴様」
「何でしょう?」
「殿方のおっしゃることさえ通れば、女子の言い分は通らずともいいとお思いか」
「えっ?」
「ご自分の言葉だけを無理矢理に心弱い私に承知をさせて、私の誠には見向きもしないなどと酷いことをおっしゃるおつもりか」
「知りません」
「知らないとは、これご卑怯というもの。サァ、こちらに来て、ご一緒に臥みましょう。私もあなたの言葉を立てますから、あなたも私の一言を立ててくださいませ。お身体が溶ける訳でも、汚れる訳でもありますまいに。オヤ、なぜそう固くなって、四角張っておられます。エェ野暮なお方」と、柔らかな手で私の手を取り、私をじっと見つめたまま、当たり前のように引き立てようとする。その美しさ、恐ろしさ……。
私は肝も凍るばかりぞっとして、目を瞑り、唇を噛みしめて、心の中で、うろ覚えの文帝遏欲文を唱えたのであった。
『蘖海茫々たり首悪色慾に如くは無く、塵寰擾々たり犯し易きはただ邪淫なり、抜山蓋世の雄、ここに坐して身を亡ぼし国を喪ひ、繍口錦心の士、これに因りて節を敗り名を堕す、始は一念の差たり遂に畢世贖ふ莫きを致す、何ぞすなわち淫風日に熾んにして天理淪亡するや、当に悲むべく当に憾むべきの行を以て反て計を得たりとなし、而して衆怒衆賤の事恬として羞るを知らず、淫詞を刊し麗色を談じ、目は道左のに嬌姿注ぎ腸は簾中の窈窕に断ゆ、あるいは貞節、あるいは淑徳、嘉すべく敬すべきを遂に計誘して完行なからしめ、もしくは婢女、もしくは僕妾、憫むべく憐むべきに竟に勢逼して終身を玷すを致し、すでに親族をして羞を含ましめ、なお子孫をして垢を蒙らしむ、すべて心昏く気濁り、賢遠ざかり佞親しむに由る、豈知らんや天地容し難く神人震怒し、あるいは妻女酬償しあるいは子孫受報す、絶嗣の墳墓は好色の狂徒にあらざるなく、妓女の祖宗は尽くこれ貪花の浪子なり、富むべき者は玉楼に籍を削られ、貴かるべき者も金榜に名を除かる、笞杖徒流大辟、生ては五等の刑に遭い、地獄餓鬼畜生、没しては三途の苦を受く、従前の恩愛ここに至って空と成り、昔日の風流しかも今安にか在る、その後悔もって従うなからんよりは蚤く思うて犯す勿きに胡ぞ、謹で青年の佳士、黄巻の名流に勧む、覚悟の心を発し色魔の障を破らん事を、芙蓉の白面は帯肉の骷髏に過ず、美艶紅妝、すなわちこれ殺人の利刀なり、たとい花の如く玉の如きの貌に対しても、常に姉の如く妹の如くの心を存して、未行者は失足を防ぐべく已行者は務めて早く回頭せよ、更に望む、展転流通し迭に相化導し、必ず在々斉しく覚路に帰し、人々共に迷津を出でんことを、首悪すでに除き万邪自ら消し、霊台滞りなく世栄遠きに垂れん矣……』(*6)
*1 「昔、西行が……良しとするし」……西行が一夜の宿を頼んだ時、それを断ったのは『妙』という遊女であった。
*2 宇治の華族様が香煎湯の一杯を振る舞うのも惜しむように……「新日本古典文学大系」の注には、「『源氏物語』宇治十帖で、八の宮の姫君たちが薫の処遇に消極的であったことを踏まえる」とある。
*3 大沢とか徳次良……日光道中の宿駅。
*4 野州……下野の別称。
*5 孫山……本となる山に続く小さな山。
*6 『蘖海茫々たり――』……禍災という海は果てしなく広いものであるが、その中でも色慾は最強の元凶というべきものである。穢れきり、乱れきった人間世界の中で犯し易いのは邪淫である。強大な力と圧倒するほどの気力にあふれた英雄も色慾邪淫に堕して身を亡ぼし、国を喪う。優れた詩文の才を持つ士もまた同様の原因で、礼節を破り、名を落とす。最初はほんの軽い気持ちだったことが、遂に一生をもってしても償い難い罪を犯す結果に至る。しかし、何としたことか、淫乱の風は日に日に強まり、不変と思われていた真理が廃り滅んでしまうと、本当は悲しみ、恨まねばならない行いを、逆に自分にとっては悦ばしいことと受け止め、多くの人の怒りや蔑みにも平然として、恥じるということを知らずにいるようになる。淫らな詞文を作り、美女談義にうつつを抜かし、道を行く女の色っぽい姿に目を遣り、にやにやしながら、簾の中にある柔らかな姿態を思い浮かべ、心を蕩けさせる。貞節や淑徳といった誉め讃え、尊敬すべきものに対して、策略を講じて別の方へ気を惹かせ、本来の善と言われるものに向かわせないようにする。また、婢女や下女などは、そもそも情けをかけるべき者たちなのに、威を借りて迫って辱め、彼らの生涯に消えることのない疵をつける。それは、親兄弟に恥をかかせるだけではなく、代々までの面汚しとなるものである。これらは総て後ろ暗く、薄汚い気持ちの、とても賢とは言えないことから生じるものであり、性悪な仲間とつるんでいることに由来するものである。天地はこれをちゃんと解っており、許さず、神人は震えるまでに怒る。その結果、妻や娘が身を売るなどして、哀れにもその埋め合わせをすることとなり、子孫はその報いを受ける羽目になるのである。跡取りの絶えた家の墓は好色のならず者ばかりであり、遊女の先祖はことごとく女漁りに血道を上げた極道者である。富を誇っていた者は立派な御殿から追放されて籍を抜かれ、貴いと言われた者も科挙試験合格者名を記した黄金の札から名前を消される。生きていても、笞打ち、杖(棒)打ち、懲役、島流し、死刑という五等の刑を受け、地獄餓鬼畜生という三悪道の世界に陥り、死んでは猛火に焼かれる火途、互いに食い合う血途、刀などで脅迫される刀途という三途の苦を受ける。これまでの情愛はここに至っては姿形もなくなって、昔、風流に暮らした面影など今はどこにもなくなってしまう。後で後悔するのか、それとも、その非を早く悟って過失を犯さないようにするのか、どちらが良いか考えてもみよ。謹んで青年に言う、書物の中の名士、君子たちに倣え。そして、覚悟の心を立てて、色慾という魔の障害を破らんことを願う。芙蓉の花のような美女の白い顔も、言ってみれば肉を被せた骸骨に過ぎないのだ。化粧をして美しく飾った女、これはそのまま人を殺す鋭利な刀なのである。たとえ花のような、また玉のような美顔であっても常に姉や妹に接するような気持ちを持て。まだ罪を犯していない者は道を踏み外さないようにし、すでに過失を犯したものは、出来る限り早く悔い改めよ。更に望むならば、この教えが人から人へと伝わり、お互いに教化し導き合い、あらゆる所でひとしく皆が正しい道に帰し、人々が迷いの世界から抜け出れば、元凶なるものは既に除かれ、すべての邪なものは自ずから消え去って、心は正しい道へと迷うことなく進み、誉れ高い世の中が末永く続くだろう。
「新日本古典文学大系」の巻末補注に、文帝遏欲文の解説として、
「文帝遏欲文」は、人生と社会を誤らせる最大の悪を色慾にあるとし、その恐ろしさの強調と、克服の後の安寧とを伝える。文中には「芙蓉の白面は帯肉の骷髏に過ず」と、後段への布石ともなる一節も含まれており、作品読解にこの長い引用が無視できないことは確かであろう。(P.499)――とある。
前回この部分は本文はもとより、勝手訳も省略したのだが、今回は「新日本古典文学大系」の脚注を参考にさせていただき勝手訳を試みた。しかし、文字通り勝手に訳した部分もあるので、正しい訳となっているか、自信はない。