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幸田露伴「対髑髏」現代語勝手訳  作者: 秋月しろう
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幸田露伴「対髑髏」現代語勝手訳 その(一)

幸田露伴「対髑髏たいどくろ」を現代語訳してみました。

自分の訳したいように現代語訳をしていますので、厳密な逐語訳とはなっていません。ある意味勝手な訳となっています。その点はご了承ください。


前回の勝手訳を全面的に見直しましが、それでも自信のない箇所は幾つもあり、今も大きく勘違いしている部分、言葉の大きな意味の取り違えがあるかもしれません。その時は、ご教示いただければ幸いです。

なお、段落は読みやすいようにするため、原文のそれとは違っています。


この勝手訳は、ちくま文庫「文豪怪談傑作選 幸田露伴集 怪談 東 雅夫編」を底本としましたが、新たに「新日本古典文学大系 明治編22 幸田露伴集」(岩波書店)を参考にさせていただきました。ただ、「対髑髏」という作品は題名も以前は「縁外縁」だったり、中身の文章も大きく、小さく何度か書き換えられていて、底本と「新日本古典文学大系」とは多少文章が異なっていることがあります。

この勝手訳はあくまでもちくま文庫に掲載されたものを底本としています。 

(一)

 旅に道連れの味は知らねど

 世は(なさけ)ある女の事女の事

 但しどこやらに怖い所あり難い所


 私は元々粋と言うものには縁遠い人間である。また、風雅を趣味とするような者でもない。ただ、ふらふらと五尺の殻を背負う蝸牛(かたつむり)のように、浮かれ心が騒いで治まらず、東へ西へ南へ北へと這い回り、おぼつかない(つの)の先っちょをアンテナ代わりにキョロキョロさせながら、見える限り、広い世の中を見てやろうと考えたまでである。


 そんなことだから、昔、西行が江口(えぐち)にあった遊女の家を訪ねた時、中に入れてもらえなかったように、もしも宿が借りられなくても良しとするし(*1)、また、宇治の華族様が香煎(こうせん)()の一杯を振る舞うのも惜しむように(*2)、誰からも白湯(さゆ)一杯もらうことさえ出来なくても一向に構わない。


 この話は先年、故郷を遠く離れて、陸奥(みちのく)を一人旅し、一夜を露と共に過ごした時の話である。

 その旅は、夜が更ければ野において疲れ果てた身体(からだ)で歌を吟じ、そうやってこの身は(つゆ)を友としながら、やがてあっけなく死んで、下枝(しずえ)からポトリと落ちれば、いずれマッチの軸にでもなってしまう大木の、その陰の仄暗い辺りに生えている何の役にも立っていない苔に、せめて(あお)みを添えてみたいというだけのことなのである。言ってみれば、今のこの生活に滴水(しずく)をトクトクと注いで、少しは俗世間の塵を洗い(そそ)ぎたいという寝言同然の愚かで思い上がった気持ちだったのだ。要するに、この旅は本当につまらぬ見栄を張った戯言(たわごと)から生じた所行(しょぎょう)であった。


 私の魂魄(たましい)は三十年という長きにわたり、我ながら呆れるほどにふわふわと宙を漂って彷徨(さまよ)い、自分でも可笑(おか)しいほどに心は乱れて、平穏を保つ力をなくしていた。世に出て名を()すのか、あるいは隠遁してしまうのかは、もっぱら自らの前世の(ごう)に左右される、という昔の人が残した金言がある。だから、歳の市が立つ冬の夜中とか、蝙蝠(こうもり)が騒ぐ夏の夕暮れなど、人生を感じる思いがする時には、我が身の(つたな)さに肝を冷やし、身を焼かれる気持ちになって、仏道の修行をしようと思うこともあったが、それさえ三日坊主の一時的な精進であって、四日目からは元通りのゆったり、のったりのだらだら生活であった。


 ちょうど明治二十二年の四月頃、私は中善寺の奥、白根が(たけ)下湯(もとゆ)(うみ)のほとりの旅宿(やど)で、病気を治すため、五目並べをしたりして暇を潰しながら、湯治(とうじ)をしていた。温泉の効能は有り難いもので、お陰で病気もたちまち治ってしまうと、自分は元々気力も充実した丈夫な人間なのだと自信を持つようになって、俄然いきり立ち、これから先、来た道を後戻りするのも芸がないと、旅宿(やど)の亭主にこう(たず)ねた。

「ここから先へ行く道はないのか」と。

 亭主曰く、

「はい、ここはどうにも行き止まりの山の中で、ご覧のとおり、前に見えるは前白根奥白根となって、山は雲の上に頭を出している始末で、登山は夏場でも難しいのでございます。その続きの横手の方は魂精峠(こんせいとうげ)と俗に呼ばれる木叢峠(こむらとうげ)で、この頂上は上野(こうずけ)下野(しもつけ)と言う二つの国の境となって、山々が折り重なり、ここからそれを越えるとなると約六里の間には暖湯(ぬるゆ)さえ飲ませてくれる家もありません。とりわけ時候も大分違って、大沢(おおさわ)とか徳次良(とくじら)(*3)といった辺りでは野州(やしゅう)(*4)の名花である八汐(やしお)が真っ盛りとなりますけれども、この辺りではそれもまだ咲かず、まして峠は一面の雪、五尺も六尺も谷間に積もって、道もろくに分からなくなっております。今年になって、これを越えた人は数えるくらいのもの。とても遊び半分で行くようなところではございませんので、お客様、いいも悪いもございません、中禅寺までお戻りなさって、足尾とか庚申山(こうしんざん)とかの里近くの孫山(まごやま)(*5)でも見物されますのがよろしいのではございませんか」


 亭主のその言葉に、自分が都会育ちの軟弱者だと侮られたと思い、

『なに、そう言うのなら、つむじ曲がりの根性、天邪鬼(あまのじゃく)の意気地を見せてやる』とつまらぬことに虚勢を張り、股引も穿()かない(すね)(あら)わに、

「そんな峠など何でもないわ。よし、(やき)むすびを作れ、草鞋(わらじ)を買ってこい。少しくらい難儀をしても同じ道を帰るよりはずっと面白い。俺の鼻歌を山の神に聞かせながら越えてやろうじゃないか」などと言い(つの)った。

 亭主は、

「な、何と大胆なことを。本気でそうおっしゃいますか。もし、本当にそうなさるのであれば、草鞋ではなく、まだしも凍りにくい雪沓(ゆきぐつ)になさいませ、そして、どうしてもとおっしゃるなら国境(くにざかい)までは案内人をお雇いなさいませ。そうそう、お客様、もしも道中、この辺の名産である肉蓯蓉(にくじゅよう)を手に入れて、精力剤にでもしようというお考えなら、残念ながら時節悪く、今は手に入れることはできないとお思いください。それでもお行きなさいますか。いや本当に、伊達(だて)や酔狂でことを起こすと本当に大変なことになりますよ」と言うが、

「何をつべこべと。ぐずぐず言わずに俺の言うとおりにしてくれればいいのだ。案内人は雇うし、雪沓も買う。だからこれ以上説教じみた話はしないでもらいたい」と亭主を罵り、着物の裾をそのままにグイと端折(はしょ)り、(くつ)をしっかり()き締めて、身の丈六尺ほどもある樵夫(きこり)を案内人に雇って、心勇ましく出かけたのである。


 四、五町ほど歩いてみると、なるほど、人は嘘をつかないもの。一面の雪は、表面(うわべ)は凍っているが、その下は柔らかくて、歩きにくいことこの上ない。上の方に登って行くに従って、勾配が急になり、しばしば足下が滑ってしまうので、ちょっとたじろいでしまった。一方、案内人はと見ると、(しし)の毛皮の(くつ)を履き、鉄雪橇(かなかんじき)を装着して、雪を踏みしめながら悠々と先を歩いている。

 自分も負けじと頑張って追いつけば、その大男、振り返って、

「このとおりの雪なんで、道も何もあったもんでねぇ、本来なら谷を伝って行くところだんが、もしもお客さんが()ぇく我慢ができて、しばしの難儀も辛抱できると言うんであんば、もっと急な勾配ではあるけんど、頂上への近道を行くこともできるが」と言われたので、

「えぇい、ままよ」と、その提案に乗った。


 そこから登ること一里あまり、もみの木、つげの木、たもの木、どろの木、唐松などが生い茂って陰は暗く、この山の本名である木叢峠(こむらとうげ)の名はまさに体を表して、恐ろしいほどに森々(しんしん)としている。(こずえ)を渡る風に露がはらはらと襟首に落ちて顔を()つ。空高く(そび)える木々の緑に囲まれているせいか、息をする(たび)、山の湿気に気分が悪くなった。


 雪に残った兎や鹿の足跡は段々と減り、今まで聞こえていた鳥の鳴き声も次第々々に途絶えてきた。身体(からだ)はよじ登る苦しさに汗ばみながら、心を覆っていた五欲の塵衣(じんえ)、すなわち眼、耳、鼻、舌、身体の感覚が一枚一枚剥がされるようで、その感覚が朦朧となって来た。昨日までしっかり心に(みなぎ)っていた五感を()べる第六識魔王とでも言うべき意識も段々とその力が薄れてきたような心持ちとなり、何となく世界からの落ち武者という情けない気持ちになった。人間が老衰の果てに五感の機能が衰え、人生の最期を迎える時のようで、自分自身が、いかほどに情けなく、どれほどに力弱く、また、どんなに頼りなさげなのかと弱気になって悲しく思うその時に、岩をも突き通すほどの鋭い鳥の鳴き声が黒々とした梢の中から発せられた。ギョッとして首を縮めた途端、案内人の樵夫(きこり)の着ている唐草模様がくらくらと湧き乱れるように目の前に現れた。

 案内人は、

「では、あっしはここでお別れしますんで」と言う。そして、

「この場所は二つの国の境、すなわち頂上で、これより左手、左手と谷を伝って(くだ)っていくと一つの沼があって、その沼の左をまたまた下っていけば片科川(かたしながわ)の水源となっており、それが後に坂東(ばんどう)太郎(たろう)と呼ばれることになったところ。で、それに沿うて行けば、温泉が湧く小川村という村に着くんだが、こっからその小川村まではまだ四里余りもあって、それまでは人家というものはまったくごぜぇません。迷わぬよう、よくよく気をつけてお行きなせぇ。では、これで」と言うのを聞くと、一人にされる不安も手伝って、淋しさが一段と増した。


 今朝の似非(えせ)勇気はもはやくじけてしまい、辺りを茫然と見下ろすと、曇り空の日の光には力なく、普段は見えるという会津の方角の山々も雲が多くて見えない。じっと立っていると流石(さすが)爪尖(つまさき)が冷たくなってくる。

 案内人と別れて一人山を下りる覚束(おぼつか)なさ。雪沓なので、滑り滑って、薄ら氷に向こう(ずね)を痛めたり、岩角で頬を擦ったり、雪崩(なだれ)で埋まっている木の枝に着物を破られたり、そんな風にして足を進めたものの、迷ってしまったようで、行けども行けども案内人が話していた沼のほとりという場所に出ない。


 (かば)の木を折って火を焚き、その火に当たりながら作らせておいた焼おにぎりを取り出して食べるけれど、木屑(きくず)を噛むような味しかせず、まるで美味しくない。しかし、それで飢えをしのぎ、色々と方角を考え直して進んでいった。

 時計などは持たない男だったので、今が何時なのかも分からず、気ばかり焦っていたが、そのうち徐々に仄暗(ほのぐら)くなってきたので、これは大変なことになったぞと、かつて険しい山に登って、行き暮れてしまった時のようになっては一大事だと急いで歩いて行くと、ようやく沼のほとりにたどり着いた。あぁよかったと思う間もなく日は谷間に没して、雪はもうないけれども、沓底はすり切れてしまい、足が痛んでいるところへ、ぷっつりと紐が切れてしまった。

 なんと、こんなところで、紐が切れるとは情けないと、悲しくなって道にしゃがんで紐を繕っていたその時、


 あっ、()の光! と、遙か彼方(かなた)(かす)かに揺らぐのを見つけ、おぉ、これはうれしいことだと、その燈を求めて歩みを進めれば、丸木の掘立柱(ほったてばしら)(ささ)()きの屋根をした小さな家が、まだ蕾の堅い山桜の大木の根元に建っていた。

 山桜が蕾とは……場所が違うとは言え、時候がこんなに変わるものなのかと驚いた。内外(うちそと)を分けることを嫌ってか、家は萩の垣根で外囲いもしておらず、枝折戸(しおりど)も立てていない。(かけい)が見当たらないのは家の横を幅一間ばかりの小川が流れているからで、わざわざ水を呼び込む必要もないのだろうと思われた。

 このような所に住んでいても生活が出来る世の中というのは有難いものだと感心しながら、(なお)も近づいて()が洩れる戸の(きわ)に立ち、

「中禅寺の湯元から峠越えして道に迷ってしまった者でございます。ことごとく疲れ果て、夜道に難儀をしているところですが、小川村まではあとどれくらいの道のりがあるのでしょうか。また、雪沓を駄目にしてしまい、歩けずにおります。なにとぞ草鞋を一足お譲りいただけないでしょうか」と言えば、戸越しに、

「それはそれは、お気の毒なこと。小川村まではもう二十町ほどで、川に沿って行かれさえすれば間違いはありません。ただ、お履きものをお切らしなされてはさぞ大変でございましょう。ですが、恥ずかしながら、ここには生憎草履は一足もございません。私の今使っております履き捨ての草履でよければお譲りいたしましょうか」と言うのは何と不思議、女の(なま)めかしい声であった。


 こんな山の中に似つかわしくないが、これは猟師か何かの娘だろう。しかし、ほとほと足の裏が痛く、その上、右の小指と左の親指は生爪まで剥がしてしまっており、これからさらに二十町は到底歩けそうにない。できることなら、一夜の宿を頼んでみようと、

「本当に言いにくいことですが、ここから小川村まで二十町と伺っては、疲れ切ってしまった身体(からだ)では最早歩くこともできず、足も痛めておりまして、不憫(ふびん)と思し召して、何とか一夜だけお泊めいただく訳には参りませんでしょうか」と言ったところ、

「それは思いも寄らぬお言葉。ここは女だけでございますから……」と言いながらも、板戸を引き開けて、身体を半分出す女、歳は二十四、五くらいであろうか、背中に部屋の(あかり)を負っているので、後光(ごこう)の射す天女のようで、その色の白さ、パッチリとした眼、長くて柔和な眉、小さくて締まりのある口、そして、今日洗ったかのような髪は結いもせず、単に後ろに流すようにして、その先の方を引き裂いた白い紙でちょっと結んでいるのだが、(くせ)のない毛はふさふさとしていて、その美しさは人間離れしていた。おのれ、妖怪が現れたかと三歩程さがって(うかが)うように見れば、女も私をまじまじと見て、

「あぁ、何というお気の毒なお姿、お(みあし)もあちこち怪我をされたのか、血まで出ているではありませんか。お袖も草木に裂かれてか、綻び切れて、お顔色も冴えず、(ひど)くお苦しそう。それなのになるほど、ここから小川村までそんなに遠いとは言えませんが、これではきっと難儀されることでしょう。本来ならお泊めし難いところではございますが、世捨て人でもあるまいお方に、『ここはあなたが一夜の宿とするところではございません』とも言いがたく、曲げてでも一晩お泊めいたしましょうと申し上げるべきで、撥ね付けるようにお断りすることは辛ろうございます。さ、さ、お入りになって、ここに腰を下ろしてくださいませ、今、御洗足(おすすぎ)の湯を持って参りましょう」と言う。

 そう言われると、逆に気味が悪いが、今さら逃げ出すという訳にも行かず、えぇい、もうどうにでもなれ、という気持ちになって、言われた通り、そのまま腰を下ろし、

「ありがとうございます」と礼を言ううちに、小さな桶に熱い湯を汲んできて、甲斐々々(かいがい)しく洗ってくれようとする。

「これは恐れ入ります。ナニ、自分で(すす)ぎますので」と言うも、

「イエイエ、ご遠慮なしに、サァお足をお伸ばしくださいな」とやり取りする間にも、足の指の股の泥まで綺麗にしてくれた。


 畳の上にあがって、丁寧にあいさつすれば、女は莞爾(にこにこ)と笑いながら、

「山の中なので、ご馳走などできませんが、ここは幸い小川村と同じ脈の温泉()が裏の方に湧いております。一風呂浴びられて、一日の疲労(つかれ)をお休めなさいませ。サァこちらへお越しください。お背中をお流ししましょうか」と言う。

 これは? ハテ? 狐にでも化かされるのではないかと内々心配する私の手を取るようにして、

「湯殿と申しましても、片庇廂(かたびさし)の雨露をしのぐだけの造りで、むさ苦しくはありますが、お湯は天然の霊泉で、本当によく暖まります」という女の口上(こうじょう)が嘘とは思えないくらい、底まで見える透き通った綺麗な湯槽(ゆぶね)。これは何の心配もなかろうと中に入れば、比べようのないほどの気持ちよさで、湯元の温泉よりもいいと思えるほどであった。昼間の辛かったこともすっかり忘れ、悠々とした心持ちで湯から上がると、女はそれを待ち受けて、

「お召し憎いとは思いますが、お着物の綻びを縫って差し上げます間これを」と、後ろから引っかけてくれるのは、ぼてつかないフランネルの浴衣(ゆかた)に重ねた黒出八丈(くろではちじょう)の綿入れ。女物なので(たけ)はあっても(ゆき)は足らず、両手がにゅっと出るのは可笑(おか)しいけれど、親切心が身に染みた。本当に不思議とも言える待遇(もてなし)。これはどうした運命(こと)なのだろうと怪しみながらも、少し煙に巻かれてみようと、

「ハイハイ、これはどうも恐縮です」と感謝の言葉を発しておく。すると、

「お召しになっていた帯には(いわ)(かど)の苔が付いておりますので、可笑(おか)しくてもこちらの帯を」と笑いながら差し出すのは緋縮緬(ひぢりめん)扱帯(しごき)

「ハイハイ、これはまたご親切に」と帯を締めながら、この帯ももしかしたら化かされていて、本当は藤蔓(ふじづる)だったりして、と観念しつつ、座敷に来て居炉裏(いろり)の傍に坐ると、肩に羽織ってくれるのは八反(はったん)(ねずみ)弁慶(べんけい)のねんねこ。

「湯冷めをされて、もしもお風邪でも召されてはどこぞの方に済みませぬから」と味な口を利き、居炉裏の中へどんどんと柴を折りくべ、自在鉤(じざい)に掛けた鍋が湧き立つのを取り下ろして、

「さぞかしご空腹でございましたでしょう。サァ、御膳(ごぜん)もできましたが、残念ながら麦飯しかありません。暖かいだけが取り柄の山家(やまが)の不自由をお許しくださいな」と、取り出してきた(ちょう)(あし)の八寸膳には、乗せられた山独活(やまうど)の味噌汁碗から好い香りが立っている。

 礼を言いながら、私が美味しい、美味しいと食べれば、女も

「それじゃ、私もご一緒に片付けてしまいましょうか」と無造作に食べようとするが、膳がない。椀を()(ぶち)に置こうとするが、やはりそこに置くのは馴れていないようで、少し躊躇(ためら)う様子を見て、私が

「この膳をお使いになってください」と女の方へ突き出せば、

「そんなら、お取り膳とやらに、オホホ、ごめんなさいませ」と、顔も赤めることもない。

 このように、これら、宵からの一連の振る舞いは一々合点が行かないことばかりであった。


 さて、食事が終わると、女は私のことには構わず、手早く膳と椀を片付けて、火影(ほかげ)ゆらぐ行燈(あんどん)の下に坐って、私の破れた着物を綴ってくれる。その様子は私と十年も連れ添った女房のようで、見栄えも気にせず、色気も感じさせない不思議な所作であった。

 この女は、一体……。

 世を捨てた女なのかと考えるが、黒髪は匂やかで、尼でもない。では、まだ世を捨てていない女かと疑うけれど、この美しい容色を隠すように深い山奥に一人で住んでいることがどうにも()せない。

 いずれにしても、口下手(くちべた)な私は口惜(くや)しいけれど、どう問いかければいいのか分からずに色々考えている(うち)、着物の繕いも終わり、それをそのまま畳んで置いて、炉の傍に来て、私を差し向かいに坐り、微笑むような感じで、

「若いお方がどんな理由でご旅行をされておられるのかわかりませんが、さぞかし面白いこともございましたでしょう。少しお聞かせくださいませ」と女の方から話を切り出された。

「イヤイヤ、俗な私など、山歩きは好きですが、歌の一つも詠めず、たとえ面白いことがあってもそれをうまく言葉に繋ぐこともできません。あなたこそお見受けするところ、風流なお暮らしぶり。由緒(ゆいしょ)あるお方と、先ほどから思っておりましたが、そうかといって、若い身空(みそら)でこのような山奥暮らし、どんなことがあってのことか、お話しいただきたく思っております」

「ホホ、なかなかお上手をおっしゃいます。卑しい身分の女に何の由緒がございましょう。私は(たえ)という気軽者で、去年からここに移り住んだばかりでございます。あなたは?」

「露伴という気軽者」

「おや、あなたも気軽者とおっしゃるか」

「いかにも」

「どういった気軽?」

「私は、訳もなく山に浮かれ、水に浮かれるだけの気軽。あなたは?」

「浮き世を(いと)うだけの気軽」

「うん? どうにもわかりません。本当に浮き世を(いと)いなさるなら、頭髪(あたま)をごっそりと()り丸め、墨染めの(ころも)に身をやつされ、朝は山路(やまじ)に花を採り、夕べに渓川(たにがわ)閼伽(あか)を汲んで本尊に(そな)えられ、看経(かんきん)念仏(ねぶつ)のお勤めをされるべきでありますのに、数珠(じゅず)さえお持ちになっておられません。昔の人なら、美しい顔には熱鉄(やきがね)を当てることもあったというのに、誰に見せるのか、あなたのその美しい黒髪、油っ気こそ無いけれどもしなやかで、しかも、友仙(ゆうぜん)の着物下は(あか)い色こそ見えませんが、婀娜(あだ)っぽい色合いは何とも疑わしい。世を(うと)んでとおっしゃるのは偽りで、実は深く言い交わした殿方(とのがた)を恨むような筋があるとかで、口喧嘩の末、()ねて見せての(やま)()もり。思わせぶりの『初紅葉(はつもみじ)あきくちから濃うなる』という(いろ)手管(てくだ)か。オッとこれは失礼、図に乗って喋ってしまいました」

「アラ、この人の口の憎さ。そんな浮いた話ではございません。本当に世を避け、嫌ってのこと」

「見え透いたご冗談を。では、世を嫌うとはまたいかなる訳でしょう」と押し返して問えば、

「そんな()らぬことを訊ねていては、もったいない夜が更けてまいります。さぁ、お休みくださいませ」と、身を起こして、戸棚から取り出したのは……。てっきり綿(わた)の少ない痩せ布団かと思いきや、()緞子(どんす)の布団と浅黄(あさぎ)綸子(りんず)のかい巻きであった。それには裏に紅色(べにいろ)羽二重(はぶたえ)があしらわれていて、おまけに猟虎(らっこ)の襟付きという驚きの贅沢品である。

「さぁさ、お休みなされ」と私を押しやって、小屏風(こびょうぶ)を立てるので、仕方なく話を途中にして、それではお先に御免と横になれば、蓬莱(ほうらい)の夢でも見そうな雲鶴の(にしき)丸枕(まるまくら)には茶を詰めてあるのか、ゆかしい香りがする。怪しさも手伝い、鼻の先に何だかもやもやしたものが立って眠ることができない。ソッと屏風の外を覗くと、女は炉の傍に(なお)もきちんと坐って何か読み物をしている。それはまさに人形のような美しさであった。


 一時間ほど経っても眠られず、またそっと女の様子を盗み見るも、先ほどと同じ状態で動かず、二時間過ぎても女はさっきと変化はない。真夜中、頭もいよいよ冴えてしまい納得のいかないこの家について考えながら、もう一度女を覗けば、しきりに火箸で灰を掻き回している。しかし、柴木は既に燃え尽きているのか炉は暖まっていない。

 木叢峠(こむらとうげ)山颪(やまおろし)の風にさすがに寒気を覚えてか、女は「湯にでも入ってきましょう」と独り言を言って湯殿の方へ行ったが、しばらくして帰り、炉の火はまったく細々となっているけれども、その傍にシャンとして坐ったまま、特に何かをする様子でもない。


『そうか、女には夜具がないからなのだ』と解った時、私は男として自分ばかり温々(ぬくぬく)と暖かい思いをしているのがさもしいような気持ちになって、今目が醒めたような振りをして、つっと起き出せば、

「お手洗いに行かれますか」と女が案内してくれる。用を足しての戻りがけに、今やっと気づいた風を装って、

「お妙さま、まだお休みにはならないのですか」と訊けば、

「はい」と答える。

「愛しいお人を待っていらっしゃるようにお見受けしますが、大分夜も更けましたでしょうに」

「ホホ、おからかいにならず、さあ、ゆっくりとお休みなさいませ」

「イヤ、こんなことを申して、違いましたら幾重にもお詫びをいたしますが、お一人住まいのご様子なれば、そんなところへ強引に一泊の宿をお願いしたので、あなたの寝床を奪ったのではないかと心配しております。もしそうでしたら、私は男、野宿の経験もありますので、一夜柱にもたれて眠るくらいのことは何の苦でもありません。あなたにそうしておられては心苦しいばかりです。私の体温で温まった布団は気味悪く感じられるかも知れませんが、どうか布団でお休みください」と言えば、顔を少し赤らめて、

「お言葉のとおり実は夜具とて一揃いしかなく、あなたをお泊めしますと申した時から私はこうして夜を明かしてもいいと思っておりましたので、お構いはご無用でございます」と言う。

「いや、それはいけません」

「まあ、そうおっしゃらずに」

「私が困ります」

「私が困ります」

「いえ、あなたこそお休みになってください」

「マァマァ、あなたこそ、お休みになってくださいませ」

「これでは際限(きり)がありません。私も男でございます。やせ我慢をして、これでお(いとま)させていただきます。女子(おなご)に難儀をさせて、自分さえ眠られればよしとするのは、一生の(きず)。母の手前、友人の手前恥ずかしくてなりません。夜道を歩く方がよほど楽です」

「それほどまでにおっしゃることに(たて)を突こうとは思いませんし、実際あなたに夜道を歩かせては、私の今までの心遣いは皆、無益(むだ)になってしまいますので、お言葉に従いもしましょうが、それではあなたに寝床を暖めていただいただけになってしまいます。その布団に恥ずかしげもなくくるまって、あなたを火もない炉の傍に丸寝させては、たとえ私が夢の中で愛しい人に逢えたとしても面白くありません。妙も女でございます。そんなことをすれば私の一生の(きず)ともなりますし、持仏(じぶつ)の手前、恥ずかしゅうございます。どうしてもあなたをちゃんとお休みさせなくては」

「そのように言葉を廻されては、どうしてよいものかわからず、無骨者の私は何とも言えなくなります」

「ホホ、そうであれば、おとなしく私の言うことをきいて、お休みくださいな」

「イヤイヤ、どうか私の言うとおりになさってください」

「マァ、頑固に剛情を張られずとも」

「頑固でも何でも、私の言うことをきいていただかねば」

「ハイハイ、わかりました。とてもあなたの頑固には叶いませんから、あなたのおっしゃるとおりにいたしましょ。ホホホホ、まぁ、怖い顔をして……」

「怖い顔は生まれつきです」

「怒られましたの?」

「いいえ、ご厚意に対して何で怒ることがありましょう。ただ少し真面目になっただけです」

「ホホ可愛(かわゆ)らしいこと。真面目にですか?」

「ハイ、真面目に」

「では、私も真面目に申しましょう。サァ、露伴様」

「何でしょう?」

殿方(とのがた)のおっしゃることさえ通れば、女子(おなご)の言い分は通らずともいいとお思いか」

「えっ?」

「ご自分の言葉だけを無理矢理に心弱い私に承知をさせて、私の(まこと)には見向きもしないなどと(むご)いことをおっしゃるおつもりか」

「知りません」

「知らないとは、これご卑怯というもの。サァ、こちらに来て、ご一緒に(やす)みましょう。私もあなたの言葉を立てますから、あなたも私の一言(いちごん)を立ててくださいませ。お身体(からだ)()ける訳でも、汚れる訳でもありますまいに。オヤ、なぜそう固くなって、四角張っておられます。エェ野暮なお方」と、柔らかな手で私の手を取り、私をじっと見つめたまま、当たり前のように引き立てようとする。その美しさ、恐ろしさ……。


 私は肝も凍るばかりぞっとして、目を(つむ)り、唇を噛みしめて、心の中で、うろ覚えの文帝遏欲文(ぶんていかつよくぶん)を唱えたのであった。


蘖海茫々(げっかいぼうぼう)たり首悪色慾(しゅあくしきよく)()くは無く、塵寰擾々(じんかんじょうじょう)たり犯し易きはただ邪淫なり、抜山蓋世(ばつざんがいせい)の雄、ここに坐して身を亡ぼし国を喪ひ、繍口錦心(しゅこうきんしん)の士、これに()りて節を(やぶ)り名を(おと)す、(はじめ)は一念の差たり遂に畢世贖(ひっせいあがな)()きを致す、何ぞすなわち淫風日に(さか)んにして天理淪亡(てんりりんぼう)するや、(まさ)に悲むべく当に(うら)むべきの(おこない)を以て(かえっ)て計を得たりとなし、(しこう)して衆怒衆賤(しゅうどしゅうせん)事恬(てん)として(はず)るを知らず、(いん)()を刊し麗色(れいしょく)を談じ、目は道左(どうさ)のに嬌姿(きょうし)注ぎ(はらわた)簾中(れんちゅう)窈窕(ようちょう)に断ゆ、あるいは貞節、あるいは淑徳(しゅくとく)(よみ)すべく敬すべきを遂に計誘して完行なからしめ、もしくは婢女(ひじょ)、もしくは僕妾(ぼくしょう)、憫むべく憐むべきに(つい)勢逼(せいひょく)して終身を(けが)すを致し、すでに親族をして羞を含ましめ、なお子孫をして(はじ)を蒙らしむ、すべて心昏く気濁り、賢遠ざかり(ねい)親しむに由る、(あに)知らんや天地容し難く神人震怒し、あるいは妻女(さいじょ)酬償(しゅうしょう)しあるいは子孫受報す、絶嗣(ぜつし)の墳墓は好色の狂徒にあらざるなく、妓女(ぎじょ)祖宗(そそう)は尽くこれ貪花(たんか)浪子(ろうし)なり、富むべき者は玉楼に籍を削られ、(たっと)かるべき者も金榜(きんぼう)に名を除かる、笞杖徒流大辟(ちじょうとりゅうたいへき)、生ては五等の刑に遭い、地獄餓鬼畜生、没しては三途(さんず)の苦を受く、従前の恩愛ここに至って(くう)と成り、昔日(せきじつ)の風流しかも今安(いずく)にか在る、その後悔もって従うなからんよりは(はや)く思うて犯す勿きに(いずれ)ぞ、(つつしん)で青年の佳士(けいし)黄巻(こうかん)の名流に勧む、覚悟の心を発し色魔の(しょう)を破らん事を、芙蓉(ふよう)の白面は帯肉(たいにく)骷髏(ころ)(すぎ)ず、美艶紅妝(びえんこうしょう)、すなわちこれ殺人の利刀(りとう)なり、たとい花の如く玉の如きの(かんばせ)に対しても、常に姉の如く妹の如くの心を存して、未行者(みぎょうしゃ)は失足を防ぐべく已行者(いぎょうしゃ)は務めて早く回頭(かいとう)せよ、更に望む、展転(てんてん)流通(るつう)(たがい)相化導(あいけどう)し、必ず在々(ざいざい)(ひと)しく覚路(かくろ)に帰し、人々共に迷津(めいしん)を出でんことを、首悪すでに除き万邪自ら(しょう)し、霊台滞りなく世栄(せいえい)遠きに()れん()……』(*6)



 *1 「昔、西行が……良しとするし」……西行が一夜の宿を頼んだ時、それを断ったのは『(たえ)』という遊女であった。

 *2 宇治の華族様が香煎(こうせん)()の一杯を振る舞うのも惜しむように……「新日本古典文学大系」の注には、「『源氏物語』宇治十帖で、八の宮の姫君たちが薫の処遇に消極的であったことを踏まえる」とある。

 *3 大沢(おおさわ)とか徳次良(とくじら)……日光道中の宿駅。

 *4 野州(やしゅう)……下野の別称。

 *5 孫山……(もと)となる山に続く小さな山。

 *6 『蘖海茫々たり――』……禍災(わざわい)という海は果てしなく広いものであるが、その中でも色慾は最強の元凶というべきものである。(けが)れきり、乱れきった人間世界の中で犯し易いのは邪淫である。強大な力と圧倒するほどの気力にあふれた英雄も色慾邪淫に堕して身を(ほろ)ぼし、国を(うしな)う。優れた詩文の才を持つ士もまた同様の原因で、礼節を破り、名を落とす。最初はほんの軽い気持ちだったことが、遂に一生をもってしても償い難い罪を犯す結果に至る。しかし、何としたことか、淫乱の風は日に日に強まり、不変と思われていた真理が(すた)り滅んでしまうと、本当は悲しみ、(うら)まねばならない行いを、逆に自分にとっては悦ばしいことと受け止め、多くの人の怒りや(さげす)みにも平然として、恥じるということを知らずにいるようになる。淫らな詞文を作り、美女談義にうつつを抜かし、道を行く女の色っぽい姿に目を()り、にやにやしながら、(すだれ)の中にある柔らかな姿態を思い浮かべ、心を(とろ)けさせる。貞節や淑徳といった誉め(たた)え、尊敬すべきものに対して、策略を講じて別の方へ気を惹かせ、本来の(ぜん)と言われるものに向かわせないようにする。また、婢女や下女などは、そもそも情けをかけるべき者たちなのに、威を借りて迫って(はずかし)め、彼らの生涯に消えることのない(きず)をつける。それは、親兄弟に恥をかかせるだけではなく、代々までの面汚しとなるものである。これらは(すべ)て後ろ暗く、薄汚い気持ちの、とても(けん)とは言えないことから生じるものであり、性悪(しょうわる)な仲間とつるんでいることに由来するものである。天地はこれをちゃんと解っており、許さず、神人は震えるまでに怒る。その結果、妻や娘が身を売るなどして、哀れにもその埋め合わせをすることとなり、子孫はその報いを受ける羽目になるのである。跡取りの絶えた家の墓は好色のならず者ばかりであり、遊女の先祖はことごとく女漁りに血道を上げた極道者である。富を誇っていた者は立派な御殿から追放されて籍を抜かれ、貴いと言われた者も科挙試験合格者名を記した黄金の札から名前を消される。生きていても、(むち)打ち、杖(棒)打ち、懲役、島流し、死刑という五等の刑を受け、地獄餓鬼畜生という三悪道の世界に陥り、死んでは猛火に焼かれる火途(かず)、互いに食い合う血途(けつず)、刀などで脅迫される刀途(とうず)という三途の苦を受ける。これまでの情愛はここに至っては姿形もなくなって、昔、風流に暮らした面影など今はどこにもなくなってしまう。後で後悔するのか、それとも、その非を早く悟って過失(あやまち)を犯さないようにするのか、どちらが良いか考えてもみよ。謹んで青年に言う、書物の中の名士、君子たちに(なら)え。そして、覚悟の心を立てて、色慾という魔の障害を破らんことを願う。芙蓉(ふよう)の花のような美女の白い顔も、言ってみれば肉を(かぶ)せた骸骨に過ぎないのだ。化粧をして美しく飾った女、これはそのまま人を殺す鋭利な刀なのである。たとえ花のような、また玉のような美顔であっても常に姉や妹に接するような気持ちを持て。まだ罪を犯していない者は道を踏み外さないようにし、すでに過失(あやまち)を犯したものは、出来る限り早く悔い改めよ。更に望むならば、この教えが人から人へと伝わり、お互いに教化し導き合い、あらゆる所でひとしく皆が正しい道に帰し、人々が迷いの世界から抜け出れば、元凶なるものは既に除かれ、すべての(よこしま)なものは自ずから消え去って、心は正しい道へと迷うことなく進み、誉れ高い世の中が末永く続くだろう。


「新日本古典文学大系」の巻末補注に、文帝遏欲文(ぶんていかつよくぶん)の解説として、

「文帝遏欲文」は、人生と社会を誤らせる最大の悪を色慾にあるとし、その恐ろしさの強調と、克服の後の安寧とを伝える。文中には「芙蓉の白面は帯肉の骷髏に過ず」と、後段への布石ともなる一節も含まれており、作品読解にこの長い引用が無視できないことは確かであろう。(P.499)――とある。


前回この部分は本文はもとより、勝手訳も省略したのだが、今回は「新日本古典文学大系」の脚注を参考にさせていただき勝手訳を試みた。しかし、文字通り勝手に訳した部分もあるので、正しい訳となっているか、自信はない。

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