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洞窟の入り口に辿り着いたのは、思ったよりも早かった。とは言っても既に陽は落ちかけていて、洞窟の入り口はただ黒い塊がそこに置いてあるかのようだった。
本能的にとでも言うべきか、こういった真っ暗な穴を前にすると、どうしても入りたくないと思ってしまう。
ここからは流石にパロマ一人が持つ灯りだけで進む訳にはいかず、四角いランタンのような物を荷物の中から取り出し、各自持つことになった。
洞窟の中は湿っている印象を持っていたが、気温が低い所為かさほど湿度は感じなかった。快適であるとは言い難いが、少なくとも不快な空気ではなかった。
杖とランタンの灯りに照らされて、長い影法師が洞窟の狭い壁に何体も揺らめいていた。
洞窟は複雑に入り組んでいるようで、分かれ道のような穴がいくつもあった。そして、洞窟の中は嵩のある荷物を持って進むにはかなり狭かった。場所によっては荷物を態々降ろし、這いつくばって身体を通した後にロープで荷物を引き寄せなければならない程だった。
この荷物の上げ下げは進行速度にも影響を及ぼしたが、それよりも体力的な面で大きな足枷となった。ただでさえ山中の戦闘で消耗しているところにこの仕打ちである。俺も限界だったが、恐らく他の二人も限界が近いはずだ。
しばらくして、休憩するにはもってこいの少し開けた空間に出たが、パロマは足を止めなかった。俺は堪らず声を上げた。
「どこまで進むつもりなんだ。流石に力が入らなくなってきた。下手すりゃ足を滑らせて下の穴に落ちちまうぞ」
「…偵察隊の調査によると、この先に大きな空間があるようです。今日はそこで野営するつもりです」
「あとどれ位なんだ?」
「半分は越えました」
「まだ半分あるのか…」
俺はちょっとした絶望を感じた。それを汲み取ったのか、パロマが珍しく譲歩してくれた。
「…あなたはここで少し休憩していてください。魔力を使いすぎたのでしょう」
「いいのか?」
「このすぐ先にロープを渡さなくてはならない場所があります。メリッサは必要な荷物だけ持って私と一緒に来てください」
「わかりました」
メリッサが背負っていた大荷物を降ろし、中からロープと幾つかの道具を取り出し始めた。
「私たちが戻ってくるまで休んでください。それまでここを動かないように」
「ここで迷子になるつもりはないよ」
メリッサの用意が済むと、二人は先に進んでいった。俺は残された荷物を意味もなくポンと叩いてから座り込んだ。
改めて辺りを見回す。この場所は多少開けていることもあって、来た道と二人が向かった道の他にも進めそうな道がいくつかあった。
少し風を感じた気がした。
気を抜くと寝てしまいそうだった。寝てしまったところで、どうせ二人が戻って来れば叩き起こされるのだろうが、一応荷物番の役割もある。俺だけ休憩している手前、そのくらいはやってらなければ立場がない。
遠くで小石が転がるような音がした。
ランタンの灯りを見つめる。中の光は炎ではない。これも魔術の一種なのだろう。手をかざしても熱は感じない。
ジャリ、と地面を踏みにじる音がしたような気がした。
二人が戻って来たのだろうか。だとしたら、やけに早い。
カチカチと、洞窟の床を硬く細いもので叩く音がした。
パロマの杖、にしては音も間隔もおかしい。
何かいる。
直感と呼ぶにはあまりに愚鈍な反応だった。二人が戻って来ているのなら灯りが見えるはずだが、二人が進んでいった方向にも周囲にも近付いてくる灯りはなかった。
パロマ達ではないのだとしたら、ランタンの灯りの所為でこちらの位置が丸見えのはずだ。布を被せようかとも思ったが、おそらく手遅れだろう。それより、こちらの視界を失うリスクの方が高い気がする。
近付いてくるものは、明らかに一つではない。
俺は意を決して立ち上がり、ランタンを高く掲げた。
ランタンに照らされて唸り声を上げたそれは、毛皮がなく皮膚が露出しているかのような醜悪な熊のような化け物だった。
ビビアーナを襲っていたあの魔物だ。しかも二匹いる。
何でこいつらがここにいる。
案外何処にでもいるものなのか?
冗談じゃないぞ。
二匹の魔物は唸り声のようなものをあげながら、じりじりと近づいてくる。ランタンの灯りに怯む様子は全くない。
真っ直ぐ突っ込んでこられるよりも、恐怖を感じる。獣と言うより、ハンターの行動だった。
まだ魔物との距離はあったが、俺は堪らず腰の魔剣を抜いた。
その瞬間、がくんと膝が落ちた。
まずい。力が入らない。
疲れがここにきて出たのか。それとも魔力の使い過ぎというやつか。
どちらにせよ、このままでは殺される。
今の俺の様子は、魔物にとっては大きなチャンスのはずだが、不気味なことに奴らは歩みを早めるこよなく、じりじりと距離を詰めてきている。
くそ。
俺は魔剣を持っていない片手を膝に乗せ、力を振り絞りゆっくり立ち上がった。
二匹はお互いの距離を少しずつ開いている。左右から同時に攻撃するつもりなのだろう。
このままでは魔物の都合のいいタイミングで仕掛けられるのを待つだけだ。しかし、こちらから仕掛けようにも足が言う事を聞かない。
どうする…。
考えている時間はなかった。二匹の魔物は示し合わせていたかのように、突然駆けだした。
死を覚悟するより前に、過去の情景が脳裏を過ぎった。デジャヴだ。しかし、理由ははっきりしていた。
この世界に初めて来た日、ビビアーナと出会ったあの時と重ねている。
出来るかどうかなんて考えもしなかった。
俺は魔剣を地面に刺した。自由になった両腕をそれぞれ魔物へ向けて突き出した。
二匹の魔物の爪はほぼ同時に俺の左右の腕に到達する。爪が肉に食い込み、骨はひしゃげ、両肩は脱臼するほどの力任せの攻撃。だが、そうなる寸前、目の奥に光を感じた。
二つの爪は硬い壁に弾き返されたかのように押し返されていた。二匹の魔物は仰向けに倒れた。
魔力を消耗していた為か、以前とは異なり腕を千切り取るような威力はなかった。しかし、それで十分だ。俺は地面に刺した魔剣を素早く抜くと、力の限り踏み込んで右の魔物の首を跳ねた。
次は左だ!
だが、振り向いた時には既にもう一匹の魔物は体勢を立て直していた。二本足で立ち上がり、両手の爪と牙の全てを使って俺を引き裂こうと圧し掛かってきた。
俺は急激に朦朧とする意識の中、咄嗟に剣先を魔物の胸に差し込んだ。
目から光が抜けていき、同時に意識が遠のいていった。
俺は気を失った。