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開いていたはずの瞼を再び開き、同時に身体を起こす。そして辺りを見回した。
「まじかよ…」
俺は木漏れ日の差す静かな森にいた。あの妙な場所ではない。つまり、生き返ったのだ。
いや。そもそも死んでなどおらず、あれが全て夢だった可能性もある。
「ここはどこだ…?」
さっきも言った気がする。
見覚えのない森だ。都会暮らしの俺に見覚えのある森などないが。
本当に現実なのか?
起きたつもりで、まだ夢だったなんてことも有り得る。
もしこれが現実とするなら、見覚えのない場所にいるという事実こそが、異世界にいることの証拠なのかもしれない。
あの少女は異世界とは言ってない気もするが。
「訳分からん」
ともかく、現状を把握しなくてはならない。そう思って立ち上がると、それまで静かだった森が急に騒がしくなった。始めは自分が発した音と錯覚したが、そうではない。
ガサガサと言う木の葉を蹴散らす音、そして人の声だ。
思わず体を強張らせる。そして、耳に意識を集中させる。
音と声は徐々に近づいてくる。
というか、こっちに真っ直ぐ来てないか?
「まずいな。隠れた方が良いのか…?」
やましい事がないのに逃げだの隠れるだのすると、後々面倒になることは良くある。しかし、そんな逡巡をしている余裕はなかった。今度ばかりは、すぐに隠れるのが正解だったようだ。
木々の隙間からこちらの方に向かって走る人影が見えた。そして、その後を追う大きな影が見えた。熊のような、いや、俺の知っている動物ではない。
今からでも逃げ出さなくては、そう思ったがもう手遅れだった。
追われている人影が、俺の姿を見つけていた。
確実に目が合った。まずい。
「た、すけてください…!」
息も絶え絶えな女の叫び声が聞こえた。
いや、無理。
追っているそれが熊だろうとそうじゃなかろうと、俺にどうにかできる訳がない。
だが、こちらの事情などお構いなしに、女は真っ直ぐこちらに向かって走ってくる。
覚悟を決めるか?
何の覚悟だ。
そういえば死んだんじゃないのか俺は。死人が死を覚悟するのか?
というか、あの女すっごい足速いな。
結局、俺は身構えるような姿勢のまま固まっていただけだった。単に恐怖と混乱で動けなかっただけなのだろう。
しかし、何をどう都合良く捕えたのか、女はあっという間に駆け寄ると、固まっている俺を盾にするようにさっと後ろに回り込んだ。
目の前には、毛皮を剥いだ熊の様な醜悪な姿の化け物が、その鋭い爪を振り下ろそうとしている姿があった。
駄目だな、これは。
精神は完全に諦めモードであるが、危機を前にして身体は反射的に両腕を前に出していた。
振り下ろされた化け物の爪が腕に食い込む。そう思えた瞬間、化け物の爪はその腕ごと千切れ飛んでいた。
光が見える、まぶしい。
化け物は自らの腕に引っ張られるように仰け反り、そのまま仰向けに倒れた。身体が地面に着くや否や、化け物は俊敏な動きで体を捻じると、残った手足で駆け、俺達から距離を取った。
化け物は何度か立ち止まりこちらを振り返るが、そのままこの場を離れていった。
何なんだ。何が起きた。
腕が熱い。
自分の腕を慌てて確認する。しかし、ズタズタ裂かれて血塗れになっているはずの腕は、綺麗なままだった。
俺は呆然と自らの腕を眺めていた。その腕を強引に引っ張る者がいた。事の元凶だ。
「ありがとうございます、見知らぬお方!」
女は俺の手を両手で抱えるように引き、そう言った。
五月蠅かった。
目の前の人間に向ける声の大きさではない。
巻き添えで殺されそうになった状況も含めて色々怒りが湧いてきたが、彼女の身なりを見た俺は怒鳴り返すのを辞めていた。
彼女の服装は明らかに俺の知っている現代のものではなかった。
こういうのは何て言うのだろう。簡素だが仕立ての良さが分かる、民族衣装とでも言えばいいのだろうか。
服への興味も知識もない俺には形容しがたいが、とにかく知らない服装だった。現実世界では存在しえないと思えた。
「あなたはとても強い魔力をお持ちなのですね」
そしてこの言葉が、決定打となった。
ここは異世界らしい。