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第31話 エイダとジゼル

 エイダがジゼルの家に転がり込んで二週間が経過した。


 この期間中、エイダは街に出てひたすら人々を観察することを日課としていた。人々にウィルミアの竜が呪いを食い込ませているのがはっきりと分かる。今や、そのいずれをも模倣し、あるいは接続点の入射角を意図的にずらし、運命を操作することすら可能だった。〈観測者〉たるアリス化が進行しており、エイダにできないことは少ない。それほどの全能性を備えつつあっても、以前の単なる無職の少女のときとエイダは変わらない。自分には絶大な価値があり、他の人間がそれに莫大な対価を払うのが当然という自信だ。


 どんな因果か分からないが、現在ウィルミア全土で、根拠のない自信に満ちた若者が増加の一途を辿っているらしい。イブニングニュースでそれが報道されていたが、ハイネマン隊長が一目見れば、間違いなく激怒しているであろう。彼らは学校を卒業しても親の世話になってばかりで、労働意欲がない。それでいて、自分は絶大な能力を持っているのだから、他者が対価を払うのは当然であるという確信を抱いている。エイダからしてみれば笑止千万であった。自分のように真に優れた力もない凡百に努力が必要なのは当然だ。まして彼らのすべてが、自分のように親が金持ちというわけでもあるまい。早晩、困窮するはめになることは想像に難くない。


 朝の町を一望してみれば、あらゆる場所で接続点を迎えているのが見える。世界が無数の一場面として形を変え、あたらしいものに変化していく。ブロックノイズの混じったフレームレートの低い動画のようで、そのブロックの一つ一つを注視すると、誰かが何かを成し遂げている。平凡でつまらないものだろうと、偉大なものだろうと、世界は無数の物語の分岐によってできている。


 もちろん、そのすべてをエイダは操作することができる。


 彼らがどんな選択をしようと、どんな行動に出ようと、それと反する、あるいは順ずる、エイダが望む結果を招くように入射角を操作できるのだ。遠く離れた場所であろうと、連鎖的にブロックのひとつひとつを変化させることによって世界全体を操れる。

 今よりも熟達したなら、いずれは一瞬で世界のすべてを操作できるようになるだろう。


 そんな力を得たエイダが果たして何をすべきか、と思えば、しかし、なにも望むものはなかった。

 既に財力も人間的能力・魅力に付いても獲得しているし、ウィルミアを脅かす呪いの力すら取り込むことができる。

 せいぜい、ジゼルが課してくる家事労働をこなすために用いる程度である。

 だからエイダは、今日も湾口地区にいた頃のように、一日中散歩したり本を読んだり、部屋でテレビを見たりして過ごしていた。


 ジゼルの態度は、エイダが言われたことをこなしているように見えているお陰で、徐々に軟化していった。エイダのほうも家主への感謝として、彼女の給料に少し色をつけてあげたりした。ジゼルは喫煙者だったが、部屋を汚さないように一々外に出て吸うなど、意外と細かいところを気にする人物だった。


 彼女は小指の爪だけ伸びるのが早いという呪いに憑かれていた。解呪師としてはそこそこで、だいたいジェシカ以上ノア以下といったところだ、とエイダは分析していた。仕事は専ら一人でこなし、どちらかというと真面目なほうだが、友人はそれほどいないようだった。


 ある日、エイダとジゼルは食事に出かけた。どちらが言い出したのかは定かではない。安めの焼肉店に入り、肉を焼きながらジゼルは社会への不満を述べた。


「わたしのような人間が割りを食うふざけた現状だ。お前をはじめとした怠惰な人間が帝国に多大な負担をかけているのだ」

「どうにかするヴィジョンは?」

「ない。だから困っている」

「気にしないのが一番だと思うよ、ジゼル。そもそもこの世界は真面目な人間が得をするようにできてない。得をするのは得をしようとしてそれに最適化してる人間だから。常に得をしようとして、他人を出し抜こうとする。そういう人間の人生が果たして得だと言えるのかな」

「逆説的な話だな」

「今は肉を食べて英気を養ったほうがいいと思う。遠慮しないで」

「わたしの金なのだから遠慮しないのは当然だろう。むしろお前が遠慮すべきだ」

「それはしない。私は偉大で崇高な存在。遠慮をする必要がない」

「馬鹿な発言はよして口に肉を詰め込んでいろ。そちらの二枚が食べごろだ」


 エイダはもともと小食なのでそこまでたくさんは食べなかった。後半はほとんどジゼルが食べるはめになった。

 エイダは、ジゼルは自分に比べれば矮小で凡庸だが、善人なので幸福になって欲しいと僅かに思った。

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