第30話 方向性誘導
「意外と狭いですね、この二倍はあるかと思った」室内を見回しながらさっそくエイダは無礼な発言をする。
「それで、結局お前は何だ? 解呪師か? どこの人間だ」顔をしかめてジゼルは誰何した。
「本来の住所は湾口のほうですが解呪師ではありません。労働はしない主義です」
「じゃあどうやって暮らしている? 親の世話になっているのか?」
「はい。一人暮らしですが仕送りで」
「ひどい話だ。労働に従事していないのであれば、せめて実家暮らし、そして家事くらいはすべきだろう。単なる負債じゃあないか」
「そんなことはありません。私は至高の才女、不世出の傑物です」
「たわ言はこの数分だけでもう一年分くらい聞いたぞ。とにかく、なぜか知らないがわたしはお前を家に滞在させることになってしまった。実に憂うべき事態だ。だから、お前にはせめて家事を担当してもらうぞ」
家主のジゼルが指差しながらエイダに強い口調で言うが、もちろんどこ吹く風で、イブニングニュースを見ながら茶菓子を食べる始末だ。
ジゼルは激昂したが、エイダは、大丈夫です、やります、と言うので半信半疑で先に寝ると、朝起きたときには食器がきれいになっていた。意外さに驚愕しつつも、エイダの滞在を嫌々ながらも認め、ジゼルは仕事へ出かけた。
「なるほど。こういうことも可能になってくるわけだね」
カウチ上で横になりながらエイダは姿のはっきりしないアリスに言った。
昨晩は最初、〈金字塔〉の呪いを発露させ魔人に皿洗いをさせようとしたが、試しに接続点の入射角を少しずつずらすことによって、本来ならばあり得ない「エイダが皿洗いをする」という結果を世界に上書きさせることができた。どうやら、本来はあり得ないといってもそれがエイダの性格に由来するだけであって物理的には可能である点、そして因果律というか入射角を観測する上位存在のアリスが近くにいるという点、この二つによって容易にコトが済んだようだ。
「だけどこれ、あんまり使いすぎると当局から怒られそうだ」
「いえ、これは呪いの私的利用には当たらないわよ」
「そうなの?」
「世界が突入する方向を少しずつずらして、エイダが望む世界へと到達しているだけだから。呪いとはまた別な力ね」
「どう違うのかよく分からない」
「それには焦点の話をしなければならないわ。あたしは前にも言ったようになにもしない。〈方向性〉を与えるだけ。与えて彷徨させるというのがあたしの役割であるからよ。あなたも、ウィルミアの竜も、この場所の焦点。世界そのものの入射角を変えて、異なる結果に到達させる、言わば水先案内人かハイジャック犯だわ」
エイダはアリスの言うことがよく分からなかったが、ウィルミアの竜が呪いの原点であり、エイダはそれとは別の力を使っているので問題はないということ、さらに、エイダもウィルミアの竜と同じようななんかすごい存在なので、呪いに対して親和性があるということは理解した。
「そう。そういうことよ。あたしはそれを観測する――どちらの方向に進むかを決めるのはエイダやあの竜であって、あたしの知るところではないわ」
「力をフルに使えば最悪で何ができる?」
「この世界を破滅に導くくらいはできると思うわ。だけど、それには少しばかり時間がかかるわね」
「どのくらい?」
「七時間くらい」
「それはちょっと長いな。ちなみに元に戻せる?」
「容易ではないわ。壊すのはたやすいけれど、創るのは難しい、これは世の常」
「具体的には?」
「十五時間はかかるわ」
「そんなにか。じゃあ、ジゼルがあんまりにも色々言ってきたときくらいにしておこう」
しかしジゼルは意外にも忍耐強く、しばらくその機会はなかった。




