第28話 労働体験
それから数時間後バスに乗って近くの街まで来るとさびれたダイナーがあり、外壁には大量のカタツムリが這っていてどうやら呪いらしかった。
アリスはどこにいるのか曖昧な形で同行している。店の中に入ると長距離トラックの運転手らしきおっさんや、近所の農家の人とか旅人、そして見覚えのある解呪師がいたが誰かは明確ではなかったのでエイダは話しかけなかった。
パンケーキを注文して待っていると、くだんの解呪師が大量のマッシュポテトの乗っかった皿を手に隣に来て腰掛けた。身の丈百八十センチはある女性で、中世の英雄的伝承や昨今のライトノベルに出てくる女騎士然としていた。
「お前を知っているぞ、確か高等遊民をしているというドレッドノート級にたわけた少女ではないかと私は記憶している」
「その記憶は正しいけどあなたは誰ですか?
「私はアルカディア。皇帝陛下の一の剣。生ける伝説。私が打ち砕けぬ障壁はいくつかの例外を除いて皆無と言っていいだろう。お前は確か、湾口地区だかでやっかいになっているのだろう。合同作戦のときに見た。自分の尻尾を食らう竜を倒す任務だったが、その場にただ野次馬気分で居合わせた暇人の一人だったな」
「そうです」
「なにゆえに、このような場所で邂逅したのだろうか。これも運命の神のなせるわざか。ときに少女よ。お前は伝説になりたいと思わないか?」
「伝説とは?」
「その名の通り、人が伝え、説くもの」
なら自分はもうなっているので今からなる必要はないとエイダは答えた。
なぜか行く先々で高等遊民としての自分を、解呪関係者は知っているのだ。
もはやこれは伝説的存在ではないか。
「お前は前向きにものごとを捉えるのはいいが、収入がなくば辛かろう。いや、お前ではない。お前を支援しているご両親が辛いだろうという話だ」
そんなことはないと言おうとするエイダを手で制してアルカディアは、
「お前は一度も働いたことがないそうだな、もとい、働こうとしたことすらないというチャンピオン級の高等遊民だ」
「そうする必要がないゆえに」
「必要のないことを自分の意思、気分でなしえるのが人間だ。それゆえに私はお前に提案をする。戯れにでいいので労働を体験してみないか?」
それだけは嫌だとエイダは述べた。
「そうだろう。しかしそれは、お前が労働は不当に苦痛を味わうものだというイメージを所持しているからであって、それを乗り越えれば、あるいは、労働の楽しみに目覚めるかも知れぬではないか。お前は断じてそれに同意はしないだろうがな。そうでなくば、お前の認識が正しかったと、十全の意志を持って改めて高等遊民生活に興じることができよう。いずれにしても損はなかろう。
急いでいるわけではあるまい、こんな片田舎にお前が来たのも、明確な目的があってのことではないのだろう? ならば、そのいたずらな放蕩の性質を、わずかばかりの労働に向けてみてはいかがか、エイダよ」
「具体的にあなたは私になにをさせたいのです?」エイダは面倒になって直截に聞いた。
「交通量調査の仕事だ。この休憩が終われば、私は再び表に出て、車の数をカウントする」
「車なんて通っていませんよ。一時間に二台くらいじゃないですか」
「いかにもそうだ。極めて楽な仕事だと思わないか」
「確かに」
「だから、私の代わりにそれを数分だけ体験してみないか、という話だ」
「二つ質問があります。まず、伝説的な解呪師であるところのあなたが、どうしてそんなアルバイトをしているのか。次に、なぜそんなに私に労働を体験させたいのか」
それに対してアルカディアは極めて簡潔に答えた。
最初の質問に関しては、なんでも彼女の妹が高校を出た後進学も就職もせずだらだらと家で過ごしており、せめてアルバイトでもするように進言したが聞く耳を持たない。簡単なバイトの代表として交通量調査を薦めたが、妹は、いや簡単ではない、意外ときついと聞く、などと反発した。自分で体験したこともないのにきついと断じてやらないのは良くないと言おうとしたが、アルカディアもやったことはないので、まず自分でやろうと思い今回この遠隔地で実施することとなった。
二つ目の質問に関しては、エイダの存在が妹と重なったのだという。このまま妹がエイダのような重篤患者になる前に食い止めなくてはという使命感、そして音に聞こえた怠惰者のエイダにも少しは労働して欲しいという願望、それが答えだった。
それを聞いてもエイダはもちろん労働しようとは思わなかったが、アルカディアが働く姿を見ようとは思ったので、彼女の休憩が終わったところで一緒に外に出た。
外の様子は一変していた。先ほどまでとは違い、膨大な量の車が土煙を上げて高速で過ぎていく。
道路も、さっきは確か、二車線だけだった気がするが、今や片側六車線の広大なものになっていた。
エイダは労働はやはり悪だという考えをより強固なものとし、アルカディアに、じゃ、引き続きがんばって、とだけ言い残して歩き出した。




