第20話 襲撃計画 前編
ウィルミアの中央区から東へ数キロ行ったところに広漠な領域が存在する。都市はそこで巨大な剣で切られたように途切れ、平原が数百キロに渡って存在している。この地に立ち入ることなく、都市の中を少しばかり回り込めば、すぐに平原の向こう側にたどり着くことができるのに、真っ直ぐにそこを突っ切ろうとすればちょっとした長旅になってしまう。
この空白地帯が出現したのは比較的新しく、十五年ほど前のことだ。これほど大規模な呪いを解除するのは骨が折れるし、実害はほとんどないので今日までずっと放置されている。仕事に当たって周囲を巻き込むことを嫌う良心的な解呪師が、獲物をここにおびき寄せて討伐することがたまにある。大半は外部からこの街へやって来た人間だ。純粋なウィルミア人は呪いを解くに際し都市が一時的に破壊されることは別に気にしないのだから。
そんな空白区域に不吉な影が到来した。湾口地区の解呪師、ウィルヘルミナ・フリードだ。
長い灰色の髪を風に靡かせ、彼女は一人の人物の元へと歩み寄る。
その相手以外、周囲には何も存在していない。ウィルヘルミナの髪と同じような灰色の土だけが広がっているだけだ。
待ち合わせの相手はぼろぼろのマントを纏った、武人のような顔つきの男だ。ウィルヘルミナの同僚であるリジェルに近い巨躯。眼光は冷たく解呪師を捉えている。
「来たか、魔女めが」男は感情の篭っていない口調で言い放った。
「魔女じゃあない、美女だ」不遜な調子でウィルヘルミナは返す。「時間には間に合ったかな? 果たし状なんかもらうのは初めてだから、ちょっとまごついたけどさあ。そんな律儀に構えず、気安く襲撃してくれて構わなかったのに。お心遣いに感謝すべきかな、あたしは」
「雇い主からの依頼だ。お前をここに呼び出し剣を交えよ、とな」
「ほう。いったい誰からの依頼かな? ローランド子爵? 〈スカーフェイス・ジャッキー〉か? あるいは〈聖槌騎士団〉? もっとも誰だろうと目的はおんなじだろうけどねぇ、呪われしこの身を滅ぼさんとする、正義の義憤に基づいてのことなんだろ?」
「俺の知るところではない。いずれにしろ、貴様は終わりだ、ウィルヘルミナ・フリードよ」
「そいつはこちらの台詞さ。〈禁忌〉があんたを打ち砕く。ここなら周囲の被害を気にすることもないからね。あたしはこう見えて良識派なんだぜ。さて、やろうじゃないか」
そこからの戦いはしかし、ひどくあっさりしたものだった。ひとつ驚かされたのは、刃を投擲する仕掛けナイフだったが、それが肩口に突き刺さったまま何食わぬ顔でウィルヘルミナは突進した。剣さえ抜かず、男の脇腹に軽く触れただけだった。しかし、その一瞬〈禁忌〉の呪いを静穏から災禍状態へ切り替えていた。
ウィルヘルミナの忌まわしい呪いは、静穏の状態であっても、人々の五感がそれを受け入れることを拒み、呪いへの抵抗力の低い者を人事不省に陥れてしまう。
それが災禍と化せばどうなるか。
男の胴体は、巨大な肉食獣に齧りとられたように、ごっそりと消失してしまった。
彼の肉体が――その存在自体が、〈禁忌〉の呪いへ猛烈な拒絶を示したがためだ。
男の体は劇薬に浸されたように煙を上げ、傷口は塵と化し、それはじわじわと燻るように広がっていく。
どたりとその場に倒れ伏した刺客に歩み寄り、ウィルヘルミナはまさしく魔女のように笑った。
「あんたには、あたしの顔が見えていないのだろうね。それどころか、もはや激痛がその身を苛んでいるだろう。禁忌に手を出した報い……と言いたいところだけれど、存外元気そうだな。ああ、あんたはあたしの呪いの一部だから、そこまででもないのか、拒絶反応は。まあ、決着は付いたってのに変わりはない」
その言葉に刺客は薄く笑いを浮かべた。
「俺の仕事は終わった。分からないか、俺は捨て駒なのだ、魔女よ」男は倒れたままで言う。「俺は貴様を支部から遠ざけるように依頼されたに過ぎない。そう、浄化機構のソルディ司令によってな。今頃支部は、浄化機構の襲撃を受けているだろう。ドリス・ハイネマンを亡き者にするためにな!」
「ありゃ」ウィルヘルミナが間抜けな声を出してしまったのは、この囮作戦によって出し抜かれたからではない。
自分の呪いによって出現したはずの刺客が浄化機構の名を挙げる。
これはつまりハイネマン隊長の呪い――「浄化機構という組織が存在するという妄想」――と自らのそれが、融合症状を起こした恐れがあるということだった。
「こりゃまた、一段階厄介な方向へ進んじゃったのかな。まあ隊長と親密な仲になれたって風に解釈して、そこらへんで飯でも食べるかな。向こうは向こうで、問題ないでしょ」
まさにそのころ――湾口地区南六番隊の支部でも、白昼の戦いが幕を開けようとしていた。




