表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/33

第17話 迷宮市場

 ウィルミアには呪われたまま放置されている区画がいくつかある。呪いが都市にとって有益であったり、当面の危険はないと判断された場合、そして解呪が極めて困難であり、放置するより危険が大きいとされた場合だ。日々莫大な呪いが生まれるこの地では、そのすべてを解呪師が対処することはできず、放置指定された呪いは最初から都市の一部であったかのようにそこに馴染んでいる。


 港から市街地の中心まで広がる迷宮地区もそのひとつで、この場所は路地が極めて複雑に入り組み、しかも日々その構造が変化し続けている。東西内戦によって帝国が分かたれた七百年前には既にこの地に迷宮が根付き、成長を始めていた。当時の公社が、下手に手を出せば呪いが外部に流出し、帝国そのものが迷宮と化すであろう、と判断したがために放置され、抑制措置が続けられたが以後数世紀をかけて少しずつ広がり、今では帝国屈指の広大な市場と化していた。ここを訪れれば、国の内外、あるいはこの世界の外側から流れた品物さえ手に入るという。迷宮は暗い側面をも持ち、非合法な取引が行われる闇市場、そして怪しげな人々の潜む隠れ家でもあった。


 ある晴れた日、エイダはこの場所にいた。かねてから東リンダリアにも音に聞こえた巨大市場を、その目で見たいと思っていたのだ。市場の入り口に立つと、内部から異様な気配を感じ、鳥肌が立った。繰り返し呪いを受けることで、エイダの抗呪の力は上がり、感覚も鋭敏になってきている。この市場に宿る呪いは、他のものとは違い巨大で揺ぎ無いように思えた。しかしだからこそ、安定しているようにも感じる。複雑な構造や非合法な取引の数々は都市当局にとって厄介だが、客として訪れるぶんには危険ではなさそうだ。


 呪いの拡大を観察する解呪公社の監視部隊と、警官が常駐していたが、後者は袖の下を渡せばほとんどの行動は見逃してくれるとの評判だ。むしろ、店側にとって迷惑な客をつまみ出す用心棒的な側面も持ち合わせているとのことだ。もちろんほとんどの建物は、それとは別に独自に用心棒を雇っているが、屈強な男たちが立っているのにスリや窃盗、いかさま賭博を行う愚か者は後を絶たず、袋叩きにされたあと、遅れてやって来た警官に引き渡されることが良くあるそうだ。エイダはそんな現場を楽しみにしていたが、この日は平和だった。


 エイダと同じく買い物に訪れた市民や観光客の他に、明らかにカタギではない目つきの鋭い人々や、リジェルと同じグラブ人を初めとした外国人、あるいは呪いで肉体が変質した獣人や機械人間、不定形のドロドロした存在なども目立った。駅前でもそれなりに彼らの姿は見るが、ここはずいぶんとその密度が高い。狭い道は人々で溢れ、ラモラックに連れられて行った湾口地区の市場以上に乱雑な印象だ。道の両側には集合住宅や商店、娼館や公衆浴場が所狭しと並んでいる。建物からは電線や洗濯物を吊るしたロープが渡され、あちこちに手書きのものを含む看板が出ている。

 店主と客の値切り交渉、符丁による意味不明なやり取り、観光客同士の困惑した会話、外国語、色々な音が聞こえてくる。この乱雑な雰囲気をエイダはしばし楽しんだ。


 謎の肉のサンドイッチを買って、薄暗い脇道で食べていると、エイダに話しかける声があった。


「エイダ・ボマーよ。都市の放浪者。若き放蕩者よ。何の悩みもなさそうだな。都市の腐敗から目を背け、無為な日々を過ごしているのか」


 相手の姿は暗がりの中だが、その声には聞き覚えがあった。


「誰ですか」エイダは声のほうを見ながら誰何する。

「我が名はサイロッド。君が世話になっているハイネマンの宿敵たる〈浄化機構〉に所属する者だ。彼女に伝えてくれたまえ。『我らは脆弱な貴様の反抗活動など歯牙にもかけぬ』とな。今後も奴の家を盗聴し、若者の身体能力をどんどん衰えさせてくれよう」

「〈浄化機構〉? 実在してたんですか。てっきり隊長の妄想かと……」

「我らは虚無だ。ハイネマンのような、愚かにも気づいた一部の人間以外に我らを知るものはいない。そやつらを消すのは造作もないことだが、その前にたっぷりと己の無力さを思い知らせてくれよう」

「あのすいません、お顔を見せてもらえないですか、サイロッドさん」

「それはできない相談だ。我々は秘密結社。顔を見れば君には消えてもらわねばならない。それは互いに望むところではなかろう」

「いえ、あなたの声がなんか隊長のそれと酷似してるように思えてならないんですが」

「馬鹿を言うのではない。ハイネマンは我らの宿敵、仇敵。そんなやつとこの私が同一人物とでも言うのか? あり得まい」

「そうですか、うーん、でもやっぱり似てる気がするんで、一目でいいので顔を見せてもらえないですか」

「できん。それよりちゃんとさっきの伝言をハイネマンへ伝えるのだ。無駄な抵抗はその程度にしろと」

「はあ、まあ分かりました」


 そのあと支部へ顔を出して、そこにいたシガードに隊長の本名を尋ねるとドリス・ハイネマンだという。DORIS(ドリス)SIROD(サイロッド)――エイダは結局、その後隊長にサイロッドの伝言を伝えなかった。面倒だったので。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ