第1話 シューゲイザー
数多の軍勢を退け、竜を屠り、諸王国を統一した征服者レミュエル・リンダール一世。千年の後、彼が築いた帝国は東西に分かたれ、人々は肥大化した大都市の内で、広大なネットワーク、フットサル、カフェインたっぷりのエナジードリンク、ジャンクフード、足つぼマッサージなどに現を抜かしていた。
西リンダリアの首都、ウィルミアへと引っ越してきたエイダことアデレード・ボマーもそんな放蕩者の一人であり、この少女は大学を「通学がきつい」という理由で一年せずに退学し、「自分のやりたいことを見つけるための準備期間」という名目で、親の金でマンションを借りての高等遊民生活を始めようとしていた。
しかし、引っ越してきて一週間、朝起きると風呂場が泥だらけになっていた。浴槽はすべて埋まり、床も一面水分を多く含んだ泥が敷き詰められている。何者かが夜中に進入して散布したのではないかと疑ったが、そういえば入居時、管理会社の人が、東側出身のエイダにこんなことを言っていた――西には〈呪い〉があるから何かあったら解呪公社に連絡すると良いですよ――そのときは真剣に聞いていたなかったが、もらったチラシを見るとこれが渡りに船、「夜中に異音がする。買う食べ物が全て腐っている。自分は魅力たっぷりなのに恋人ができない。昨日まで健康だったのに二リットルくらい吐血した。何もしていないのに暗殺者に狙われている。その他、奇怪な現象でお困りの方。こちらにお電話を」
さっそく電話番号にかけると疲れた声の女性が出た。
「はい、解呪公社コールセンターなのですが?」
「えっと、朝起きたらお風呂が泥だらけなのですが?」
「泥だらけなのですか?」
「はい」
「それはご自分で散布したとかではなくてですか?」
「していないです」
「していないのに泥だらけとは、これは呪いの可能性が高いですかね?」
「どうでしょうか?」
「かしこまりました。こちらの解呪師を派遣いたしますのでご住所とお名前を頂戴できますか?」
「はい」
その後十分ほどで解呪師が来た。
やって来たのはどこかの高校の制服の上から、軍服じみた灰色の上着を羽織った小柄な少女だった。腰には古めかしい装飾入りの小剣と、似たようなデザインの杖をぶら下げている。そしてずっと足元を見ていて目を合わそうとしない。
「どうも。解呪公社の方から参りました。〈伏目のジェシカ〉ことジェシカ・フィリップソンでございます。こちらボマーさん宅でお間違いないでしょうか?」
「はい、お間違いないです」
「じゃあちょっと、わたしこれから学校あるんで早めにやっていいですか?」
「ああ、はい」
とエイダが答えるなりジェシカは足元を見たまま剣を抜いて思いっきり振った。
すると刃から恐るべき風圧が放たれ、床、壁、天井、アパート全体、エイダや隣人の肉体、地面、近所の住宅、道路、電柱など周囲五百メートルにあるすべてを粉々に粉砕してしまった。
然る後にジェシカが杖を一振りするとビデオの逆再生のようにすべては元に戻った。
肉片と化していたショックでしばらく口が利けなかったエイダだが、深呼吸して我に返ると言った。「あのすいません」
「はい? なんですかボマーさん」
「今何をされたんですか?」
「何って解呪の儀式ですよ。帝国の黎明期から続くオーソドックスなやり方です。災禍を静穏な状態に切り替えたわけで。レミュエル一世の征服と帝国の興りについては歴史の授業で習ったと思いますが、彼はそこまで英雄的ではなくいたずらに竜を屠ることに悦びを覚えるサディストだったのです。そのせいで呪われ、竜に続いて巨大アザラシ、コカトリス、熱湯をかけてくる怪人などに国を襲われ、苦し紛れに『我が右手の剣は全てを滅ぼし、左手の杖は全てを蘇らせる。そうであれば良いのだが』と漏らしたそうです。側近達は皇帝がイカれたと思ったそうですが、試しに近くにあった適当な剣と杖でやったら本当にそうなって、皆がその二振りを複製したわけで。それをウィルミアにいた傭兵たちに与えたのが我が社の始まりなのです。今も当時と同じように、呪われた場所を破壊して復元したんですね、つまりリセット、そうすれば呪いは行き場を失い解呪されるというメソッドなのですが」
「しかし、お風呂場だけ破壊すれば良いのでは?」
「そんな器用かつ面倒なことはしないですし今後もやる予定はないです。それでは解呪完了したのでわたしはこれで。よしなに。さよなら。またのご利用よろしくどうぞ」
足元を見たまま一礼してジェシカは去った。