悪がはびこるこんな世ですから
戦火に燃え、未だ迸る血潮に猛る兵たちがあげる歓声は止まず、大地を揺るがさんばかり。
触発され我が身、我が心もまるで恋する乙女が好いた男を目の前にしたように疼き、そして高ぶるもの。
そんな私達の前にずらり並べられたのは、敗戦国の王族と臣下たち。
何やら臣下たちが少ない気もしないではないが、王族の為に犠牲となったか、それとも王族祖国ともに裏切り逃げ出したかしたのであろう。
いずれにせよ、守るべきものを守らずして姿を消すとはなんと嘆かわしいことか。
不快な気持ちを吐き出すように息を吐き出しながら部下の報告を聞き、私は笑みを浮かべた。
「ノストリーク王、並びにコートクリューゼン妃。気分はどうだ?あまり君達が楽しそうに騒ぎ立てるものだから我が屈強な兵たちと剣でもって、パーティーに飛び入りで参加させてもらったよ。道中、様々な歓迎を受けたがこちらとしても体力を持て余し今か今かと遊技を楽しみにしていた者たちばかり。それなりに戦前の準備運動がてら楽しめたというものだ」
「ええ、ええ。皆、殿下の御前とあってか少しばかり準備運動としましても力が入り過ぎてしまいましたがね」
同じ人であるはずであるが、顔色を悪くするあちら側と人を食ったような顔でにたりにたりと笑うこちら側ではとてもではないが同じ生き物には見えまい。
だがあちら側の人間が怒りや怯えに誰も彼もが何も言い返せずにいる中、手足の拘束を物ともせずに喚き始めた女がいた。
その女はあちら側で王妃という立場にあるものであった。
特筆するような目立った容姿でもない彼女は、国が困窮し、他国に援助をと求めているはずであったのにこの場にいる誰よりも一際煌びやかな装いをしている。
平々凡々とした顔や体に似合わぬ金銀財宝を身に纏い、身動きすらままならないその姿はまるで裕福な子どもが持つ着せ替え人形のよう。
そんな彼女が口を開き、何を喚き始めたかと言えば
「さっきから偉そうに何よ!私はこの国の王妃なのよ、それをこんな扱いするなんて!敵国の者だとしても話し合いをするならもっとやり方があるでしょう!そんな事もわからないの、リージアナは!!」
……などという、予想を斜め上どころか正面から突き破らんばかりのとち狂ったものであったから、蛇のような、悪神のようなそんな顔をしていた彼女も思わず目を丸くした。
そしてぷっと吹き出したと思えば堰が決壊したかのような勢いで豪快に笑い出した。
「はははは!聞いたか、エネ!我々は王妃殿を敬わない蛮人扱いの上、リージアナのものだそうだぞ?」
「……誠に遺憾ですな、まさか再三先触れも出したにも関わらず、あの国と間違えられるとは」
「あの自分達を守ってくれるような国と手を結ばない限り、絶対に自分からは動き出さないような腑抜けの国に間違われるとは傑作だ。はははははは!いやはや、我々ももっと嗜虐の限りを尽くさねばなぁ。そう思わぬか?」
「思わなくもないですがしかしそう言ってまた殿下が諸外国を潰して回るような事をしでかそうと言うのであれば、否ですなぁ」
一頻り笑って臣下にそう冗談めかして言えば呆れ顔をされちくりとした嫌みが返され肩を竦めてみせた。
やれやれと軽く首を振った男は気を取り直すように視線を彼らに戻す。
「……殿下を煩わせるのも見過ごせませんし私がもう一度だけお教えする事にしましょう。この国に攻め込み民も街も城も全て落とし破滅に追いやったのは決してリージアナなどではございません。我が主、そして私の母国の名はタザンドルエ大帝国。流石にいかに世間知らずの貴方がたでもご存じでしょう、アルトゥランザルの悲劇くらいは」
アルトゥランザルの悲劇とは、率直に言えば一方的な蹂躙によりランザ、イナグ、アルハブラ、テステリージ、ヤクーマの五ヶ国が壊滅に追い込まれた恐ろしい事件である。
発端はタザンドルエの王と会合をした五ヶ国の王や臣下達が見誤り、散々にこき下ろした挙げ句、王妃に接待として自分達に奉仕するようにとまで要求した事によるものだ。
タザンドルエの王は先王が心の臓を患い急死した事により早くにその位へと就いた王であり、一見すると柔和な顔立ちをした青年であったがその力や頭脳などを見れば神に等しいとまで称しても過言ではない程の力を誇っていた。
そんな王に他国から嫁ぎ幼い頃から支え、時には自らをも駒として役立てるようにと進言してきた王妃。
これもまた何も言わず、微笑みを浮かべていればたおやかな淑女。しかし天性の手足の器用さで作られる品々は装飾品は勿論、民の生活を助ける道具などの考案から王や兵が使う武器や防具など際限はなかった。
まるで御伽噺に出てくるような錬金術だといった声さえあるほどに。
互いに互いを尊重し、認め合っていた彼らは夫婦仲も悪くはなかった。
寧ろ良すぎるくらいであり、当然ながら彼らは何を言われてもその穏やかな表情や態度で心の内を隠し、彼らが帰国するまでの間には口にするのも憚られるような戦いについての策を練っていたというものだから尚恐ろしい。
そして各国の代表が帰り着くのを待っていたかのようなタイミングでそれぞれの要所を的確に潰し、余所からの援軍を断ち、ひと月の内に五ヶ国は滅亡。今日まで語り継がれる事となったのである。
その話を知らない者など余程の事がなければいるはずがない。爺婆が子へ、その子から孫へそして曾孫と伝わるのは勿論、自分の子どもだけではなく市井の子どもたちにもあの国だけは怒らせてはならない、どんな容姿であろうと何かを秘めているかもしれないから気をつけなくてはいけないのだと大人が口を酸っぱくして教える話なのだ。
王族ならば知らないと言えるわけがあるまいに、先程喚きたてた王妃を始めとし臣下の者らの顔色が一段と悪くなり、一つの国をまとめその座につく王その人も今知ったと言わんばかりに顔色を悪くして冷や汗をかき、ガチガチと歯を鳴らし始める始末。
それらを見て、これがこの国の実情なのかと最早憐れみ、軽蔑の目を向けるしかなくなった彼女とその臣下はそれぞれに重い溜め息を吐き出した。
「漸く、漸く自分達の立場と状況を把握したか。ある程度ならばナルアテスから話は聞いていたが、こんなに時間を要するとは思いもしなかったぞ」
「っ、な、ナルアテス……?どうしてあんた、いえ、貴方がたがその名を……」
思わず身を乗り出しまた啖呵を切ろうとしてスッと差し出すように向けられた剣先に慌てて言い改めた王妃に、しかし目を向ける事無く、答えるのも面倒だと隠さぬ体で僅か逡巡した彼女は口を開いた。
「私の知っているナルアテスと貴公らの知っているナルアテスが本当に同一人物かなどについては知らん。興味などないからな。だが私の知る彼女はこちらより不遇な扱いをされ命からがら亡命してきた者だ。元は公爵令嬢であったかな?」
亡命した公爵令嬢、との言葉を聞きにわかに捕虜とした者らが騒がしくなる。
あいつが原因だったのか、やはり放逐するのではなく処刑とすれば良かった、あの血も涙もない魔女めとさえも。
勝手に盛り上がって喧しく騒ぎ立てるまでしだした彼らに彼女は背後に控えていた兵に目配せし、一つ頷いて答えてみせた兵は直ぐ様捕虜の元へ向かうとその内の一人の首を手早く切り捨てた。
どれと狙ったわけではない、ただ一番目につき障ると判断した男である。
その男は鋭い目つきをし、傷一つない高価そうな甲冑を身に着けていたが気品や歴戦の猛者どものような覇気もない癇癪持ちの子どものような者であった。
首を切られた男は最初こそ反応を見せなかったがゴトンと床にそれが落ち、頭を失った体は血を噴き出しながらびくびくと痙攣しだした。
それを間近で見せつけられた者は悲鳴をあげ、或いは失禁をしだした。
そこにまた彼女は声をかけていく。
「貴殿らはどうにも頭が弱いと見えるな。いいか、私が戦勝国の主で、貴様らは捕虜だ。どちらが上であるかなど考えずともわかるだろう。それとも死期を早めたいか?ならば今ここで皆首を落とし野晒しという手もないわけではないぞ?」
血のついた剣を振り、汚れを落とす部下を眺めながらなぁと部下に振り、それを受けた部下はニヤリと笑って返事を返す。
……ふむ。この愚か者どもの中にいい玩具でも見つけたのだろうか。なれば今回の戦いの褒美として与えてやるのもいいかもしれんと顎を撫でながら考える。
「話を戻すが、そちらからの亡命者の話を聞き我らが何やら仇討ちにきたと。そう先程聞こえたが、そんな事があるわけないだろう。何故、異国の小娘の不幸自慢に付き合ってやらねばならん?何故、我らが同情などせねばならないのだ」
「左様、勝手にペラペラと情報を話す女など信用できるわけがない。利用できるところは利用し、更に策を練って用済みとなれば殺すか捨てられるのがオチでしょうな」
最も、亡命者(元公爵令嬢)には貰い手がついたが。
今はこの国の王妃であるその人に追われた彼女は見目麗しい。髪は長く豊かなブロンド、目は青に輝く宝石のよう。肌は陶器よりも滑らかで白く、豊満な乳房に、形のいい腰、それなりの大きさではあるがキュッとした桃尻。声もまた異性に限らず同性をも落とすような柔らかでいて麗しい限りの声だ。
興味を抱くものは多々いよう。
その中でも特に彼女を欲したのは辺境伯だった、それだけの事。
「あれはこの国の情勢に市井の様子、必要なくなった全てを売る代わりに我が国での地位を求めたが、辺境伯が身受けに名乗りをあげねばこの世にはいなかっただろうよ」
「シーズナ辺境伯は人形好きですので、あの方の完成された美しさというものに惹かれたのでしょうな。……多少痛い思いはすれど彼女もあの方の元にいれば安全は保証されるのですから願ったり叶ったりではないかと思われますなぁ」
手足をもぎ取り、不自由になったモノを介助しお人形のように扱い愛す。それが彼の伯爵の昔からの性癖だ。
異常である、とは誰も言わない。少し変わってはいるがいい男だからだ。地位も能力もある。貴賤を問わず、愛すものは愛するし力があると思った者は積極的に取り入れ支援し伸ばす才もある。
だから誰も彼を悪しようには言わないのだ。それにこの国だからこそ、というものもあるだろう。
王と王妃の価値観が他国とは違う。直系の姫君の方針や采配さえ他の国であれば眉を顰められるような政策などが多い。
「辺境伯とその寵愛を受けるものの事に、私は口を出さないさ。彼らは彼らの世界があるからな。……それより今はやらなければならない事が山積みだ。王としてそちらを優先しなければなるまい」
にや、とまた恐ろしい笑みを浮かべる彼女は、動けずに固まって震える子羊等に牙を向けた。
よくよく自分に従ってくれた兵にはそれなりの褒美を。
口ばかり動かし囀る喧しく薄汚い小鳥やその小鳥と近しい者らは、それを好む肉食獣に与えて齧らせてから華々しく首を飛ばし処分をすればいい。
さぁさ、欲望の杯を満たせ。肉に女に酒に金。全て我慢などする必要などない。
無くなればまた注ぎ足せばいいのだ。
誰のものを奪うことになろうと恨まれようと。敗者は地を這いつくばり、勝者は高らかに高らかに笑い声を響かせるだけ。
「我が国、我が生きていく糧となるために滅んでくれ」
満面の笑みで笑った彼女を最後に彼らの陳腐でおかしな物語は終わりを告げた。