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第8話:隣国のお姫様


 うんざりするほど馬車に揺られて一行はやっとアリオスの国に入った。

 もう一生分の馬車に乗ったと思うほどだ。

 一行の歩みはほんの少し予定より遅れていた。

 慣れぬ道であったこともあるが、大部分はセイラにある。川を見つければ入り、森があれば誘われるままに入り込む。

 その度に、行列は歩みを止め、使者から王女らしからぬと説教が始まるのだ。

 それもすべて右から左へと抜けて行くのだからあまり意味は無い。

 国境に接する街で一行はアリオスの使者から出迎えを受けた。

 毛つやの良い馬が整然と並び、兵士たちが敬礼して待ち構えていた。そ

 の兵士たちを率いていて最前列にいた青年はケイトと名乗った。

 垂れ目気味の瞳は優しい印象を与え、声も軍人とは思えぬほど柔らかかった。

 他の兵士より幾分小柄ながらも、まだ若くこれから成長して行くのだろう。

 その年齢でこれだけの隊列を率いる事ができるのなら実力も期待できる。

 ケイトはセイラ王女を見るなりどきりとした。

 小さな王女はぐったりとし、その頬に色がない。

 旅の疲れで体調を崩したのかと危惧していれば、俯いた彼女が小さな声を洩らした。


「――だ」


「は?」


 聞き取れなかったケイトは一歩近づいた。

 近づくほど彼女の小ささが強調されるようだった。

 かくりと落とされた首は細く、簡単に折れそうだ。

 こんなに頼りない体で故郷から離され、アリオスまで来たのかと感慨にふけるケイトをよそにセイラはぐっと拳に力を込めた。


「もう馬車なんて嫌だ!」


 セイラは天に向かって吠えた。

 ここ数日馬車に揺られ続け、自業自得ではあるが、宿からは一歩も出してはもらえなかったのだ。

 アリオスで泣き言を言わないという生活規則その一は、国境を跨いだその日に破られてしまった。


「セイラ様は馬車がお嫌いですか……?」


 何も思いつかず、そんなことを言ったケイトの背後で誰かが噴出した。

 その声に聞き覚えがあるケイトは、まさかとは思いつつ振り返りはしなかった。


「では、今日一日ここで休息を取りましょう」


「いいの!」


 喜色を満面に浮かべる少女に思わず苦笑が漏れた。

 合流してすぐに三つ先の街まで行く予定だったが、このまま体調を崩させるわけにはいかない。






 日が沈みかけ、そろそろ火を灯そうかと悩む頃合にケイトは部屋から抜け出して、馬を眺めるセイラを発見した。

 一定の距離を保ち続けるセイラに馬が怖いのかと思い、ケイトはそっと近づいた。


「乗ってもいい?」


 どうやら怖いわけではないようだ。

 エスタニアのお姫様は馬になど乗った事がないのだろうと手を差し伸べた。


「どうぞ」


「ありがとう」


 乗る手助けをしようと出した手はとられることなく、一呼吸の間に、セイラは馬上の人となっていた。


―えっ?


「良い子」


 満面の笑みを浮かべたセイラは馬の頭を撫で、手綱を握っている。


「ちょっとかりるね」


 馬の腹を蹴ると馬は飛ぶように走り出した。

 数瞬出遅れれば、もう少女の姿は小さくなりつつある。

 慌てて別の馬に飛び乗ろうとすると、横から声がかかった。


「俺がいく」


 その声の主も瞬く間に小さくなっていた。

 通り過ぎる瞬間、馬上の男の顔は心底面白いといったように笑みを浮かべていた。

 あの顔のときは何を言っても聞きやしない。


―ああ……まったくあの人は


 やはりあの笑い声はあの人だったのだとケイトは肩を落とした。

 彼に任せておけば、まず大丈夫だと思いつつ、未だに少女の走りっぷりが信じられないでいた。

 初めて任された大役に心躍るのはもちろんだったが、姫君の扱いなんて全く分からない。

 タナトスには王妃を始めたくさんの高貴な女性がいるが、やっと一つの隊を任せられるようになったケイトにとっては遠い存在で、故郷の村には老人と子どもばかりだった。

 無い頭を振り絞って作り上げたお姫様像を隣国の王女様はことごとく破壊してくれる。


「あなた! なんてことなさるんですか!」


 はるか彼方に追いやった故郷の光景を思い出そうとしていたケイトの上に鋭い声が振ってきた。

 あまりの鋭さにぎくりと身体を竦ませて背後を振り仰ぐ。

 怒りを露に宿から出てきた少女は、確か王女の侍女でハナと言っただろうか。


「大丈夫ですよ。こちらのものが付いていきましたから、落馬して怪我なんてことにはならないはずです」


「落馬? そんな心配セイラ様には無用ですわ。私がいいたいのは、何でセイラ様に馬をお貸しになったかですわ!」


 正確には、まだ貸したわけではないけれど、少女の剣幕に口答えをすることが出来ない。

 言いよどむケイトにハナは指先を突きつけた。


「いいですか? セイラ様に与えてはいけないものの一位は馬ですの。馬! 退屈なさっている時はなお更ですわ。ああ、本当になんてことしてくれたんですか」


 段々高くなるハナの声に自分はそんなにひどいことをしてしまったのだろうかと不安が湧き上がる。


「馬鹿みたいに駆けていって迷子になるのなんて目に見えていますわ! でも、まぁいいかで突き進むお馬鹿さんなんですよ。セイラ様は!」


 ここまで主をぼろくそに言う侍女も初めてだ。

 ケイトの知っている侍女は静かに後ろに控え、けっして口答えなんてしない。


「明日、出発できるといいですけれど」


 一通り怒りを発散したハナはセイラが駆け抜けていった道の先を見つめていた。

 その視線には半分諦めが浮んでいる。

 それは怒鳴られるよりもケイトの中に焦りを生じさせた。


「ええっ!」


 一日休みを提案したのは自分だが、あまり到着が遅れるのは好ましくない。

 王女の後を追っていった人物がいかなる危険からも王女を守ってくれるのは確信している。

 けれど、連れ戻してくれるかどうかは分からない。

 初めての任は早くも失敗か。


「迎えにいってきます」


 手綱を掴み、ケイトは戦場もかくやといった速さで駆け出した。



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