第53話:広間
呆けているセイラを侍女たちに預けてダリアが部屋を出て数時間
広間には式のために集まった各国の貴族が集まり、和やかに談笑と称した外交活動を行っていた。
その中で、一際目を引くのは、やはりユリザ・リューデリスク=トゥーラ。エスタニアだ。
彼女の知名度もさることながら、冴え冴えとした美貌が見るものにため息をこぼさた。
視線、指先の動き一つで惹きつける。彼女は、まさしくその場の支配者だった。
彼女こそ生まれながらに人を統べることを知っている者だ。
同じように人に囲まれて笑みを浮かべているダリアと見比べると良く分る。同じように人を惹きつける力を持っているが、質が異なるのだ。
ダリアは今でこそ、王妃という立場にあり、場を仕切ることもするが、彼女はなんにでもなれる気がするのだ。夫であるルーファが農夫であったなら、彼女も一緒に畑を耕していたに違いない。
一方のユリザには全く想像できないことだった。彼女はきっと、死ぬその時でさえ王女なのだろう。ユリザに頭を垂れる集団を広間の隅で眺めながら、ジョゼ・アイべりーは細く息を吐いた。
彼女の向う先を見て、今度は笑いが零れ落ちる。
口を引き結び、直立不動だった男が彼女に声をかけられるとギクシャクと可笑しな動きをはじめたのだ。
茶の髪を高い位置で一本に結った男は、ジョゼと同じ黒い軍服を着ている。
腕章も同じ赤だが、ジョゼの腕章には右軍『月影』の証である月と烏の姿が描かれているのに対し、彼のものには左軍『陽炎』の証である太陽と獅子の姿が描かれている。
彼の名前はラルド・キース。
左軍の将であり、マルスの魔剣と名高く、軍の名前にもなっている『陽炎』の持ち主だ。
「帰ってきた途端に受難だな」
陽炎の部隊は国境警備に向っていたはずだが、国の一大イベントともなれば、主要な人物は都に召集される。
両軍の頭となれば、その上位といっても過言ではない。
若く重要な地位にいる独身となると、各地から集まった貴族たちがほうっておくはずが無い。
うちの娘をぜひ嫁に作戦が始まるのだ。
ジョゼのように適当にあしらっていればいいのに、くそ真面目人間のラルドは、何かにつけてそれに振り回されて、女性恐怖症になったとかならないとか。
ジョゼに言わせれば、軍の男所帯で育ったため免疫がないとのことだ。
ユリザが去っていくと、きりっと元の体勢に戻るのだが、長い付き合いで心底ほっとしているのが手をとるように分る。
こみ上げてくる笑いを我慢するために全身に力を入れなければならない。
何しろ、冷静なときのラルドは怖ろしいほど地獄耳なのだ。
けれど、我慢できそうに無い。
溜めた分可笑しさは増えるのだ。
ふっと零れ落ちた息を、どういう聴覚なのか聴きつけると、その主をぎっと睨みつける。
「ラルド将軍ともあろう人が情けないな」
隣の人物にも聞き取れないであろうジョゼのささやき声は、確かに伝わっているようだ。
ラルドの眉の角度が変わったが、さすが軍で上司にしたい人一位に選ばれるだけあって、冷静だった。
ついでに、ジョゼは毎年、憧れの軍人一位とサボり魔一位の栄光に輝いている。
「デコッぱち」
邪魔だと前髪も後ろで結い上げ、額を丸出しのラルドに一番効いていた言葉も効果なし。
暑くなってくるとパッツンに変わるのだが。
ラルドはジョゼを無視することに決めたらしい。
一度決めたら、横に行って小突いても相手をしてくれないことを分っているので、ジョゼも諦めた。
視線を外すと、先ほどまで目で追っていた人物が目の前にいた。
「貴方たちって本当に、あの魔剣のようね。対であるのに正反対の性質」
「これは王女様。今宵も麗しいお姿で」
「先ほどから、あのように見つめられていると穴が開いてしまいそうですわ」
「そんなに柔ではないでしょう? 王女様」
赤い唇が不適に吊り上り、その上で光が弾け、視線を奪う。
それを見越して、扇で口元を隠し、今度は目元だけで思考能力を奪うのだ。
彼女の前でギクシャクしてしまうのは何もラルドだけではない。
「あら、可愛らしいかたね」
ラルドの方へ駆けて来た小柄な人物を目に留めてユリザが呟いた。
ジョゼやラルドと同じ軍服を着ており、髪は潔いほど短いが女性だ。
背はラルドの胸辺りまでしかない。
顔立ちはどこか幼さを残しているが、凛とした強さが感じられ、女性なら嫌がりそうなそばかすも彼女を引き立てているようだった。
「もしかして『飛炎』の継承者かしら」
たった三人にしか許されない赤い腕章を彼女はつけていた。
「よくご存知で」
月影、陽炎の名は諸国でも通っているが、飛炎の名はさほど有名ではない。飛炎は砕けた陽炎の切っ先で作られたのだが、軍の象徴的な剣が折れたなど縁起が悪いとアリオスの人間が口をつぐんだためだ。
「私、歴史上で好きな人物をあげろと言われたら、リン・オニキスをあげますわ」
まさかアリオスの人物が彼女の口の端に上るとは思っていなかった。
「意外かしら?」
リン・オニキスは妖艶に笑う彼女とは似ても似つかない。アリオスの一番悲惨な時代を生きた女性だ。男の身にも余る陽炎を振回し、血と断末魔の中で生き、死んでいった人。陽炎の切っ先は彼女の身を守るために砕けたのだといわれている。研ぎ澄まされた切っ先は、本体と変わらない切れ味を持ち、リン・オニキスは戦場で短い一生を閉じるそのときまで傍らに置いたそうだ。
「ラルド殿は女性が苦手なのかと思っていましたが、そうではないみたいね」
小柄な女性と話すラルドには、先ほどのような可笑しな点はない。
「ユーリは一応女だけど、山猿みたいなもんだしな。たぶん女だと思っていないんじゃないですかね」
今でこそ、女だと判断できるが、調練の帰りなど性別どころか服の色さえ分らなくなるほど泥まみれになって帰ってくるのだ。
「それなら、セイラは大丈夫ね」
暗に自分の妹は山猿のようだからラルド殿も平気だろうと言っているのだろうか。
何も返してこないジョゼに、ユリザはわずかばかり瞳の色を変えた。
「賭けは私の勝ちでよろしくて?」
「何のことでしょうね」
いきなりの質問だったが、答えの用意はしてあった。
一応疑問の態を取りながらも、ユリザの顔には貴方の負けよと書いてある。
知らぬ素振りを見せながらも、半分負けを認めてしまっている自分がいることをジョゼはよく分っていた。
「認める覚悟をしておきなさい。私は負ける勝負などしませんからね」
笑みを一つ浮かべると、ユリザはまた外交の場に戻るために身を翻した。一歩進んだところで立ち止まると、振り返らないまま告げた。
「ああ、それとアレはまだ有効でしてよ。夫には無理だけど、家来にはしてあげるわ」
ジョゼの脳裏には幼きお嬢様の居丈高な姿が浮かび、思わず苦笑がもれた。
「王女様も覚悟しておくといい。その言葉、翻すことになりますから」