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第4話:アリオス国

「結婚……」


 冬の気配が押し迫ってきたアリオス王国で今、巷を駆け巡る噂話は、国王の弟が結婚するというものだ。

 大国の姫君と。

 そんな政略結婚など珍しくもない。

 彼らを驚かしているのは、あの魔物が結婚するということだ。

 人々は落ち着きなく、ざわめき、まだ見ぬ異国の姫に同情した。

 そんな噂話も届かない、王宮の片隅。

 膨大な蔵書を抱える書庫は今日もひっそりと佇んでいる。

 地下一階、地上三階を誇る大きな書庫は、この時期たった一人のためにあるといってもいい。

 一階から三回までは吹き抜けで、壁には隙間なく書架が並ぶ。

 柱には賢人たちの姿は彫りこまれ、色ガラスをはめられた窓から差し込む光りによって生を受ける。

 けれど今は日も暮れかかった時刻、賢人たちも薄闇に沈んでいた。

 そこへランタンを持った老人がやってきた。

 老人といってもまだも六十代ぐらいであろうか。

 長いローブで包んだ身は曲がったところなど無く、その瞳は静かに凪いだ湖の色だ。


「ジン様。今日はよう冷えます。お茶をいれましたから一休みしましょう」


 優しげなよく通る声の主は管理人のカナンである。

 すると三階から猫のようにしなやかに人が降りてきた。

 その人物はこの暗い書庫で明かりすら持っておらず、うすい衣一枚である。

 その人物の髪は暗闇に溶ける事ない、見事な白髪であった。

 しかし、老人というわけではない。彼はまだ19歳である。

 ランタンの光りを受け、その瞳が金に輝いた。


「さぁ、こちらです」


 カナンに促され、ジンと呼ばれた青年は温かい部屋に入った。

 書庫の片隅に設けられたカナンが寝泊りする部屋である。

 中はそれなりに広く、暖炉や簡単な炊事ができる場所もついている。

 部屋の中央に置かれた机の上には湯気をたてるカップが二人分と甘い匂いの焼き菓子が乗っている。

 いつもの席に着いた青年は冷えてしまった両手を暖めるように、カップを包み込んだ。

 薄紅色の液体からは鼻腔を満たす花の香りがする。

 青年の名前はジルフォード・アリオス。

 このアリオス王国国王の弟である。

 王弟もあろう人物が供もつけずに歩きまわるなどもってのほかであるが、この人物については例外だった。

 ジルフォード=姿なき魔物の名前を持つ王子にかまうものなどこの王宮にはほんの数人しかいない。

 誰もが名前を呼ぶ事にすら戸惑ってしまう。名を呼ぶことは魔物だと言っているのと同義なのだ。

 億尾にも出さずに名前を読んでくれるのは兄である国王とその妻である王妃、肝の据わった数人の家臣ぐらいであり、ジンと親しみをこめて呼ぶ ものなどカナンだけだ。

 ジルフォードは先代の国王と王妃の子どもでありながら国王の座を赦されなかった王子である。

 国王と側室の仲を怨んだ王妃が呪いをかけ生んだ子どもだとも言われている。

 その証拠のようにアリオス王族特有の銀髪を持たず、何者の浸食をも赦さないような白髪をしている。

 さらに人々を慄かせたのがその瞳だ。

 その瞳は特定の色を持たず、角度によって色を変える。

 その恐怖と侮蔑を込めて人々は彼を〈色なし〉と呼んだ。

 ジルフォードは人々と関わり合いを持つことを避け、ほとんどの時間をこの書庫で過ごす。

 カナンは幼少の頃から知り合いで、唯一心を許す人物だ。

 傍から見れば、二人の間には会話らしい会話もなく打ち溶け合っているようには見えないが。

 暖かい液体は喉元を通り、体全体に染み渡っていく。

 その時初めて体が冷え切っていたのだと実感するのだ。

 テーブルに乗っている焼き菓子はどれもジルフォードの好むものである。

 めったに表情らしいものを出さず、ほとんど人前で食事らしい食事をしない彼の好みを知っているのはカナンだけだ。

 好物だといっても表情を変えることなく、他の人から見れば本当に好きなのか判断はできない。


「ジン様」


 ジルフォードは名前を呼んだ相手を見つめた。

 正面から見れば彼の瞳は紫色になる。

 人々が魔物と恐れる瞳もカナンはしっかり受け止める。


「ご結婚なされるようですね。おめでとうございます」


 その表情に浮ぶのは本物の賛辞のようだ。

 孫を見るような穏やかな顔でカナンは告げた。


「そうらしいね。兄上が言ってた」


 ジルフォードは淡々とまるで他人事のように応えた。

 もともと政略結婚であることは目に見えているが、ここまで無関心であるのはどうだろうか。

 ジルフォードは二つ目の焼き菓子に手を出し、老人もそれ以上この話には触れなかった。

 目の前の青年が何事にも無関心を通すのはいつもの事だ。

 時には自分の生死にすら関心を持っていないのではないかと思わされる。


「もう一杯いかがですか?」


 そういうと空になったカップが差し出される。

 どうやら今日のお茶は気に入られたようだ。

 老人は進んで栄養を摂ろうとしない青年にせめてもと種種の薬草をお茶にブレンドしているのだ。

 気に入らない場合でも青年は老人の気配りを汲み取ってか一杯目は飲み干してくれる。

 二杯目を飲むのは気に入った証拠だ。

 液体を注ぎ終わったカップを青年のまえに置きながら老人は告げた。


「明日には頼んでおいた本が届きますよ」


「そう」


 興味のなさそうな声で告げられた言葉にほんのすこし嬉しさが混じっているのをカナンは知っていた。

 老人が五十年近くをかけてもまだ読みきれない膨大な蔵書を青年はほとんど読み終わってしまっているのだ。

 しかも内容を覚えてしまっている。

 調べ事をしていた時、その内容ならと、本と頁数まで指摘してきた時には驚いたものだ。

 しかし、その膨大な知識が生かされることも、青年が生かす気もないことをカナンは知っていた。

 カナンしてやれる事は、たまにお茶を入れて新たな本を与える事だけなのだ。

 カナンはこの哀れな青年を助けてくれるよな王女がやってくることを願った。

 セイラ王女がアリオス王国の地を踏むのはあと一ヵ月後のことである。


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