第46話:はじまりの場所2
「そちらに逃げ場はありませんよ」
眼下に広がる闇にドキリとしながら、背後に迫る声に押されるように一歩を踏み出した。ぐるりと終わりの見えない螺旋階段。壁に手を付ながら慎重に、出来るだけ早く階段を駆け下りる。一方には壁がなく、足を滑らせれば奈落まで落ちてしまいそうだ。
「全部で421段」
「え?」
振り向くと白い美貌が闇に浮かんでいる。ジルフォードはセイラに並んだかと思うと、すいと前に出た。
「全部で421段。今253段」
ジルフォードの足元でカンと音がした。何故だろう。目の前にジルフォードの姿があるだけで、階段を駆け下りる速度が上がっていってもちっとも怖くない。自分たちの足音に急かされながらしばらく下り続けると、ぼんやりとした明かりが見えてきた。どうやら部屋があるようだ。418段 419段 420段
「421!」
入り口をくぐると地下とは思えないほど広大な空間がひろがっていた。数十の太い柱が高い天井を支え、その下には石棺が規則正しく並んでいる。床自体が光っているのか部屋全体がぼんやりとした明かりに照らされているのだが、天井の隅々にまで、その光は届いておらず、白く煙る息が凍って落ちてくるのではないかと思うほど寒い。
部屋の中央がぼうと明るくなった。目を凝らすと、それが蝋燭を持った人型だと分った。闇を纏ったかのような黒いマントを引きずりながら、何者が来たのかと見極めようと近づいてくる。目が悪いのか、睨むように目を細めたり開いたりを繰り返し、最期にはすんと鼻を鳴らす。
「おゃ、216番目の王子様」
腰のひどく曲がった小さな老人は、前歯の無い口でヒョヒョと不思議な声で笑った。笑い声に合わせ、蝋燭の火が揺らめいて室内に陰影をつける。不思議なことに火が形を変えるごとに、色も様々に変化した。まるでジルフォードの瞳のようだ。
「少し、騒がしくなる」
ジルフォードが言ったように背後からは沢山の足音が迫ってきている。
「だろうさねぇ。ヒョヒョ。おお、これは、これは」
老人がセイラに近づいた。セイラより小さな老人は、セイラを見上げにっと口の端を上げた。白濁した瞳は正確にセイラの姿を捉えていないようなのに、心の奥底を覗き込まれているような奇妙な感覚が全身にはしる。姿勢を正すと、またあの笑い声がした。
貴方は誰なのか。それを聞く前にジルフォードが手を引かれ、老人との距離が離れていく。
「そうさねぇ。秘密の通路をお行き。但し一人ずつ。一人ずつ。あるいは共に闇の中」
引っ張られながらも後ろを振り返ると、老人は別れの挨拶をするように蝋燭を揺らした。一際火の明るさと勢いが増したかと思うと何処にも老人の姿は無かった。
「さっきの人、ジンの知り合い?」
「墓守と呼んでいるけど、本当は何者なのか知らない」
目を凝らしてみても、老人の姿も蝋燭の明かりも無い。
「216番目っていうのは?」
「さぁ。墓守はいつもそう呼ぶ」
走りながら辺りを見回すと夥しい数の石棺が見える。石棺の蓋には剣と盾のレリーフが施されており、一つずつに番号が刻まれていた。もしかして、この番号なのではという怖ろしい考えを追い払うように頭をふるう。けれど、そうだというようにヒョヒョと笑い声が聞こえてきたような気がした。頭を振りながら歩いていたのがいけないのか、いつの間にか歩みを止めていたジルフォードの背中に鼻を打ちつけて止まることになった。
「どうしたんだ?」
背後から覗き込むと、紅玉を加えたカラスの像がある。白い指先が紅玉をつかむ。嘴から紅玉が外れるとカラスの像の台座が音もなく開いた。人一人が這って通れるほどの小さな入り口だ。
「道なりに進めば、書庫の中に出るから」
背を押され、入り口の前でジルフォードを見上げるセイラにそう告げる。老人の言った秘密の通路というのはこれのことなのだろう。けれど老人は一人ずつと言わなかったか。
「ジンは?」
その問いかけにジルフォードは微かに笑みを浮かべた。哀しみと諦めを含んだ表情は泣きたくなるほど優しくて、決して放さないようにと袖をぎゅっと握り締めた。
「一緒じゃないとダメだからね」
拍手の音が響いた。
「麗しい夫婦愛ですね。ああ、まだ夫婦ではありませんか」
現れたノウチェスを睨みつける。
「魔物の妻になることを防いであげるのですよ。感謝してもらってもいいくらいです」
「魔物なんかじゃない。私はこんなにも優しい人を知らないもの」
「まだそんな戯言をおっしゃるのですね。あれほど警告を与えてあげたというのに」
警告という言葉に今まで起きたことが脳裏をよぎる。
「訓練場でのことは、君のせいなの?」
「警告ですよ。アリオスは貴女にとって幸せな場所ではないとね。またアリオスにとって貴女の存在は好ましくない。そのことに気づいて、早く故郷へお帰りになれば良かったのですよ。セイラ様」
「幸せかどうかは私が決めることだ」
それだけ言うとセイラは奥歯をかみ締めた。アリオスにとって好ましくないと言われれば、違うとは声高に叫ぶことはできない。自分の存在はテラーナも危険にさらし、サンディアにいらぬ疑いをかけさせた。そしてジルフォードも。
「私がアリオスにとってどんな存在かなんて分らない。けど、私はここに居たい!」
「仕方がありませんね」
ノウチェスの右手が上がると、いっせいに影が剣を振り上げた。
「合格だ。嬢ちゃん」
次の瞬間、空気が裂ける音がした。