第45話:はじまりの場所
「ジンー!」
もう何も心配事はないと確信したセイラは探し人の名を大声で呼びながら廊下を進んでいた。すれ違った幾人かが、ぎょっと目をむいたが構ってなどいられない。広くて複雑な構造の城の中は探検するにはもってこいの場所だが、人探しをするとなると骨が折れる。しかも、相手が隠れるのが得意ならばなおさらだ。あれほど、人の目を引く容姿をしているというのに、誰もジルフォードが何処に居るのか知らない。彼だけの秘密の通路でもあるのではないかと疑ってしまうほどだ。あればいいのにとセイラは思う。いつもいつも、誰にも見つからないように気配を押し殺して、自分の家を歩いているなんて辛すぎる。
「あっ!」
狭い通路の先に、目当ての色を見つけ走り出す。ここはどこへ続く道だろう。灰青の石畳が規則正しく並ぶ先には足を踏み入れたことが無い。石畳の先にあるつた草を絡ませた白いドーム状の建物はお墓だと直感的に悟った。人工的な白は雪よりも冷たく人の侵入を拒絶している。
「ジン」
足音を低くし、近づくとジルフォードの前方には人がいると知れた。濃紺のマントが白い背景に良く映える。
「これはセイラ様。一度、お目にかかりましたね。ノウチェスでございます」
セイラの存在に気づいた男は深く腰を折った。貼り付けたような笑みが記憶から浮かび上がる。ご機嫌取りに来た貴族の中で一人だけ、こう言ったのだ。「故郷に帰りたいのではありませんか」と。
名を聞いた瞬間に体に力が入る。最もあってほしくない組み合わせだった。セイラは寄り添うようにジルフォードの横に立つ。
「ここがどういう場所なのかお分かりですか?」
ノウチェスは二人に背を向けて、扉に手を突いた。
「……お墓かな」
「そうです。王族の眠る墓です」
扉に鍵などかかっていないのか、ノウチェスが力を込めるにしたがって扉はゆっくりと内側に開いた。冷たい空気が吹き付ける。何か甘い香りが混じっていたが、セイラには何の香りかは判断できない。
「王族のお墓?」
それにしては随分と小さな気がする。ノウチェスは薄く笑うと滑るように中に入り招きいれるような格好をとった。
「ここはほんの入り口でございますよ。ほら、あそこに扉があるでしょう、あの扉から地下に降りるのです。この城は墓の上に立っていると言っても過言ではありません」
セイラが導かれるように中に入ると、ジルフォードも続いた。中も白で統一されてはいたが、石の材質が違うのか踵をうちつけると、甲高い音がする。ノウチェスの指差した扉の両脇には石像が安置されていた。一つは鎧を身に着けた武神の姿だ。口を引き結び、両手に剣を構える姿は鬼気迫るものがある。己の身丈よりも3倍もあればなお更だ。彼が持つ2本の剣に、あるフレーズが思い出された。
「『暁を背に対の魔剣を従えて咆哮せしめし軍神マルス。右手に持ちしは漆黒の刃『月影』左手に持ちしは真紅の刃『陽炎』。『月影』に切り裂けぬものは何もなく、『陽炎』に守れぬものは何もない』」
「ご存知でしたか。そうです。マルス将軍です。こちらがエイナ」
同じように武装した姿なのに、どこか優しげな雰囲気をかもし出す女性はマルスの妻だという。エイナの舞は勝利をもたらすとされ、今でも好んで舞われるものの一つだと聞いた。舞えないと兵士の妻にはなれないのだと笑いながらマキナが教えてくれたが、本当かどうかは分らない。
「彼らからアリオスは始まりました。ここが始まりの場所だと言われています。死者をこの下に葬って始まりと終わりを繋ぎ、一つにするのです。」
セイラは横にある温もりにすがるように引っ付いた。身を蝕む冷たさと嗅ぎなれぬ匂い、わんわんと反響して迫ってくるような声に視界が揺らいでくるようだ。青空の下、故人が好きだった花を飾り、懐かしむ。ここはそんな場所ではなかった。
匂いが、ふと強くなると、支えてくれるジルフォードの手がなければうずくまってしまいそうになる。
「そして、悪いことはここに葬るのです。そうすれば善きこととしてもう一度、めぐってくるでしょう」
声が大きくなった。支えられた手に微かに力が入ったのが分った。
「悪いこと?」
「ご存知でしょう?」
いつの間にか背後の扉は閉じ、いくつもの影が現れた。それぞれに抜き身の剣を持ち、二人の周りに輪を作る。
「魔物は闇に葬らなければ」
ノウチェスの瞳はジルフォードを捉えていた。親しみのこもらない刃のような冷たさを持っていた。
「魔物なんてどこにもいない!」
そう叫べば、ノウチェスは哀れむように小さな笑みを浮かべた。
「貴女も魅入られてしまったのですね。この魔物を葬れば、きっと善きものとして生まれ変わり、今度こそあの方に幸せをもたらすでしょう」
ノウチェスが手を挙げると、輪がぎゅっと狭くなった。
全身に痛みが走っているような感じだ。心臓がぎゅっと縮こまり、手足に必要以上の力が入る。四方八方から浴びせられる殺気に怖気づいているのだと気づいたとき、自分は師の言葉を理解していなかったことを知った。彼は刃を持つ覚悟はあるのかと聞いたのだ。勝ち負けを決めるためじゃない。血を吹き、相手を傷つける覚悟はあるのかと。じわりと嫌な汗が背中を落ちていく。覚悟なんてこれっぽっちも出来ていない。
セイラはジルフォードの手をきつく握った。こんなところでずっと一人で戦ってきたのだろうか。手のひらから放して欲しいという気配が伝わってくる。放した途端に、まるで舞のような優雅な姿で戦闘態勢に入るのだ。嫌だと思った。放すのが嫌なのか戦わせるのが嫌のなのか。判断できぬままにジルフォードの手を引いて走りだしていた。マルスとエイナの間を走る抜け、体当たりするように扉を開くと、長い階段が闇に続いていた。