第37話:古き友
モーズ・シェリンは自分の靴音にすら急かされるように歩いていた。
会場の設定に主役たちの服装も決めてもらわなければならない。
現国王のルーファとダリアの式はそれは盛大で自分でも最高の出来だと思えるほど美しかった。
各国の使者たちも感嘆の息を吐いたくらいだ。今回も華やぎに満ちたものにしなければならない。
そしてふと気づいた。
前は薄気味悪いと思っていた王子のことを今では毎日のように思っている。
あの髪の色に合う服装は?
絨毯の色は?
一番映える舞台は?
忙しさのうちに気味悪さなどどこかへ消えてしまっていた。
「気にすることでもなかったのか……」
髪の色も目の色も仕事のうちに忙殺されるような些細な事だったのかもしれない。
それにしてもに何ということだろう。
自分の仕事を脅かすような事件が起ころうとは。
これで式の延期になどなったら今までこなしてきた事は全部意味の無い事になってしまう。
サンディアを完全に疑っているわけではないけれど、彼女の周辺には暗い影があるのだ。
彼女が実権を失おうとも彼女の支持者は未だにいるのだから。
「シェリン様」
沈み込んでいた思考を聞きなれた声が呼び起こした。
「これはノウチェス殿」
大きな目をぎらつかせた男は武より知で力を得た貴族だった。
最近知り合い、話す事も多くなった。
「五元帥の方々は集まったのでしょう?どうなりました?」
「どうとは?」
「式は中止ですか?」
「まさか。我々は静観して事を見守ります」
中止などとんでもないとシェリンは首を振った。
「あ、あの魔物は結婚するのですか」
目を見開く男の肩をゆっくりと慰めるように叩いた。
今までこんな反応をしたのはこの男ばかりではない。
「王子が結婚したところで何が変わるということもありません。これは国同士の契約に過ぎないのですから。アリオスの繁栄のためです」
廊下で掴まるたびに時間を費やすわけにはいかないと、それだけ言ってシェリンは先を急ぐことにした。
だから背後で男が零した言葉を聞くことは無かった。
「アレに力持たせてはいけないのに……」
今後の予定を立てると二人の少女たちは帰っていった。
あまりハナの帰りが遅くなるとケイトに怪しまれる心配もある上に、断りも無く部屋に入ってくる無礼者の知り合いがいるからだ。
暫くすると新たな客がカナンの部屋への扉を叩き来訪を告げた。
「ハマナ様」
扉を開けると銀飾りのついている杖に身を預けたハマナの姿があった。
五元帥の一人と書庫の管理人というあまりに違う身分ながら二人には長年の親交がある。
「お二人は帰ったようだね」
「……知っておられたのですか」
机の上のカップもきれいに片付け、二人の痕跡など何処にも無い。
「そういう気がしてね」
そういう王女をくれと言ったのはハマナだ。
型に嵌らず、どんな逆境も乗り越える強い王女が必要だと。
そう言うと交渉に当たっていた第二王女は妖艶に微笑んだ。
「エスタニアの王女はぬるま湯に浸かっておりますからね、賢者様のお目にかなう娘がいるかどうか」
「貴女はどうですか?」
「私とて黒き血に飲み込まれている一人に過ぎませんわ。一人、面白い娘がおりますの」
「……面白いですか?」
「お馬鹿さんですが、何百年脈々と培ってきた我が血さえあの娘の前には意味を持たない」
それが、最大限の彼女の褒め言葉と知り、すぐさま頷いたのだ。
「先ほど召集があった。と言っても集まるのは三人だが……」
「そうですか」
五元帥に召集がかかるほど今回のことは重大になりつつある。
「エンはひどく機嫌が悪かったよ」
「……でしょうね」
もう何年も会っていないが、眉の間に縦皺を作っている男の顔が容易に浮んだ。
苦笑するカナンを尻目にハマナを席に着いた。
「今回の事、彼女たちはどう見ているんだ」
「セイラ様はサンディア様ではないと確信しておられるようですよ」
「ほう。何故かな」
きらりと眼鏡を光らせたハマナにセイラの言葉をそのまま伝えた。
「勘だそうです」
「勘……なるほど勘か」
笑みをもらすハマナにつられてカナンも笑い始めた。
なんてあやふやで、けれどいざとなると其れが鋭いほど生き残る可能性も高くなる。
この国がまだ小さく弱かった時から、その勘を頼りに二人も生きてきた。
「彼女の勘は中々良いらしいな。お前の意見は?」
ハマナの勘も彼女ではないと告げている。
「同感ですね。サンディア様の支持者の仕業でもない」
彼らならこれを機に権力を取り戻したいと思うだろう。
セイラはエスタニアという大国との重要なパイプ役だ。
傷つけるとは思えない。
彼らを懸念するとすれば、婚姻が結ばれる前よりも後のことだ。
「…動きますか」
十九年間後回しにしていたものが動き出した。
「けれど、あなた方は動かないのですね」
「……私はあの子に幸せになってほしいと思っている」
国のためと切り離しながら、残酷な取り決めに諾と言いながら愛しい存在だと思うなどおかしいのかもしれない。
一番大切な時期を奪っておきながら幸せを望むなどおこがましい。
そして望んでおきながら動くことも出来ない。
「私も願っていますよ。ジン様が幸せになることを」
見上げた友人はそれは優しく微笑んだ。
いつも傍にいて支え続けた彼が望むには相応しい願いだと思えた。
「貴方には感謝しています。セイラ様を見つけてくれてありがとうございます」
「私は何も……」
何もしていなかった。
五元帥の一人として王子に相応しい結婚相手を見つけようとしただけだ。
それはやるべき職務で目の前の友人のように何かを犠牲にしてまで行ったことでない。
「好意はありがたく受け取っておけばいいんです。そして返せばいいんですよ。人の想いを否定する必要などありません」
「私とてお前には感謝している」
カナンの想いを否定したわけではない。
「貴方の感情は読み取りにくいんですよ。五元帥だから賢者と呼ばれているからっていつも清まして、ニコニコしてなければいけないことなんてないんです。時には喚いて机を倒すなりすればいいんですよ。だから、そんなに肩がこるんです」
いつの間にか部屋の中には柔らかな香りで包まれていた。
目の前に出されたカップには澄んだ色の液体が湯気を立てていた。
「覚えていますか?昔は嫌な事があればすぐに決闘だと貴方は叫んでたんですよ。肩こりに効きますから残さずに飲んでください」
「……ん」
長年の友にありがとうなど中々口に出せず、口ごもった。
よい年をしてそんなことも出来ないのかと情けなくなるが、昔の愚行もすべて知られている相手には気恥ずかしい。
それを出来ないのをカナンの方もよく知っている。
「感謝してくださるなら、態度で示してください。タキニィ産の茶葉はこの時期にしか出回らないものなんですが、買いに行く事が出来ないんですよ」
「…………分かった」
暗に届けさせろと言われ、ハマナは頷いた。
「ついでにミンス殿のところの砂糖も欲しいですね。かりん酒も切れかかってますし、後は茶葉に混ぜる花も。種類はですね……」
次々に上がる言葉にハマナは深くため息をついた。ありがとうの一言は随分と高くつくらしい。
「老人を労われ、そんなに一度には覚えられん。後でリストにまとめておけ」
その言葉にカナンを笑みを浮かべ、文字がびっしりと書かれた紙の束を差し出した。
「そうですよ。我々はもうおじぃちゃんなんですから、助言を求められたら与えればいいのです。求められないのにしゃしゃり出て若い人たちの邪魔をすることはありませんよ。教え子たちは皆逞しく育ったでしょう?」
ハマナは温かいお茶を飲みながら深く目を瞑った。
その温かさはカナンの言葉とともにじわりと身の内を満たしていく。
「お前は私に甘い気がするな」
「いいのですよ。その分貴方は自分に厳しいのですから」
苦笑がもれて紙の束はハマナの懐にしっかりとおさめられた。