第34話:狙われる者
窓の外に広がる空はどんよりとした灰色で楽しみの雪も降らしてくれない。
部屋に閉じ込められた上、そんな意地悪な空が続くと気分が滅入って来そうだ。
何かしようものならハナが眉を怒らせ、部屋をこっそり行け出そうにもドアの向こうには寒いのにケイトが張り付いている。
大げさに巻かれた包帯もうっとおしいばかりだ。
そもそも縫うほどの傷でもないのにこんなに厳重な処置は必要なのだろうか。
「はぁ……」
何度目か分からないため息を付いてセイラはベッドに転がった。
医務室に連れて行ってもらいさっさと消毒液でも塗ってくれれば良かったのに、顔面蒼白になったハナが現れ、慌てて現れたケイトは扉を壊さんばかりの勢いで入ってくるし、ついでにジョゼまで……
腕の怪我なのに、何故か寝かされているセイラに死ぬ死なないの大騒ぎになったのだ。
主治医が何も告げずに外に皆を追い出すものだから(煩いという理由で)ハナはついに泣き出した。
けろりとした顔で医務室から出てきて怒られたのはセイラだ。
痛い上に怒られ、泣きつかれ踏んだり蹴ったりだ。
矢を射ったのが誰か分からぬうちは部屋から出るなと二日間も外に出してもらえない。
「うう〜ん。暇!」
お見舞いに来てくれたダリアも傷に障ると早々に帰ってしまったし、ほぼ日課だった書庫にもいけない。
行ったら行ったで二人に心配をかける羽目になるのは分かりきっているけれど自室はどうにも暇なのだ。
その上、一番厄介なのはハナだった。
ここ数日、生傷が絶えないものだから傍目から分かるほどぴりぴりしている。
お菓子攻撃も効かないとなると手のうちようがない。
足をばたつかせてみても暇を潰せるわけもまく再びため息を付こうとしたところに扉の開く音がした。
ハナが止めるのもものともせずに、その人物は寝室に続く扉を開けた。
「まったく妙齢の女性の部屋に断りも無しにズカズカと入るなんて無神経ですわ!」
だらしなく転がるセイラに一瞥をくれジョゼは鼻で笑った。
確かに髪を振り乱し足をばたつかせる姿は妙齢の女性には見えない。
「やぁジョゼ」
「よう元気か」
にかりと笑う顔に陰鬱なため息を吐く。
「退屈で退屈で死にそう」
その言葉にぎょろりと恐ろしい目をハナが向けたが本気で退屈なのだ。
うつ伏せになっていた体を起こし、向かい合って首を傾ける。
「お見舞いじゃなさそうだけど?」
「侍女が一人死んだ」
鋭い声に訓練場での一件と関わりがあることを見抜いたセイラは隣の部屋で話を聞くことを提案した。
ケイトも聞きたいだろうと思ってのことだ。
さすがにジョゼより常識を身につけている彼は寝室にまでは入ってこなかった。
皆が席に着いてハナがカップをお茶で満たすとジョゼが話を再開させた。
「死んだ侍女は弓の名手だった。生まれも育ちもアリオスだ。嬢ちゃんアリオスの人間に狙われる理由はあるか?」
「ん〜……思いつかないけど」
アリオスの人間に狙われる理由は分からない。
「命を狙われるほど拙いことやった覚えはないんだけどな。狙われたのはテラーナじゃないの?」
あそこに居たのはセイラばかりではない。
あの時、手を引かなければ危なかったのはテラーナの方かもしれない。
「可能性が無いわけじゃないけどな。この時期に狙うなら嬢ちゃんのほうが確率が高い」
式までは一月をきった。
今この国で何かしかの問題を抱える可能性はセイラが一番高い。
「それに妹君を狙って何になる?」
「……恨みがあったのでは?」
ハナの言葉にジョゼは首を振った。
「軍の中でも評判になるほどの腕前だ。城で働いていたという箔があれば働く場所に困る事もないだろう。嫌ならどこへでも行くと良い。私心で動く娘にも思えんし、侍女が一人で考える事じゃないだろう。死因もまだ分からん」
「まだ仲間が居ると?」
「おそらく」と頷いたジョゼを見てハナは顔色を悪くした。
唇をかんで俯き、握り締めた拳はひざの上で微かに震えている。
ケイトの気遣いの言葉は聞こえていないだろう。
「じゃぁ、逆に私を狙う意味は?」
「嬢ちゃんはどう思う?」
「ん〜私が気にいらない?」
自分で言っておいてセイラは首を振った。
確かに第八王女なんて知名度も低ければ、エスタニアから見た重要性も低いかもしれない。
けれどそれだけで事を起こすにはリスクが大きすぎる。
「私とジンが結婚するのがダメ?アリオスとエスタニアが仲良くなるのがダメ?」
誰もセイラの言葉に頷いてはくれない。
セイラ自身も納得できる理由ではない。
お茶はとっくに冷え始めていた。
結びついくとダメなのは……
「ジンと……」
「もう嫌ですわ!どうしてセイラ様ばかりこんな目に合うんです。アリオスに来てまだ一月も経たないのに二度も……」
セイラの声を遮って零れたハナの涙声をジョゼはしっかりと聞いていた。
「おい。ハナ嬢。今二度と言ったな」
少女たちははっと息を呑み、ケイトはつい数日前の痛々しい傷を思い出した。
懸命に話すなと視線を送ったのにケイトには全く通じない。
「そうですよ。セイラ様この間の傷のこと、ちゃんと話してください」
「あれは今回の件とは関係ない」
逃げようとした体はがっちりと捕まえられて動けない。
ケイト一人なら逃げることが出来たかもしれないが今回はハナでも敵わない強敵が居る。
「関係ないかどうかはこっちが判断するから話な」
ゆっくりと近づいてくる獣じみた笑みにセイラは心の中で悲鳴を上げた。
洗いざらい話す羽目になったセイラはぐったりと椅子に座り込み冷え切ったお茶をちびりと飲んだ。
「元王妃様ね」
ジョゼはセイラの様子を見ながらある人物を心の中で口汚く罵った。
その情報を自分のところに下りてきていない。
「彼女は関係ないよ」
睨み付けるようにして言うセイラに問い返す。
「何故だ。息子をどこぞの小娘に取られたくない。立派な理由じゃないか」
「違うってば」
彼はサンディアが置かれた状態を知らないからそう言うのだ。
確かに首を絞められたときはそうだったかもしれないけれどセイラは彼女の変化を目の前で見た。
彼女は無力な少女のように身を震わせて泣いていた。
「私も今回の件とサンディア様は関係ないと……」
「何を根拠に?」
確たる証拠など無いハナは口を閉じるしかない。
ジョゼの顔には疑いが濃く、ケイトも渋い顔をしている。
サンディアがあくまで離宮に移されるまでだが息子を偏愛していたことは事実だ。
サンディアが離宮に移されるとき本当は彼女一人のはずだった。
けれどそれを知った彼女は息子を返せと返さぬなら殺してやると王に向かって暴言を吐いたことはよく知られている。
「違う! そんなに疑うんだったら私がその仲間とやらをひっ捕まえて彼女の無実を証明してみせるから!」
「ダメだ」
きっぱりとした拒絶に威圧する瞳を跳ね返すべくセイラは口を引き結んで睨み返した。
ケイトでも背筋に震える視線を受け止めるセイラにおろおろと視線を向けるもののケイトの思いも同じだ。
そんな危ないことをやらせるわけにはいかない。
ちりりと音のしそうな視線の攻防を先に止めたのはジョゼだった。
「ケイト。嬢ちゃんに四六時中張り付いてろ。部屋からも出すな」
「はい」
上司命令に姿勢を正すケイトに目もくれずジョゼは席を立つ。
「ジョゼ!」
去り行く背中に叫んでみても、いつもの飄々とした態度は見えず、その背中も次第に扉の向こうへと消えていった。