第26話:剣
「お前、嬢ちゃんに書庫の事教えたらしいな」
書庫に向かう廊下でケイトは上司であるジョゼに捕まった。
こんなところでふらふらと何をしているのか。
またサボっているのだなとため息をついた。そのうち部下たちにしわ寄せがやってくるだろう。
「書庫があるということを教えてはいけないと命令されませんでしたからね」
「やっと反抗期か?」
「誰が反抗期ですか。それより今度はどんな問題を持ち出す気ですか?」
調練以外の仕事はよくサボるので気にしていなかったのだが、やたらと機嫌がよい上司に嫌な予感がする。
「今から訓練場に連れて行こうかと思ってな」
「……訓練所ですか」
「あそこの連中に認められないようならば、やってはいけないだろう」
「そうですが……何か起きそうな気がしますね」
「だろう? アレだけ馬を操れるんだ。この際、鬼神の如くだといいな」
「面白がらないで下さいよ」
笑みを浮かべる上司にケイトは深い深いため息をついた。
「だからハナ嬢は任せた」
「は?」
目を丸くするケイトを置き去りにジョゼはさっさと書庫に足を向けた。
ジョゼは追いついたケイトに「何をするつもりですか」と憤然と言い募るハナを押し付けてセイラを捕まえた。
その様子を部屋の隅で見ている青年に一言。
「ジルフォード。嬢ちゃんを借りるぞ」
「ん? 二人は仲良しか?」
その言葉にジョゼの乱入に驚いていたカナンが眉を下げる。
「まぁな」
ジョゼはふっと口の端を上げた。仲良しとは違うかもしれないが。
「嬢ちゃん、やっとアイツがジルフォードだって気づいたんだってな」
賭けに負けたジョゼは代償にダリアの菓子作りを手伝わされたのだ。
「うん」
「じゃぁ行くぞ」
「何処へ?」
訓練場に入ったセイラは歓声を上げた。
それに何事かと女性たちが目を向ける。
そう訓練しているのは皆女性だった。髪を高く結い、勇ましく剣を振るう。中には槍や棍を扱うものもいる。
「何事ですか?」
その中でも代表格なのであろう、一番前に立って指示をしていた女性がセイラたちのほうへやってきた。
腰に差しているのは細い剣だ。
「いや、女たちの勇ましい姿をお姫様に見せてやろうかと思ってな」
「お姫様?」
女性はちろりとセイラに視線を向けた。
「エスタニアから来たセイラ殿だ」
「……そう」
新入りの侍女かと思った。まさか隣国の王女だとは。
「私、ダリア様付のマキナと申します」
慇懃に頭を下げながらも彼女の声からは親しみが感じられない。
「セイラだ。よろしくね」
「こいつら皆、侍女だぞ」
アリオスでは侍女ですら武器を扱える。
特に誰か付きの侍女にもあると腕前はかなりのものだ。
「へぇー!すごいな」
「エスタニアのお姫様には受け入れがたいかもしれませんが、アリオスではこれが普通です。退屈でしょうけど、見学ならいくらでも」
「ジニスでは女の人は武器もってないもんな〜」
平和ボケしたお姫様には分かるまい。
そう頭の中で吐き捨てようとしたのに次の言葉に思考が止まる。
「奥さんたちフライパンで戦うもん。これが強いんだよね〜レンガは飛んでくるし、煮えたぎった油ぶちまけられたら盗賊だって逃げるよね〜あはは。背中に赤ちゃん背負ってるから強い強い」
「…………」
何この子。マキナのそんな視線を受けてジョゼは笑った。
「嬢ちゃんは何か扱えるのか?」
「ん〜剣なら」
予想していた通りジニスのお姫様はとことんお転婆らしい。
エスタニアで剣を振り回せる女はジョゼの経験上多くない。
「その割には嬢ちゃん武器持ってないのな」
「邪魔だもの」
この言葉にマキナは盛大に顔を歪めた。
「マキナと手合わせしてみたらそうだ?ここで一番強いぞ」
その言葉に周りから不満の声が上がる。
いつも一緒に調練している彼女たちでさえマキナから直接指導してもらえるなど夢のような事なのだ。
「ジョゼはダメなのか?君のほうが強そうだ」
その言葉にマキナは眉を吊り上げた。
侍女頭と将軍の腕を比べられては勝てるわけがない。
「別にダメではないが……」
他の侍女たちはしんと静まり返っている。
将軍と手合わせ?
歓喜よりも恐怖のほうが勝る。
「じゃぁ、やろう」
軍人たちが言いたくて言いたくてでも言えない言葉をセイラはさらりと言った。
「いいだろう」
ジョゼは苦笑して邪魔な上着を取り払う。
「誰か嬢ちゃんに剣をかしてやってくれ」
セイラはおずおずと出された細身の剣を手首を使って回す。
鋭い風を切る音がする。
それが強くなるほどセイラの顔は真剣味を増し瞳の色が強くなる。
「大丈夫か?」
その様子を見ながらジョゼはにやりと笑う。
「うん」
借り物の剣はすでにセイラの手に馴染んだ。
自然に開いた訓練場の中央に二人が進んでいく。
「マキナ合図を頼む」
向かい合った二人の横にマキナが立ち、気遣わしげにセイラを見た。
こんなに小さな少女に何が出来る。
最初の一撃でその身は吹き飛んでしまいそうだ。
向かい合った二人は互いに礼をした。
セイラの礼はこれから剣を振るうとは思えないほど優雅なもので、マキナは目をむいた。
立ち姿もまるでこれから挨拶を受ける高貴な娘のようだった。剣は腰に差したままだ。
―この子分かっているの?
ジョゼの視線を受けてマキナは思考を切り返した。
ジョゼがセイラを傷つけるとは思わないが、何かあれば対処できるようにしておかなければ。
マキナはすっと右手を上げた。
「始め!」
合図があったのに二人とも動こうとしない。
「君から来てよ」
「嬢ちゃんからどうぞ?」
ジョゼはおどけたように両手を挙げて見せた。
緊張感のカケラもない。
仕方ないとセイラが剣を抜くとジョゼも剣を抜いた。銀の刃と漆黒の刃が相手を見据えた。
―漆黒……
マキナも実際にその刃を目にしたのは初めてだ。
月影と名づけられた刃は右軍の象徴であり、そのものだ。
全ての色を吸収するように暗く重い色。
そこまで考えてはっとした。
敵うわけがない。あの男は、あんな華奢な少女に魔剣を向けるのか
「待って……」
言い終わる前にキィンと軽い音が木霊した。
いつの間にかセイラが走りより刃を合わせていたのだ。
セイラの体格だと大したダメージを与えられない。
案の定、ジョゼの一押しにその身は弾かれ、宙を飛ぶ。
片足を軸に舞うように回転し、もう一撃。
刃が合わさる寸前、セイラの剣は軌道を変えて首もとへ。
けれど笑みを浮かべたジョゼは切っ先がかするより早く身を引いた。
―おしい
いつの間にかマキナも他の侍女たちも固唾を飲んで二人を見守っていた。
まるで剣舞を見ているようだった。
マキナの主であるダリアの剣筋も優雅だが、それとはまったく違う。
パキィン
もう一度刃を合わすとセイラの剣はか細い悲鳴を上げて砕けた。
魔剣に普通の剣が敵うはずがない。最初の一撃で壊れなかったのは絶妙な力加減のおかげか。
「あ……」
至る所から声が上がる。
残念がるような詰めていた息をやっと吐き出せたような。
「あ〜ごめん……壊れちゃった」
柄だけになった剣の残骸を見せながらセイラは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「いえ……」
マキナは呆然とそれしか言えなかった。
この数分の間にセイラの評価ががらりと変わったのを認めざるを得ない。
「本当に惜しいな。男なら本気で軍に誘うぞ。ケイトより上にしてやるのにな」
ジョゼは剣をおさめ、セイラの頭をぐしゃりと撫でた。
「む」
「だが一撃が弱いな〜スピードはあるが」
ざわめきに己を取り戻したマキナは言い募るジョゼに視線を向けた。
「将軍、あまり望むのは贅沢です。セイラ殿、今度私とも手合わせを願いたいものです。」
「うん。しよう」
満面の笑みにマキナは微笑んだ。
「それでは」とマキナは侍女たちをまとめに去っていった。
「嬢ちゃんの型はジルフォードと同じだな」
一見、舞うように軽やかにけれど急所を的確に突くように繰り出される刃をジョゼは知っている。
「ジンと?」
「ああ、見ない型だったから師を聞いたんだが話さなかったな」
「私は流れの旅人に教わったんだけどな。」
風のように現れたカエデと名乗った男は、しばらくジニスの街に居座った。
いつの間にか街に溶け込んだ彼に剣を教えてもらうようになったのはすぐだった。
舞のような美しい型に惚れ込んで弟子にしてくれと毎日後ろをついて回った。
最初は拒んでいた彼もついに根負けしたのかある条件を持ち出した。その条件を思い出してセイラは空笑いを浮かべた。
「礼儀作法を完璧に身につけること」
諦めさせるための方便だろうと必死になってハナを巻き込んで礼儀作法を学んだのだ。ハナの方がずっと覚えがよかった。
けれどそれは方便ではなく、カエデが言うにはどんな時にも自然に最初の一撃を出しために必要なのだと。
どうにか合格点が出た後、カエデは剣の持ち方から教えてくれたのだ。
そして来た時と同じように唐突に彼は去っていった。もしかしたら彼は、ここにもふらりと現れていたのだろうか。
「ジンは剣術が出来るんだな」
それは意外だった。握った手のひらは剣を持つ人間の手ではなかったためだ。
「ああ。俺も意外だったよ。」
最初にまだ幼かったジルフォードを見に行ったのは興味本位。
珍しい外見だったがどこが恐ろしい?
最初の感想はそんなものだ。
ジョゼは誰にも関わらず孤独な少年は血なまぐさい事とは無縁なのだと思っていた。
ジルフォードが剣を握る姿を見るまで。
そんははずは無かったのに。
己の身は己で守る以外、あの少年には術はなかったのに。
傷つけられた痛みより傷つけてしまった痛みに耐えかねて、それでも涙を流すことを知らない少年は全身で泣いていた。
己もその痛みを知っていた。
けれど自分は一人で味わったのではない。
そばに近づいても少年は関心を示さなかった。
アレだけひどい目にあいながらも剣を帯びている人間が近づいても警戒ひとつしない。
怖くないのかと問えば何故かと逆に返された。
「ジンは強いのか?」
何度となく話しかけ、距離が縮まったと思う頃には二人で剣を交える事もあった。
当時自分は軍にいて、今ほどではないが剣に自信はあった。
ジルフォードとの間には年の差も体格の差もあった。
それなのに
時に背筋が冷えるほど
「ああ」
もしもジルフォードが普通の王子として育ったのなら……
ルーファすらも凌ぐ将となり、同じ戦場を駆けていただろう。
「ふぅん。今度一緒に手合わせしてくれるかな」
「どうだろうな」
頭をかき回されながらカエデの事を聞いてみようとセイラは思った。