第24話:名乗り
サンジェリカ通りから帰ってきたジョゼは変な雪像に目を奪われた。
―怪物?
それは街の子どもたちが作るような可愛らしい雪だるまではない。
大きく開いた口には牙が備わり、目の部分には毒々しいほど赤い実がはめ込まれている。
それは赤い陽光に照らされて笑っているようにも見える。
城の中でこんなものを作るのは一人しかいない。その雪像を辿っていくと予想外の姿があった。
あの青年が雪遊びをしている。
その表情は面白いとは言いがたいが、ぺたりぺたりと大きな雪玉の表面を整えている。
その横で最近やってきた少女が更に大きな雪玉をせっせとつくっていた。
耳も頬を寒さに赤く染めながら随分と楽しそうだ。
不器用な手つきの青年と楽しげな少女を笑いを堪えながら暫く見つめていると、書庫の扉が開き老人の声がした。
「お茶の準備ができましたよ」と。
その言葉に元気に答えながら少女が青年の背を押す。
青年だけを書庫に押しやって、少女はもう一度雪に足跡をつける。
次に扉を開けたのは青年だった。
少女は青年に赤い実を見せている。
「これをつけたら行くから、先に中に入って」とでも伝えているのだろう。
渋々といった様にゆっくり扉が閉まっていく。
ジョゼは思わず声を立てて笑った。
「あ……」
セイラは腹を抱える男を見つけた。
最初に会った時とも二度目に会ったと時とも違う格好をしているがひどく印象に残っている男だ。
「よう。嬢ちゃん」
「やぁ。……君は?」
不敵でありながらどこか人懐っこい笑みは魅力的だ。
一度見たら脳裏に焼きつくような。
ホールで会ったときのこともよく覚えている。けれど名前は知らない。
「ああ、そう言えば名乗ってなかったか」
ジョゼは頬を掻いた。
最近では少女の話題が自身の周りに溢れ、とても近しい間柄のような気がしていたが実は名前さえ教えていなかった。
居住まいを正すとジョゼは静かに膝をついた。
「挨拶が遅れたことをお詫びします。我が名はジョゼ・アイベリー。アリオス国の将に連なり月影を継ぐもの。大陸の華エスタニアの姫。月の女神の名に連なる者。あなたに会えたことを光栄に思います。」
「君はエスタニアにいたことが?」
さきほどの長い名乗りはエスタニアで最上の意を示す。
「少し」
「そう」
ハナがこぼしていたように一応は礼儀作法を覚えている。
次に何をしなければならないかも分かっている。
最上の礼をとられたのならこちらも返さなければならない。
「我が名はセイラ・リューデリスク・リーズ=エスタニア。エスタニアの八番目の娘。」
凛とした声が響く。それは普段の声とは性質の異なった声だ。
小さな体が圧力を増す。
そこで少女は一度言葉を切った。
この後は、王家を讃え、己の血の尊さを語るのが王家に連なるものの常識だ。
「鉱山が育みし異端児。漆黒の血脈に連なることを忘れた者。」
ジョゼはかすかに表情を動かした。
少女はエスタニアの王家から外れたものだと宣言しているのだ。
「アリオスの武を司る者よ。私もあなたに会えたことを光栄に思う」
少女の顔に浮んだのは己を貶めるものではなくて、誇りに満ちた笑みだ。
ジョゼは深く頭を下げた。
「ジョゼ。そんなに畏まらなくていいよ。嬢ちゃんでかまわないし」
がらりと印象を変えた少女に下を向いたまま苦笑する。
女神のような威厳を見せたかと思うと年相応の姿も見せる。
「エスタニアの王女であり、アリオスの王弟殿下のお妃になる方に?とんでもない」
そう言いながら現れたときのように気楽な雰囲気をかもし出している。
「様とか付けられるのは好きじゃないんだ。」
「おえらい様がたは好きだけどな。そういうの」
「彼らが敬意を払っているのはお偉いさんたちの付属品にだよ。家柄とか身分とか。中身の無い素振りなんて不快だよ。純粋に尊敬を表しているしている人もいるけどね。敬称なんて無くても伝わると思うんだけどな」
「そういうものかね?」
「私は君のこと嫌いじゃない。うん。好きだと思うよ。それを示すのにジョゼ様と言わないと伝わらないかい?」
「よしてくれ。俺だって様なんて柄じゃないんでね」
「でしょ?」
心底嫌そうな顔をしたジョゼにセイラは笑い声を立てた。
「今日はあの眼帯つけてないんだね」
飾り気の無い黒の眼帯を指差して言うセイラに苦笑をもらす。
「目立つんでね」
「ふ〜ん。あれキレイだったから好きなんだけどな。ジンの瞳みたい」
どうしてこの少女は人の驚きと笑いを誘うのだろう。
未だかつて誰もあの飾りの意味になど気づいたものはいないのに。
「今度つけてこよう」
「うん」
「ほら、お茶が冷めないうちに行けよ」
「ジョゼも一緒にどうだ?」
指差された扉をちらりと見ながら告げる。
「今日は遠慮しておこう」
「そっか。じゃぁまたね」
手を振りながら扉の向こうに消えていく少女に手を振り返す。
最初はどんな王女がくるのかと不安もあった。
名も知られていない王子の送られる生贄。
思ったとおり母親の身分の高くない第8王女だと知らせが届いた。
少女の名はあっという間に広まったが、
それまでは聞いた事もない名だった。少女も対峙して蔑むのだろうか。
魔物だと。
それなのに一部では神に讃えられたのだと子どもたちが歌いだす。
最初から破天荒な少女ではあったけれど、ここまでとは……
「まったくとんでもない嬢ちゃんが来たもんだ」
けれど悪くない。
完全に頭を垂れる日が来るのも遠くないかもしれないとジョゼはそっと笑った。