第18話:お茶会
「ハナです。」
ウェーブのかかった漆黒の髪を持つ少女は甘い芳香の漂うバスケットを胸元に持ちにこりと微笑んだ。
数日後、セイラは約束通り、神話の本と自慢の友人を引き連れて書庫を訪れたのだ。
「カナンです。ここの管理人をしております」
老人は柔和な微笑みを浮かべ、少女たちを書庫に招きいれた。
「ジンは?」
紹介したいもう一人が見つからずセイラはあたりを見渡した。
「先ほどまで居られたのですが……」
カナンが珍しく言葉を濁す。
「人見知りが激しいのか?」
少女は首をかしげた。
友人を連れてくるとは言ったものの相手は同意を示したわけではなかった。
まずかっただろうか。
「いえ……」
人見知りが激しいわけではない。
ただ人と関わる事を極端に避けているのだ。
この前、セイラと関わったのは不可抗力と言っても良い。
「ジン。ハナだ。春雷の女神の名を持つ娘だ。良い子だよ。神話の本とお菓子もあるから良かったら降りてきて。」
書庫内に響き渡る声の後、しばらく時間を置いてから白い影が現れた。
「まぁ……」
ハナの上げた声にジルフォードは微かに目線を逸らした。
この国では大概のものが言葉にならない声をあげ、彼から眼を逸らすのだ。
「キレイですのね」
だから少女の続けた言葉の意味がよく分からなかった。
この間のセイと名乗った少女の行動こそ理解不能だったが……
「言っただろう?冬の化身だって。きれいな雪色だ」
「ええ」
エスタニアは広い国だ。
多くの人種が入り乱れて暮らしている。
髪の色もさまざまだけれど、これほど見事な白はお目にかかれない。
厭うなど思いもつかない。
「それに瞳も……」
異国から来た少女たちは臆することなく青年と対峙していた。
「月の雫」
「そう、本当にそうですわ。月の雫のよう。」
そう言って少女たちは、お互いの認識があっていることに微笑んだのだ。
「月の雫って知ってる?」
ジルフォードはこくりと頷いた。
知っている。
どんなものでどこの特産品かも。
けれども己の瞳の色がそうだと言ってのける少女たちの思考が理解できなかったのだ。
「私は好きだぞ。」
微笑んだ少女に何も返すことが出来ずにジルフォードはただ立ちすくんだ。
「そろそろお茶を淹れましょうか」
微笑と共に出された提案に少女たちはすぐさま同意した。
「お手伝いいたします。」
ハナはカナンの後ろに従った。
ぽつんと取り残された二人の間をしばし静寂が居座った。
ジルフォードの視線は床の石材の割れ目を辿るかのように下に向けられたままだった。
伏せられた瞳からは紫は消え、深い碧がほんの少し顔を出す。
「ジン」
呼べば僅かばかり視線が上げられた。
何か対処しきれない出来事にあってしまった子どものような雰囲気だ。
「ここは冷えるぞ。早く行こう。ほら、本もあるしな」
少女は右手にある本を掲げて見せ、空いた左手で青年の手を取った。
その手を引けば、青年は素直について来た。
華やかな香りの紅茶に蜂蜜を一すくい。
机にはガンディと呼ばれるエスタニアの焼き菓子と様々なジャムや蜂蜜が並べられている。
さくさくと口当たりのよいガンディにバースという薄紅色の花弁を持つ花のジャムをつけて食べるのがセイラの好みだった。
「これは色彩豊かですね」
カナンは感心したように息を吐く。
ジャムは全部で6種類。蜂蜜は3種類。
それぞれに色も味も違う。
ガンディも様々な形にあしらわれていて何とも可愛らしい。
「ジャムはハナの手作りだぞ」
まるで自分のことのように誇らしげに告げ、少女は焼き菓子を頬ばった。
「さぁ、ジン様もカナン様もどうぞ。」
カナンとハナはこのジャムにはどのお茶が合うだの、あのお菓子はこうしたほうが良いだのと話し合いを始めた。
案の定、ハナはカナンの淹れたお茶を大層気に入ったようだ。
セイラの向かいに座ったジルフォードは、言葉を発する事はなく、もくもくとガンディを咀嚼している。
おいしくなかったこと危惧しているハナにカナンはそっと耳打ちした。
「お気に召したようですよ。嫌なものは決して二口以上召し上がりません」
どうやら何もつけずに食べるのが良いらしい。
ハナの作るガンディにはナッツと蜂蜜が入っており、そのままでも十分においしい。
普通、ガンディには何も入っていないのだがナッツと蜂蜜はハナのアレンジだ。
あらかた菓子も食べ終えた頃、持参した本を見せることになった。
「ほら、これがハナメリーだ。」
少女が指差した頁には豊かな髪を波打たせた美しい女神の姿が描かれていた。
きりりとした目元も淡い微笑により柔らかく見える。
手には光り輝く雷を持ち、足元には鮮やかな花園が広がる
「春雷の女神、豊穣の女神でもあるんだ。」
なるほど、ハナという少女はこの絵の風貌によく似ている。
「こっちはトゥーラだ。夏と戦を司る女神」
少女は隣の頁を指差した。
ハナメリーと同じく、きりりと意志の強そうな瞳。
けれども引き結ばれた唇のせいで厳格な雰囲気をかもし出している。
風になびく、一つに結われた髪、手には大剣が握られている。
豊かな身体を包むのも無骨な鎧だった。
「ジンはこっちだ」
少女が開いたページは漆黒に塗られていた。
それは夜空のようで端々には星がちりばめられている。
「ジンには姿が無いんだ。闇そのものだから。夜の神、安らぎと眠りを司る」
好きに見るといいとセイラはジルフォードに本を預けて席を立った。
この前は、ほんの一部しか書庫の中を見ていないのだ。
今日は続きをやろうと思っていた。
残されたジルフォードは何気なく、次のページを捲る。
そこにはジンと全く同じ構図の闇の中に膝を抱いた女神の絵があった。
リーズ。
月の女神と書かれてあった。
その姿は闇に抱かれ安堵の眠りにいるようだ。
金の髪がゆりかごのように身を包み星の子守唄がその身を守る。
ジンはしばらくの間、その絵を見つめページを捲った。