第17話:冬と夜と月
他国に来てもう一週間というべきかまだ一週間というべきか。
めまぐるしく変わった生活環境にも今や慣れ、ハナはアリオスの侍女ですら感嘆するほど完璧にこちらの礼儀作法を覚えていた。
元々順応性は高いため、同じ年頃の侍女とはすっかり仲良しになっていた。
気になるのはやはり主の夫となる人物だ。
この一週間、顔を見せる素振りどころか挨拶状一つよこさない
怒りを突きぬけ呆れるばかりだったが、生活が落ち着いてくるとおかしなことに気がついた。
まったくジルフォード王子の話題がでないのだ。
名前を出そうものなら仲良くなった子でさえ奇妙に顔を歪めて、そそくさと去って行く。
これはいったいどうしたことであろう。
未だに容姿はおろか、居場所さえ分かっていなかった。
「ねぇ、貴女」
呼び止められ、振り返った先に数人の侍女の姿があった。知った顔ではない。
一週間そこそこで把握できるほど侍女の数は少なくないが、セイラの生活に関わる範囲の侍女には顔見せを終えたはずだ。
「何でしょう?」
「貴女ハナさんでしょう?」
「ええ」
確認などせずとも、服装の違いで分かるはずだ。
「貴女、孤児だったって本当かしら」
言葉は疑問ではなかった。知っていて尋ねているのだ。
「ええ」
孤児であったのは事実だ。
ハナの言葉を聞いて、侍女たちはさざめきあった。
孤児でも王族に取り入る事ができるのだと。
まぁあの王女ですものねと。
「セイラ様の恩寵は誰の上にも注がれますから。あなた方の仰るとおり、私ほど幸せ者はおりません」
満面の笑みに言葉をなくしたのは侍女たちのほうだ。
けれど挑むように肢体に力を入れて口の端を歪めた。
「その恩寵とやらが、あの方にも注がれるといいですわね」
「できますかしら?」
「あの方?」
聞き返したハナの言葉に侍女の目がきらりと光る。
「あの〈色なし〉のことですわ」
「おやめなさいな。ハナさんはご存じないのよ」
「セイラ様もお可愛そうに」
「魔物に嫁ぐなんて」
ハナの困惑を感じ取って侍女たちは笑みを深くした。
「あら、ごめんなさい。お仕事のお邪魔をしてしまったわね」
多くの疑問を残したまま、侍女たちは優雅に去っていった。
ドアを開けると部屋の主は長椅子に寝そべっていた。
どうやらふかふかのベットより此方のほうが好みのようで夜の居場所もそこだ。
ベットの上の皺一つなく伸ばされたシーツは、同じ姿のまま朝を迎える
「セイラ様。帰っていらしたんですね」
部屋を出て行ったときと装いがだいぶ違う気がする。
何度文句を言っても意味が無い事を学習済みである。
「先ほどジルフォード殿下について聞きましたの。けれど、色なしやら魔物やら分からない事ばかりですわ」
「ふぅん。まぁ会えば分かるんじゃない?」
「そうですね」
頷きながらもハナは釈然としない。
侍女たちの言葉には嘲りだけでなく確かに畏れがあったから。
お茶を入れ始めたハナにセイラは笑顔を向けた。
「今日ね。もう一度、冬の化身に会ったんだ」
「ああ、この間言っていた方ですね」
「うん。彼の名前はジンって言うんだ」
「まぁ、幸運なかたですね」
エスタニアで神の名を持つことが出来るのは王家に連なるものだけだ。
自国を遠く離れた場所でその名を聞こうとは。
エスタニアでは生まれたときに王子には男神の名を、王女には女神の名をつける。
セイラの父である現国王はタナトという芸術の神の名が、セイラにはリーズという月の女神の名がついているように。
歴代の王子の中でジンの名を貰ったものはいなかった。
かといってジンが嫌われているわけではない。
夜の神は太陽の神と同等の力を持つ存在として崇められ、街の守護神とするところも多い。
けれど誰にも侵蝕されない闇という性質は頑固者、偏屈という印象を与えるために今まで王家では選ばれなかったのだ。
しかし、妻である月の女神リーズの前だけでは表情をかえるという可愛らしいエピソードもあり民衆の間では大人気だ。
冬の化身で夜の神
「冬と夜の組み合わせなんて素敵ですね」
冬の夜は空は澄みわたって漆黒に星のきらめきが映える。
鋭い寒さの中にすべてが冴える
「それにね、月の雫みたいな瞳だった」
なによりも衝撃的だったのは美しく色を変える瞳。
「不思議な方ですね。とてもキレイでしょうね」
「うん。とってもキレイだった。カナンっていう書庫のおじいちゃんにも会ったよ」
湯気の立つカップが目の前に置かれた
「カナンはね、とってもお茶を淹れるのがうまいんだ」
書庫で飲んだお茶の色、香り、味などを細かに話してやると、ハナは予想通り会いたいといってきた。
「紹介する約束をしたからね、たくさんお菓子をもっていってお茶会しようよ」
「ええ!お菓子作り頑張りますわ!」
俄然やる気を見せ、レシピの束を取り出すハナの姿に、やっと見つけた本の興奮を語る機会を失ってしまった。