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第16話:神の名

三階の一番奥の本棚に見知らぬ少女がいる。

ジルフォードから見れば知った顔などほとんどいないのだが。

三階の一番奥には古い歴史書が置いてあり、普段余り人の来ない書庫の中でさらに人気のないコーナーだ。

黒いケープを羽織った少女は床に座り、なにやら真剣に本に見入っている。

彼女の見ている色あせた歴史書は、この国の者なら誰でも知っているような国立物語がしるしてあるものだったはずだ。

そんなに面白い物だったかとジルフォードは考えた。

確か自分も初めはここから本を読み始めたのだ。

この城に新しく来た者だろうかふとそんな考えがよぎる。

亜麻色の髪はこの国のものではない。

エスタニアから来た者の一人であろうか。

そこまで考えるとジルフォードはその場所を後にした。

彼にとって少女が何者であるかは重要なことではない。

三階の隅の壁には縄梯子がかかっており、その上はロフトのような空間になっている。

そこはジルフォードの特等席。

机とたくさんのクッションが置いてあるだけの部屋だ。

一日の大半を彼はここで過ごす。

読みかけの本を手に取ると壁に背を預け読みふける。

彼の読み物には傾向があるわけではなく、伝記、小説、歴史書、学問書から雑学に至るまで何にでも手を出している。

今日読んでいるものは「ジュエルホッシ―の優雅な一日」なる本だ。

ちなみに昨日読んでいたものは「空間を統べる方法その3」という数学書だった。

面白いのかそうでないのか判断できない無表情で彼は読み進んでいく。

彼が情報を得ることが出来るのは活字からだけなのである。

彼と進んで会話をしようとする者は少ない。

それを感じてか彼自身から話しかける事などまずないのだ。本を読み終えようとしたそのとき、


「いやぁぁぁーっ」


下から悲鳴が聞こえた。

先ほどの少女だろうかひっそりとした書庫には思いのほか大きく響いた。


「ど、どうかなさいましたか?」


慌てた様子のカナンの声がする。

聞こえてくるのは階段を上ってくる音だ。

虫でも出たのだろうか。……そんな声ではなかったが。

むしろ感極まってというような感じだった。少々大きすぎる感も否めないけれど。

気になったのかジルフォードは縄梯子を降りた。

おろおろするカナンの後ろにそっと続く。

先ほどの少女は立ち上がり、一点を集中して見ていた。

そこにはやはり古ぼけかび臭い本が整然と並んでいるだけだ。


「あっあった……。」


震える少女の指が行き着いたのは殊更古い本だった。背表紙は擦り切れ、中の紙はすっかり変色している。

金文字で書かれていたであろうタイトルは擦れてほとんど見えない。

かろうじて繋がっている紙の束を少女は聖遺物のように丁寧に扱う。

しかし、少女は思案しているようだ。俯いて手の中にあるそれをじっと見ている。

あまりにも脆いその本は表紙を開けた途端悲鳴をあげてばらばらになってしまいそうだったからだろう。


「一階の机を使用してはどうでしょう?」


見かねたカナンが申し出ると、弾けたように少女は顔を上げた。


「……ありがとう。」


やっと自分の失態に気がついたのだ。ほんのり頬が色づいている。


「ついでにお茶を入れましょう。体が冷えましたでしょう」


「うん」


自覚してみれば体の芯は冷え切っている。

思っていたよりも長く冷たい床に座りっぱなしだったようだ。


「さぁ、ジン様もご一緒しましょう。」


カナンは気がついていたらしい。

後ろを振り返り微笑みながら告げた。


「……ジン?」


少女の言葉が繋がる。

カナンが体の位置をずらすと青年と少女は向かい合う形になった。

少女の大きな黒い瞳が青年の紫色の瞳を捉える。


―ああ! 冬の化身だ


この間見つけた美しい人物はやはり実在したようだ。

雪色の髪は健在だった。けれど、瞳の色が違う。


「君の名前?」


青年は返事をしなかったが少女はそれを肯定だと取ったらしい。


「ジン」


少女はもう一度その名前を口にした。なぜかうれしそうに。


「……?」


「いい名前。」


青年は困惑した。自分の名前を褒められた経験などないのだから。むしろ嫌悪すべき魔物の名前なのに。


「ジンは神の名だ。夜の神の名だ。」


「……」


「ああ、恐ろしい神ではないぞ。夜の眠りを守護するものだ。」


「エスタニアの?」


アリオスの国では聞いた事のない話だ。

青年の声は静かなのにどこか耳に残る。


「うん、そうだ。エスタニアの神だ。エスタニアの神を知っているのか?」


「いや……」


「そうか。ならば今度エスタニアの神話の本を持ってこよう。ふふ。ジンの髪は雪色だねぇ。アリオスで見た一番キレイな色」


カナンでさえその言葉に目をむいた。

彼でさえ髪の色に触れたことはない。


「冬の女神でさえ、そんなにきれいな色は持っていないよ。んっ?」


セイラはすいと青年との距離を詰めた。


「わぁ!」


青年の瞳が紫から緑へと色を変える。

光りの反射かと思っていたけれど、そうではない。

本当に色が変わるのだ。


「すごい! すごい! すごいー!」


セイラは大事な本を持っていることも忘れ何度も飛び跳ねた。

もっと近くで見ることのできない己の身長が恨めしい。


「月の雫みたい……」


月の雫はジニスでも滅多に取れない貴石だ。

光りの当て方により色を変える石を月になぞらえて名づけられたのだ。

時にはリーズの涙と呼ぶものもいる。

緩んでいくセイラの頬を見てカナンもつられて微笑んだ。

予想していたよりもずっと早く、この少女は青年を救ってくれるかもしれない。

言葉に窮している青年に苦笑を向けながら老人が声をかけた。


「さぁ、お茶にしましょう」


「うん」


セイラはカナンの後に続く。

途中で振り返り、一向に動こうとしない青年の手を掴んだ。


「ジンも」


なんの億尾にも出さずにとられた手に驚いた。自分のものより暖かい手。


「ジンの手は冷たいな。知っているか? 手の冷たい人は心が温かいのだ。」


どこかで呼んだ事のある情報だ。

しかし、人と触れ合うことのない彼にとって己の手が冷たいかどうかなど知る由もなかったのだ。


「ああ、そうだ。私は……」


そこでセイラは口ごもった。

自分の姿と行動を振り返って、冷え切った体に冷や汗を浮かべる。

ベールをむしりとり、共も連れずに徘徊し、床に座り込んだと思ったら奇声をあげる。

ついでに人の瞳を覗きこむために飛び跳ねた。


―さすがにやばいかな〜ケイトに怒られる


「セイだ。」


ちょっと考えてジニスで呼ばれていた愛称を伝えた。


「……セイ」


「そう」


どうせいつかばれるだろう。まぁいいやと気楽に頷いた。

青年は軽快に歩く少女の一歩後ろに続く。

個室に入ると暖かい空気が頬を滑る。セイラは改めて身の冷たさを知った。

暖炉で焚かれた火といくつもの蝋燭で部屋の中は明るく暖かだった。

勧められた席に腰を下ろし、恐る恐る本を机の上に置く。

向かいの席には青年が座っている。

湯気の出るカップを受け取ってお茶を飲みこめば体の中から暖かくなる。


「おいしい」


今までに飲んだことのない味だったがセイラはすぐに気に入った。


「それはようございました」


「カナンが淹れたの?」


「左様でございます」


「カナンはお茶を淹れるのがうまいね。私の友達にもうまいのがいるよ。」


ハナの顔が思い浮かぶ。

何も言ってこなかったから今頃怒っていることだろう。


「今度紹介しよう。菓子を焼くのもうまいんだ」




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