助けを求める声
先生が何か言いたげにじっとこちらを見てくるのに気がついてはいましたが、心配されているのだろうと無視をしました。
屋敷を抜け出してきたのですから、時間がありません。
短時間でもできるだけ働かなくては!
人手がなくて、患者さんの体を拭いてあげることもできていなかったようです。
感染源でもある汗を触ることを嫌がる看護師も多く、高熱でうなされている方々が放置されていました。
まあ、私だって手袋をしてですが、みんなが怖がる仕事をしなくては。できることが少ないので、本当にパフォーマンスのようなものでしかありません。
だけど、私を見て、同じようにしようとしてくれる人がいるだけで、救われます。
「お嬢様・・・」
「あ、先生。私、もうしばらくしたら、別の治療院へ回ります」
心配そうに声をかけてきた先生に明るく答えました。
「別の?」
「はい。なるべく、今日中にすべての場所を回りたいんですよね。だから、ここにもほとんど居られなくて・・・」
申し訳ありませんと続けようとした時、手が捕まれました。
ぎりっと、音がしそうなほどに強く捕まれた手に、驚きすぎて頭が働きません。
そのまま、先生に引きずられるようにして休憩室へ引っ張り込まれました。
「アリム!」
そこには、高熱でうなされるアリムの姿がありました。
アリムは、先生の一人娘です。晩婚だった先生は、同い年だった奥様との間に子供が一人できました。しかし、高齢出産だった奥様は、出産に耐えきれずに、この世を去ったと聞いています。
親子仲は非常に良く、アリムも施療院をよく手伝っていました。
今回アリムが見当たらなかったのは、やはり、一人娘を伝染病患者がたくさんいるところで働かせたくないのだろうと思っていました。
だけど・・・
「アリムは、元も早く感染した患者の一人です」
先生がゆっくりとアリムに近づきます。
私の腕は掴まれたまま。力が強すぎて、指先がしびれたようになっています。
なのに、私は、手を放してほしいと口に出せません。何故か、先生がすごく怖い。
「高熱でぐずって泣いている子供をあやし・・・感染しました」
その子供の病名に気づくことができなかった。それを悔やんでいるのか、先生の顔が泣きそうに歪みました。
「お嬢様、お願いです。アリムを、癒してください」
息が止まりました。
先生が、そのお願いをしてくるとは、予想外だったのです。
今まで、幾人もの患者を診て、たくさんの死にも立ち会ってきた方で、私と出会ってからでも、そんなことを言われたことはありませんでした。
「ここにお嬢様が来てくださったこと、これは神のご采配だとしか思えません」
腕だけが別の生き物のように私に絡みついて、先生は優しく微笑んでいます。
その表情に、油断してしまいました。
「ごめんなさい。先生。私は治癒術を使えないの。禁止されていて・・・」
「禁止……?」
驚く表情に、申し訳なさから、謝罪しました。
「治癒術以外のできることをしようと、治療院を回るつもりで…いっ・・・!?」
しゃべっている途中で、引き倒されました。
アリムの顔が、すぐ目の前にあります。
――――ぞわっと、背筋に寒気が走りました。
手袋もマスクも外してしまった今、私はアリムの汗が、おぞましい。今にもくしゃみをしないか、動いて何かの拍子に私に触れないか、恐怖してしまったのです。
「分かりますか?アリムは今、戦っているのです。その手助けをすることの何を禁止する必要があるのですか」
真横に、先生の顔があります。
慈しみの表情で、アリムを見ています。
ごくり、と喉が鳴りました。先生は、正気……?この、表情が……?
目を見開いたまま固まる私を、ゆっくりと立ち上がらせて、もう一度言いました。
「アリムを助けてください。その、奇跡の治癒術で」
ああ、先生は確信している。私が昏倒した時に診てくださったのは、多分先生だ。実際に自分でその場面を見ていなくても、使用人たちに話を聞いただろう。
だけど、治癒術だけは使わないと、約束した。他にもいろいろ約束して、破ったけれど、ここは譲れない。私が治癒術を使うことはよくないことだ。
「ごめんなさい」
首を振りながら謝りました。
「男爵家は、奇跡の治癒術を独り占めする気かっ!」
聞いたことのないほどの大声での叱責でした。
「許さない、許さないぞ。男爵家だけが生き延びる気か。うちを・・・アリムを見殺しにするのか!私はお前たちを何度助けたと思っているんだ。恩があるだろう?さっさとアリムを治せええええぇぇ!」
掴みかかられて、休憩室のドアから廊下にでました。休憩室のドアが開いていることに今気がつきました。
そして、開いたドアの先には、私より少し年上の女性が呆然とたたずんでいました。
「奇跡の治癒術……?」
大きな目が、私を捉えます。唯一の希望を見出したかのように、目を光らせて。
「あの、噂の軌跡の治癒術なのね!?ああ、お願い。うちの子を助けて。まだ赤ん坊なの。体力がないのよ。死んでしまうわ。お願いよ、お願いお願い・・・」
ふらふらになりながら近寄ってくるこの女性も、感染者ではないだろうか。
その不気味さに、私は逃げ場を探しました。
「奇跡の・・・」
「治癒術・・・」
廊下の先から、いくつもの目が、こちらに向かっていることに気がつきました。
「オレの、オレの母親を助けてくれ!もう高齢で、すぐに死んじまいそうなんだよ!」
「お願い、彼を助けて!もうすぐ結婚しようって言ってくれたのよ、私たち、結婚するのよ!」
「お父さんを助けて!ぼく、ぼく、一人で生きてなんか行けないよ!」
「お願い!」
「助けて!」
幾本もの腕が伸びてきて、私を捕まえようとしてきます。
「や、やめて、やめて!私にはそんな力ないわ!」
否定しても、否定しても、私が万能と思っているかのような声まで聞こえ始めました。
「どうして助けてくれないんだ!金か?オレにできる限りの金は出すから!」
「お願いよ。あなたになら助けられるのでしょう?あの子の笑顔を見せてくれるんでしょう!」