1.出会い
暗闇と静寂が支配している地下道を、一台の軽自動車が走っていく。運転席には長髪の男が乗っており、助手席にはスキンヘッドの男が乗っており、手にはタッチパネル式の携帯端末を持っている。
そして数分ほど走っていると、やがて広い空間に出る。軽自動車はゆっくりと減速すると、やがて地下道の出入り口から百メートルほど離れた場所で停車した。
「よし、ここまで来れば誰も追っては来ないだろう」
「ははっ、今日はついてやがる。がっぽり稼がせてもらうぜ……嬢ちゃん」
二人組の男は車から下りると、後部ドアを開け、後部座席に乗せていた女子高生を地面に寝転がした。
女子高生は両手と両足を結束バンドで拘束され、目隠し、更には猿轡まで噛まされている。
男たちは誘拐犯であり、腰には拳銃の入ったホルダーと、予備弾倉が入ったポーチがぶら下がっている。スキンヘッド男は更にナイフを持ち、何か不審な動きをすれば、例え"商品"であろうとも殺すつもりだった。
「さて、戦利品を漁るとするか。そういや受け取りまであと何分だ?」
「あと10分ってとこか。……それにしても、こんな奇妙な場所指定しやがって、気味悪いぜ全く」
「確かに不気味だな。お、学生証発見。……暁、夏鈴ちゃんか。可愛いな」
「くそッ!とっとと来やがれってんだ」
口にライトを咥え、鞄の中を漁るスキンヘッド男から目を逸らした長髪男が、悪態を吐きながらポケットを漁る。煙草の箱とライターを取り出した長髪男は、煙草に火を付けて一服しようとする。
その時、カツン、という金属音のような足音が響いた。
音源は空間の先にある闇の向こう側だ。
長髪男は即座に拳銃を抜いた。
「誰だ!」
しかし、応答はない。その姿を見たスキンヘッド男は、盛大に笑った。
「神経質になりすぎだろ。こんな場所に来るのは依頼人以外にいねぇぜ」
「……そんなお前は注意力がなさすぎる。死ぬぞ」
「おいおい、勘弁してくれよ。俺らは軍警察相手に無傷でここまで来たんだ。仮にここに誰がいようとも、俺たちなら余裕でぶち殺せるさ」
スキンヘッド男は笑いながら肩を竦めると、車のボンネットに腰を掛けた。
「呼んだか?」
暗闇の先から、唐突に声が聞こえた。
長髪男は再び銃を向けると、スキンヘッド男も拳銃を抜いた。
「……おいおい、盗み聞きかよ」
スキンヘッド男は余裕の笑みを浮かべていた。一方で長髪男は、緊張した表情で銃を声のする方へ向けた。
「つくづく趣味の悪い男だな。まぁいい、合言葉を言え」
「生憎俺は趣味というものを持ち合わせていない。……それにしても、俺を前にして平然としていられるとはな。余程の強者か、或いは無知なだけか。どちらにしろ邪魔だ。消えてもらうぞ」
瞬間、長髪男が拳銃の引き金を引いた。
広い空間に銃声が轟く。ほぼ同時に、鋭い金属音が鳴った。
長髪男は目を見開く。
「遅いな。遅すぎる。十年も経っているのなら、銃弾の速度も上がっているものだと思ったのだがな」
この声の主が何をしたのか、長髪男はすべて理解をした。故に動けず、そしてこの後に迫る死を覚悟した。
「お前、"夜叉"か」
「ご名答。あの"夜叉"だ」
次の瞬間、空気が一気に流動するのを感じた。
そしてほぼ同時に、意識が闇に融け込んだ。その意識が戻ることは、二度となかった。
◇◆◇◆◇
"夜叉"と名乗った男は、両手に血が塗れた銃剣を携えていた。
「次はお前の番だ」
そう言ってスキンヘッド男を見やる夜叉の双眸は、蒼炎のように燃え広がるような蒼色をしていた。
暗闇の中で僅かに発光した瞳、長髪男を一瞬にして死に至らしめた剣術、人間という枠を超越している動き。そして"夜叉"というコードネーム。
ここの二人だけではない。この国にいる人間であれば、恐らく殆どが知っているであろう。
その正体は―――
「流石は無差別殺戮兵器、だな。相も変わらずトチ狂ってやがるのか?」
スキンヘッド男はそう言いながら余裕ぶっていたが、冷や汗が止まらなかった。
人を殺すことを目的として全身を機械化した"戦闘機兵"。技術面と金銭的な問題もあってその数は世界でも数えられるほどしか存在しないが、一体でもそれが戦場に投入されれば、そこはただ敵の死体が転がるだけの地獄と化す。
そしてこの"夜叉"と呼ばれる男は、その戦闘機兵の中でも群を抜いて戦闘能力が高く、同時に狂気に満ちていた。
「殺すことを快楽としているのが狂っているというのであれば、そうかもしれないな。現に俺は、お前を殺すのが楽しみで仕方ない」
「やってみろッ!」
スキンヘッド男は、引き金を引く。しかし、銃弾が吐き出される音もなく、代わりにガシャン!という銃が地面に落ちる音が響いた。
「……遅い」
夜叉が呟く。次の瞬間、スキンヘッド男は複数の肉塊と化した。
◇◆◇◆◇
「さて」
二人の死亡を確認した夜叉は、拘束されている女子高生を目視で捉えた。
このまま立ち去れば間違いなく死ぬだろう。意識が戻ったところでこの拘束を解けるとは思えない。それに、助けてくれるような人間が、こんな場所まで入り込むとは思えない。
かと言って救助すれば、今度はこちらが危ない。というのも、夜叉は今、軍警察に指名手配されている身なのだ。
だが、そもそも考えている時間すらなかったようだ。
運悪く意識を取り戻してしまった女子高生は、うーうーと唸りながらもがき始める。夜叉はその姿を見て溜息を吐くと、左手の銃剣を腰のホルダーに収め、右手に持つ銃剣で手足の結束と猿轡、目隠しを全て切り裂いた。
「大丈夫か?」
夜叉は尋ねる。突然のことで、何が何やら、という感じだった。だが、数秒ほどして状況が掴めてきたのか、その女子高生は両目に涙を浮かべながらいきなり抱き付いてきた。
「……怖かったぁ」
そして、大声を上げて泣き始めた。
もうこれ以上罪のない人間を殺したくはなかった。夜叉は静かに右手の銃剣も仕舞うと、その女子高生の頭をそっと撫でた。
それから女子高生が泣きやむまで、一時間ほど時間を要した。
◇◆◇◆◇
閉鎖されたトンネルから、一台の軽自動車が出てくる。その中には、外套を身に纏った男と、制服を着た女子高生がいた。
「助けてくれて、本当にありがとうございます」
この女子高生は、暁夏鈴という名前らしい。暗くてよく見えていなかったが、明るいところで改めて見ると、可愛らしい顔をしている。
「……頼みがある」
だが、これ以上関わってはいけない。夜叉は夏鈴を送り届けたら、この街から去る気でいた。
「俺は指名手配中の身でな、これ以上お前と関わっていたら、巻き込まれる可能性がある。そうなったら、今日みたいにお前を助けることは出来ない。相手は軍警察だ。下手すれば身体中を切り刻まれて殺されるかもしれないぞ」
夜叉が言ったことは、誇張などではなく事実だった。
軍警察は、犯罪者に対しては容赦がない。例えどんな事情があろうと、犯罪者を匿えばただでは済まない。その場で即死させられるならまだいい方で、拷問の末に殺される場合の方が多い。
「指名手配、ということは、やっぱりあの戦闘機兵なのですね」
その言葉は、夜叉を凍り付かせるのに十分だった。
急停車、そして即座に抜刀。夏鈴の首筋に刃を突きつける。
「……俺のことを知っているのか」
夜叉が指名手配されていることは、軍内部でも一部の人間しか知らない。表向きでは、あの事件は十年前に終わっているのだ。
ましてや一介の女子高生が、それを知っているはずがない。
故に夜叉は、この夏鈴という女を"敵"と見做した。
だが、次の瞬間、妙な現象が起きた。
突如として、夜叉の電脳に異常が発生した。
「ぐッ!」
目を見開き、頭を抑える。鋭い痛みが加速度的に増加、真っ赤なエラーとなって視界を埋め尽くす。
何も考えられず、次第に意識が混濁する。
「 」
夏鈴が何かを言っているが、聞き取ることが出来ない。やがて電脳のエラーすらも認識できなくなった夜叉は、意識が飛んだ。