6、失ったものは大きかったようだ
初めて、自分の手で人を斬った。手に、斬った時の感触がまだ残っている。
ジェイムズが任されたのは後方支援だった。おそらく、戦慣れした兄ローレンスが配慮してくれた結果であるのだと思う。彼自身は敵船に乗り移って白兵戦を繰り広げていたが。
もうひとつ、頼まれていたのが、海に落ちたものの救助だ。助けを求める者は敵味方なく助けよ、と言うのがローレンスの命令だった。助けられたものの中には、船にあげられてからジェイムズたちに襲い掛かってきたものもいた。
ジェイムズはあまり剣が得意ではない。ローレンスなどの剣の天才などと比べなくても、ジェイムズの剣術は普通より劣っている。
それでも、自ら向かってくる相手を斬るのは簡単だった。
簡単だったのだ。
自分でも、人を殺せる。自分を護るためには、先に手を下さなければならない。
戦っているときは夢中だったが、後から怖くなってくる。よくあることだ。
眠っても、すぐに目が覚めてしまう。そんなことを三度ほど繰り返し、ついにジェイムズは甲板に出ることにした。少し夜風にあたろう。
外に出ると風に乗ってブリタニアで有名な童謡が聞こえた。聞き覚えのある声で歌われるその歌の聞こえる方を振り向くと、思った通り、兄のローレンスが船べりから海を眺めていた。月明かりにシルエットが浮かんでいる。
視線に気づいたローレンスが振り返ってジェイムズに微笑む。
「よお、ジェイミー。こんばんは」
「こんばんは、兄上……。眠らないのですか?」
「やー、ちょっと、船酔いがねぇ」
嘘である。うっかりベルナールを捕まえてしまったため、昔のことを思い出していただけだった。
「ジェイミーも。眠れないのかい?」
優しい声音で言われて、ジェイムズはこの人には御見通しなのだな、と思った。ローレンスは16歳で初戦を迎えてから8年間、ずっと戦場にいるのだ。
なんだかんだ言って優しく、同時に頼りになるローレンスなら、とジェイムズは尋ねた。
「兄上は、戦に出るのが怖くないんですか?」
その問いかけにローレンスは笑った。
「私にはもう、そんな感情は残っていないよ」
ローレンスは船べりに寄りかかって腕を組んだ。ジェイムズは逆にローレンスの隣に並んで海の方を見ている。
「私も初めて人を斬った時は怖くなったよ。自分が人を殺したことに恐怖して、吐いた」
「兄上が?」
「そう。私にも初戦が存在するんだよ」
ローレンスの初戦は8年前だ。8年と言う差は、かなり大きい。
「でもね。私が戦に出るようになってからもう8年も経過しているんだよ。何度もの戦を経験して、怖いとか、悲しいとか。そう言ったものを感じる暇はなかった。いうなれば、感情が麻痺してしまったんだね」
「……」
ジェイムズは何も言えなかった。たぶん、ローレンスの気持ちは長く戦を経験している人にしかわからない。
それでも、ジェイムズにはローレンスが普通に生活し、普通に感情を表現しているように見える。
「……でも、兄上はちゃんと感情があると思います。兄上は優しいですし、こうして私の相談にも乗ってくれます」
人のことを考えられるような人が、感情がないとは思えない。
そう言うと、ローレンスはまた笑う。
「モニカもね、私にそう言っていたよ」
モニカ。ローレンスの亡くなった婚約者。彼女も、ジェイムズと同じようなことをローレンスに言った。他人のことを考えるような優しい人に感情がないわけがない、と。
「モニカはね。私を泣かせるのがうまかったんだ」
「!? それは、どういう……」
取りようによっては少々疑問を覚える関係に聞こえるのだが。しかし、ローレンスは微笑んだまま穏やかな口調で言った。
「ああ。初戦から1年くらいたつと、私も仲間が死んでも泣けなくなってね。悲しいとは思うんだけど、涙が出ないんだ。モニカは、そんな私から感情を引き出すのがうまかった……彼女は。私を泣かせてくれた」
モニカが泣かせてくれたから、ローレンスは次も戦うことができた。そうなのだと思う。
穏やかな表情で思い出に浸るローレンスをちらっと見て、ジェイムズは気になっていたことを尋ねた。
「……兄上はモニカを愛していたのですか?」
これには、思わぬ返答が返ってきた。
「さあ。どうなんだろうね」
「……」
ジェイムズは思わず半眼になったが、ローレンスにしてみればそう言うしかなかった。
「好きかと聞かれれば好きだよ。大好きだ。だけど、愛しているかと聞かれると、わからない。でも、彼女は私が唯一、結婚してもいいと思った女性だった」
これはローレンスの性格が影響しているのだろう。ローレンスもモニカも女性であり、通常は結婚できない。王族の結婚の目的としては後継ぎを得ることが大きい。女性には子供が欲しいと言う人は多いだろう。
しかし、モニカは、この子供が得られないであろう結婚を快く承諾した。そして、ローレンスを甘やかせる彼女となら、結婚してもいいと思ったのは事実だった。
「そう、なのですか」
この話をすると、たいていの人はローレンスがモニカを愛していたと判断する。ジェイムズも同じだった。ローレンスはモニカを愛していたのだと思った。
モニカを失ったのは戦争のせいだ。それでも、ローレンスは戦場に立ち続ける。何故だろうか。戦争を早く終わらせるため? いや、そうではない。
戦争を終わらせるなら、簡単な方法がある。謀反だ。ニコラス2世を殺し、ローレンスが自害すれば、モニカのもとへ行けるし、この戦争は終わる。ブリタニアと言う国は、ニコラス2世、ローレンスと言う強き王によって成り立っているのだ。この2人がいなくなれば、ブリタニアは簡単に瓦解する。おそらく、ガリア王国の一地方として再編入されることになるだろう。
そうすれば、確かに戦争は終わる。だが、その時、ブリタニア王族は男子は処刑、女子は生涯幽閉の可能性が高い。
それがわかっているから、ローレンスは戦い続ける。自分はどうでもよくても、幼い弟妹達が戦争の余波に巻き込まれないように。そのためには、勝つしかないのだ。
ジェイムズがローレンスの方を見ると、目が合った。ローレンスは微笑み、ジェイムズの頭をなでる。16にもなって兄に頭を撫でられるのは恥ずかしかったが、悪い気はしない。
「大きくなったよね、ジェイミーも」
「……そうですね」
もう、16歳になった。初戦を迎えた。背丈も、小柄なローレンスより大きいかもしれない。
でも、この兄には追いつけない。ジェイムズはそう思っていた。
「君が、私のようにならなくて済むようにしたいよね」
「……」
ローレンスは寄りかかっていた船べりから背中を離すと、ジェイムズに微笑んだ。
「じゃあ、私は寝ることにするよ。ジェイミーも早めに寝な。お休み」
「……おやすみなさい、兄上」
ジェイムズが一礼すると、ローレンスはひらひらと手を振って船内の自室へと戻って行った。
△
セラーズ海での戦いから3日後。最速でベルナール拿捕の知らせはニコラス2世のもとに届いていた。その知らせを聞いたニコラス2世は、感心すると同時に呆れた。
「相変わらずとんでもないことをしでかすやつだな……」
正直に言えば、女であるローレンスを男として育てたことに負い目がある。だから、ニコラス2世はローレンスにあまり強く出られない。それを知ってか知らずか、あの王太子はとんでもないことをしでかしてくるのだ。今回のベルナールの捕獲もいい例だ。
おそらく、ローレンスは交渉でガリア側から条件を引き出そうとしたのだろう。もしこれが、ガリア王クロヴィス4世やフランソワ・シャリエールならば停戦条約もあり得ただろうが、フランソワの兄ベルナールを捕らえたところで、そのまま切り捨てられる可能性もある。
と言うことは、ローレンスはフランソワの出方を見たいのだ。フランソワ・シャリエールと言う人間がどんな人物か推し量ろうとしているのかもしれない。
そう考えたニコラス2世は、処遇はローレンスに任せる、と言う伝令を早々にとばした。
「父上。どうかなさったのですか」
微妙に緊張感のない口調で尋ねてきたのは第3王子のエドマンドである。いつもは第2王子のジェイムズがニコラス2世の側で政務を学んでいるのだが、彼はローレンスとともに海上だ。そのため、今はエドマンドが近くにいた。彼はローレンスに似ている。緊張感を感じられないところが。
「……ローレンスがベルナール・シャリエールを捕まえたそうだ」
「へえ~。兄上はすごいですねぇ」
「……」
この暢気さが心配になるニコラス2世だった。エドマンドはローレンスと似ているが、違う。
ローレンスは幼少期から聡明だった。女ながら驚異の身体能力を発揮し、12歳までには必要な教育をすべて終えてしまった。負い目を感じながらもローレンスを手放せない理由はここにある。性格はどうあれ、ローレンスは優秀なのである。
一方、エドマンドは平凡だ。ローレンスに性格は似ておりのんびりしているが、全てにおいて平凡。ジェイムズのように頭がいいわけでもなく、ローレンスのように剣術に優れるわけでもない。何をやらせても平凡なのだ。
それでも、ジェイムズよりは戦に向いているのではないかと思う。せめてあと2年。ローレンスが現役で、つまり戦死しなかったなら、彼もローレンスのもとで初戦を迎えられる。
誰もがそう言うが、ローレンスは戦に関してはかなり信用できると言っていい。
まあ、ローレンスならベルナールの処遇も自分で何とかするだろう。そう思い、ニコラス2世は丸投げすることにした。どうせ、戦争などその場にいる者にしかわからないのだから。
△
ニコラス2世がベルナールを捕まえた報告をもらった翌日、同じ情報は海を渡り、ガリア駐在のフランソワとクロヴィス4世にまで届いていた。
「ベルナールを捕らえただと!? 黒い悪魔め! やってくれおるわ!」
クロヴィス4世は悪態をつき、目の前の机を殴った。謁見に来ていたフランソワがびくっとなった。クロヴィス4世はそれに気づかない。
「悪魔め! ベルナールを公開処刑にでもするつもりか!」
それは見当違いだとフランソワは思う。もしも、相手にベルナールを殺す気があるのならば、わざわざ捕らえはせずにその場で殺したはずだ。
それにしても、ガリア軍はブリタニア海軍の二倍近い規模で戦を仕掛けたのだと言う。しかし、それでもベルナールは負けた。おそらく、海戦になれていない兵士が多かったためだと思うが、不利な状況から勝利したブリタニア王太子に、敵ながらあっぱれと言いたいところである。
そんな感じに現実逃避していたフランソワに、クロヴィス4世がいつものように命令する。
「黒い悪魔の首を落とすのだ、フランソワ!」
この時、フランソワは口では「御意」と答えながらも、果たして彼のブリタニア王太子を殺すことは可能なのだろうか、と考えていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
後ほど活動報告でもお知らせいたしますが、『ガリア継承戦争の裏事情』は隔日更新にしようかな、と思っております。詳しくは、活動報告にて。
とりあえず、ここでもお知らせしておきます。