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5、悪魔 vs 怪人







 ソフィアとマクシミリアンが婚約して1年近くが経ち、そろそろ本格的に婚姻を結ぼうかというころ――。



 大陸で戦っていたローレンスが大怪我をして帰ってきた。



 と言っても、本当に死にかけるほどの重症だったため、しばらく前線であるシャレット地方のフーリエと呼ばれる地区から動けなかった。怪我をした、という情報がブリタニアに届いてから約2週間後、やっと当人が帰国した。


「あー、まだちょっと傷がうずく……」

「あの大怪我ですからね。むしろ、2週間ほどで動けるようになったあんたがおかしいですよ」

「それはちょっと否定できないかもね。上半身と下半身が真っ二つになったかと思ったもん……やあ、モニカ。ただいま」


 ローレンスの部屋の前で待ち構えていたモニカに、ローレンスは明るい口調で挨拶をした。すると、モニカのきつめの眼がみるみる潤み、彼女はシリルには目もくれず、ローレンスに抱き着いた。


「……っ! どうしたの?」


 抱き着かれた衝撃で、まだ治っていない怪我が痛んだが、何とか耐えてモニカの肩を抱く。すがりついて泣かれ、ローレンスはうろたえた。


「あー、もう。泣かないでよ~」


 泣かれるのは苦手だった。どうすればいいかわからなくなるから。モニカはよくローレンスを泣かせるが、彼女はローレンスになんと言って慰めていただろう。


「泣くに決まってるでしょ! どれだけ心配したと思ってるの!」


 モニカにぎゅーっと抱きしめられ、ローレンスは「ぐぇっ」と声を漏らした。腰のあたりに出来た大きな傷が痛むっ。

「あ、ごめんなさい。痛かった?」

「ああ……怪我がね……」

 モニカの力で思いっきり抱擁されても大したことはない。

「いったいどんな怪我したの?」

 側近であるシリルと別れ、モニカと共に部屋に入る。と言うか、モニカにもこの宮殿での部屋が与えられているのだが、基本的に彼女はローレンスの部屋にいる。別にいいけど。


「後ろからバッサリ切られてね。しかも袈裟切りじゃないんだよ。こう、腰のあたりを横一文字にバサッと斬られて」

「……そんな軽い口調で言う怪我じゃないわよね?」

「ああ。上半身と下半身がお別れするかと思ったしね」

「だから、そういうことを軽く言わないでっ」

「痛っ」


 頭を拳で殴られた。骨が当たったので、これは結構痛かった。幸い、頭に怪我はしていなかったので大丈夫だったが。

「本当にやめてよ。婚約者を置いて逝くとか、シャレにならないわよ」

「ああ。わかってるよ。君を泣かせたくはないしね」

 ローレンスはそう言って苦笑した。


 しかし、これから約1年後、2人は永遠に別れを告げることになる。
















「そう言えばお兄様。最近、宮殿の敷地内に怪人が出るらしいのです」

「ほう。怪人。怪人と悪魔はどちらが強いだろうね」

「どうしてもう対決することになってるの?」


 最初に話題を提供したのが、第2王女でローレンスより4つ年下のジェイン。次のふざけた発言がローレンス。最後の比較的良識のあるツッコミをしたのはソフィアだ。


 このころには、すでに『黒い悪魔ノワール・ディアブル』の名が定着し始めてきていたローレンスである。


 今は、家族そろって朝食の時間だ。まだ4歳の第3王女セシリアと2歳の第4王女クレアはここにはいないので、食卓を囲んでいるのは全部で8人だ。一辺につき2人が座り、ローレンスは第2王子であるジェイムズと並んで座っていた。8つ年下の彼は、まだ10歳である。


「いや、その怪人とやらを何とかしてくれっていう話かと思って」

「たとえそうでも、お前はおとなしくしていろ。まだ怪我が治っていないだろう」


 ニコラス2世に呆れた口調で言われ、ローレンスは肩をすくめた。怪我の療養のために前線を外れたのに、こちらで問題を起こしていれば意味がない。

「でも、その怪人さんの話はわたくしも聞いたわ。何をするでもなく、ただふらふらしているんでしょう? なんなのかしら。ゴースト?」

「母上。ゴーストなんて非科学的なもの、いませんよ」

「あなた、いきなり冷静になってどうしたの」

 今度は母にツッコミを入れられるローレンスである。ふざければふざける出ツッコまれるし、冷静になれば冷静になったでつっこまれている。


「警備兵が捕まえたりしないんですか?」


 ローレンスが父に尋ねたところ、どうやら何度か捕まえようとしたことをあるらしい。


「だが、逃げられた。すばしっこくてな」

「ああ。じゃあ、きっと暗殺者アサシン間諜スパイですね」

「だろうな」


 ニコラス2世とローレンスの間で会話が成立している。暗殺者や間諜は、その仕事の内容上、非常にすばしっこい。ローレンス子飼いの諜報組織のメンバーたちもそうだ。一度手合せしたことがあるが、すばしっこすぎてなかなか当たらない。


「間諜なら実害はありませんが、暗殺者ならだれを狙っているんでしょうねぇ」


 間諜に関しては、現在情報統制を行っているので重要機密が漏れることはないはずだ。ローレンスはそう考えながら、朝食に出されていたライチを一つむいてほおばった。


 何となく面倒くさいことになる予感がした。
















 その日は、満月だった。あとひと月もすればヴァルテンブルク帝国に嫁ぐことになるソフィアは、月明かりに誘われて王妃の庭に出た。春先なので、冷えないように厚手のガウンを羽織り、さらにショールも肩にかけた。


 薔薇園の前の花壇に腰かけ、月を見上げ、それからまだつぼみもついていない薔薇の木を見た。この辺りは、確か白い薔薇が咲くあたりだった気がする。


「ソフィア様?」


 しばらくしてから、カンテラを下げたモニカがやってきた。彼女も夜着の上に厚手のガウンを羽織っていた。


「どうされたんですか。中では、みなさんソフィア様のことを探していますよ」


 きつめの見た目に反して優しい口調でモニカはそう言った。ソフィアは少しだけ、何故ローレンスがモニカを好きなのかわかった気がした。モニカは、ほしいときに欲しい言葉をくれるのだ。

「……モニカは、いつかお兄様と結婚するのよね」

「ええ。そうでしょうね」

 モニカも、ローレンスも、どちらも女。それはうわべだけの婚姻になるだろうが、モニカとしては大好きなローレンスの側に居られるのであれば、それでもかまわなかった。


 ローレンスは不思議な少女だと思う。男として育てられ、戦場に送られても、悲観した様子は見せない。ちょっととぼけているが冷静で、そして元気な少女。

 たぶん、モニカにとってローレンスは姉妹のようなものなのだ。手のかかる妹、もしくはしっかり者の姉。どちらでもいい。どちらも、ローレンスの本質だ。


 彼女には、モニカがいなければならない。モニカには、ローレンスがいなければならない。だから、結婚に異論があるわけではない。


「わたくしも、もうすぐ嫁ぐわ」

「そうですね」

「マックス様のことは好きだし、わたくしも結婚には異論はないわ。王女に政略結婚はつきものだし。政略結婚にしては、いい相手だと思うし。でも」


 ソフィアは胸の前で左右手の指を絡めた。


「みんなに会えなくなることが、さみしいの」

「あー……」


 これに関しては、モニカは何も言えない。モニカは、結婚しても親元から遠く離れるわけではないのだ。兄はローレンスに仕えているし、愛すべき身内はすぐそばにいる。


 だが、ソフィアだって、一生会えなくなるわけではない。生きていれば、いずれ会えるかもしれない。同じ空の下で、相手も幸せに暮らしている。そう思えばいいのではないのだろうか。


 それを婉曲に伝えようと言葉を考えていると、突然、2人の元に影が落ちた。今日は満月で月明かりが明るいのだ。見上げると、目の前にフードつきのマントを羽織った男が立っていた。


「ソフィア様!」


 モニカに手を引かれた。さらに、反対側から押され、ソフィアはモニカと共に地面に転がった。モニカが持っていたカンテラが地面に落ちて割れた。


「そのまま伏せてろ!」


 聞きなれた声に、モニカがとっさにソフィアの上に覆いかぶさった。


 乱入してきたのはモニカと同じくソフィアを探していたローレンスである。


「君が噂の『怪人』かい? こんなに早く遭遇できるとはね!」


 ソフィアに向かって剣を向けていたのは、全身黒の怪しい男だった。ローレンスも制服には黒を採用しているので、夜に遭遇したらこれくらい怪しいのかもしれないが。


 金属がぶつかり合う音が響く。ほぼ互角だろうか。暗殺者と正面切って戦うことになるとは思わなかった。と、思っていたら、本当に暗殺者らしく暗器を飛ばしてきた。


「……っと!」


 短剣のようなそれを剣ではじいたが、その間に相手に接近される。首を書ききるようにローレンスから見て左側から繰り出された剣戟を剣で受け止める。


 拮抗状態が続く。このままでは、どちらかが先に剣を折ってしまうだろう。そうなれば、ローレンスが不利だ。そう思った彼女は、攻撃を食らうのを覚悟で相手を蹴り飛ばした。案の定、左の頬が切れてしまった。


 だが、少し距離が開いたことでできることが増えた。ローレンスはかがんで足払いをかけると相手に馬乗りになる。


「これで!」


 ローレンスが心臓を貫こうと剣を振り上げたところで、「やめてっ」とソフィアが叫んだ。その声に応じるように、ローレンスが剣を止めた。


「もういいです……お兄様」


 つぶやいたソフィアに、ローレンスはため息をついて立ち上がった。なんだかんだで、自分は甘いと思う。


「殿下! ソフィア様もご無事ですか。それにモニカも」


 今になってシリルが駆けつけてきた。ローレンスが「遅いよ、シリル君」といつもの調子で笑った。


「それは申し訳ありません……ところで、あの男ですか?」

「ああ。噂に聞く怪人さんだね。たぶん、もう死んでるよ」

「やめてって言ったじゃない!」


 さらりとしたローレンスの言葉に、ソフィアが叫んだ。ローレンスは「ああ」と困ったような笑みを浮かべる。


「違うよ。間諜や暗殺者は、任務に失敗したときに、情報を漏らさないように自決するものなんだ……私が剣を刺そうが刺すまいが、彼は死んでいたということだよ」

「……じゃあ、どうしてお兄様は剣を止めたの」

「君に頼まれたからね」


 ローレンスはニコリと微笑んだが、ソフィアは憮然とした表情のままだった。モニカがローレンスに近寄り、頬の傷にハンカチを当てた。

「大丈夫? 胸の所の傷は?」

「あ、これ? 最初に割って入った時に斬られたんだね。見た目より深くないから大丈夫」

「それならいいけど……」

 モニカがぐっと眉をひそめた。ローレンスは苦笑を浮かべっぱなしだ。

「殿下。遺体を片づけました……で、襲われたのは?」

「わたくしです」

 戻ってきたシリルの問いに、ソフィアがはっきりとした口調で言った。シリルは意外そうな表情になる。てっきりローレンスが襲われたのに巻き込まれたと思ったようだ。


「ソフィア様を? と言うことは、誰かが帝国との婚姻に反対しているのでしょうか」


 ソフィアと言えば、あとひと月で帝国皇太子マクシミリアンに嫁ぐ。そのソフィアを襲うとなれば、婚姻反対しか思いつかない。後でローレンスが自分の諜報機関で調べてみれば、当たっていたのだからわかりやすすぎる。


「それより、あの怪人も意味が分からないわ。どうして目立つのに、宮殿のまわりをうろついていたのかしら」


 ソフィアが単純な疑問を口にした。単純だが、意味不明である。これに一つの推測をあげたのはローレンスだった。


「怪人騒ぎはおとりなんじゃないかな。宮殿だから、話題に上りやすく、また注目されやすい。こっそり間諜が出入りするのによかったんじゃないかな。そもそも、この怪人さんだって1人で『怪人』を演じていたわけではないと思うよ」

「……複数名いたというのですか?」

「だって、誰もフードの中を確かめたことがないだろ……ところで」


 ローレンスは話を変えて微笑んだ。


「背中の傷が開いてきたみたいで非常に痛いんだけど……」


 夜の薔薇園に悲鳴が上がった。まあ、あれだけの戦闘を繰り広げれば、当然の結果ではあった。










ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


ソフィアが『ローレル』を『兄ローレンス』だと判断するときに見た胸の上の傷痕はこの時のものですね。

婚約者同士ですが、ローレンスもモニカは怪しい関係ではありません。(念のため)


あと一つで話は終わりなのですが……うん。明日、投稿できるかなぁ……。

わからないですが、できるだけ頑張ってみます! ダメでも、明後日には投稿します!


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