1、ローレンスの初戦
過去編です。ローレンスがいい感じに狂っています。そして、ばっさばっさ人を斬っています……ご注意ください。苦手な方は、見ない方がいいかもしれません。
馬のいななきが聞こえた。ローレンスは一度その方向を見たが、また視線を戻す。急遽作られた物見台の上から、遠くに展開する敵軍が見えた。ガリア軍である。その光景に、ローレンス(ブリタニア王太子:16歳)は現実を再確認した。
「うわぁ。本当に来ちゃったよ、戦場……」
「今更何言ってんですか、あんた」
ローレンスの隣で冷静なツッコミを入れたのはシリル(王太子の側近:19歳)である。金髪碧眼のそこそこ目鼻立ちの整った青年で、かなり長身である。
一方のローレンスはシリルと比べるのも馬鹿らしいほどの美形である。中性的な美貌で、少し童顔気味。体格は華奢で小柄。側近のシリルと顔一つ分以上の身長差がある。腕など、力をこめれば折れそうだ。
16歳の少年であることを考えても、ローレンスは小柄で華奢過ぎた。理由は簡単で、ローレンスは『彼』ではなく『彼女』なのである。彼女は7人兄弟の一番上。男の兄弟もいるのに彼女が男として育てられた理由は、面倒くさいので省く。
「……もうやだ。帰りたい……」
「来たばっかりなのに、何言ってるんですか。大丈夫ですよ。誰もあんたに期待なんかしてませんから」
「ううううううぅぅぅぅっ」
ローレンスはうめき声をあげた。シリルの冷静過ぎるツッコミに、心が折れかけたのであるが、幸いと言うか、彼女はそんな弱い精神力ではなかった。だが。
「これ、絶対父上、私に死ねって言ってるよぉ」
「とんだ被害妄想ですね……死んだら、モニカに会えなくなりますが」
「よし。頑張ろう」
「……」
途端に気を取り直したローレンスに、シリルは呆れた視線を向けた。モニカはシリルの妹で、ローレンスと同い年だ。婚約者同士でもある。2人とも女性なので婚約も何もないが、ローレンスが女であることを隠すためのカモフラージュでもあった。
「でも、さぁ。やっぱりないと思うんだよね……大軍だよ、あっち」
ローレンスは改めてガリア軍の方を眺めながら言った。おそらく、パッと見で計算して2千以上の大軍だ。一方、ローレンス率いるブリタニア軍は千人ちょいしかいない。約倍の兵力である。
「しかも、敵の司令官は戦上手のシャルル・マルベールですからね。ほぼ勝ち目はないでしょう。あんたは被害を最小限に抑えて撤退できればそれで上出来です」
「初心者に撤退戦の成果を求めないでほしいよね!」
ローレンスはため息をつく。シリルは太陽から現在の時間を計り、「そろそろ行きますよ」と主君に告げた。
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客観的に見て、ローレンスは無能ではない。むしろ、有能な方に入るだろう。勉学などは学ぶそばから知識を吸収し、武術にも秀でていた。武術に関しては、ちょっと女性とは思えない腕である。これもあって、ローレンスが女だと疑われたことはなかった。
しかし、16歳で、初戦で、2倍の兵力と言うのはやはり無理があるだろう。いくら天才肌の人間でも、経験が足りない。みんな、おそらくローレンスは初めての挫折を経験するだろうと思っていた。
「殿下。何か意見はございますか」
「んー……」
作戦会議中、ほぼ役立たずであったローレンスは、最後に意見を求められて少し考えた。ちょうどいいので、疑問に思ったことを聞いてしまおう。
「今回って、野戦になるんだよね」
「そうですね」
「じゃあ、単純に考えて、兵力の少ないこっちの方が不利……だよね」
「まあ、そうなるでしょうね」
「しかも、敵の司令官であるシャルル・マルベールは戦上手だと」
「ええ。今まで負け知らずだと聞いております」
「じゃあきっと、シャルル・マルベールはこちらと同じくらいの兵力でも、簡単に勝ててしまうね」
「……そうかもしれませんね」
ローレンスの初戦にあたって、指導役が2人つけられている。1人は現在、ローレンスの質問に答え続けている参謀役のコーディ・キャンベル、もう1人は技術的指導役であるゴードン・パークスだ。パークスはローレンスの護衛も兼ねている。
キャンベルはローレンスの頭脳を高く買っていたが、初戦では役に立たないだろうと考えていた。おそらく、自身の戦闘力の高さをかんがみても、ローレンス自身が死ぬ可能性は低いだろうと思う。
だが、変人王太子はよくわからない質問を次々とぶつけてくる。
「それで、ここなんだけど」
現在ブリタニア軍とガリア軍が対峙しているローランサンはほぼ草原である。しかし、ローレンスの指は、この周辺の地図の少し標高が上がっている、小さな丘のあたりを示していた。
「ここから攻め込まれたら、私たちは壊滅してしまうね」
「……まあ、そうでしょうね」
キャンベルはよく考えながら答えた。
「しかし、殿下がおっしゃったように、ガリア軍は真正面からぶつかっても勝ててしまいます。となれば、奇襲を仕掛ける必要はないかと……」
「例えばだけど」
ローレンスはニコリと笑ってキャンベルを見上げた。
「初戦の王太子は、戦争が始まったらどのあたりにいると思う?」
妙な質問に、キャンベルはすぐに答えた。
「それは、もちろん後方ですね」
「そうだよね。私も、そこに配置されるんだろう……。自意識過剰かもしれないけど、シャルル・マルベールは王太子を狙ってくるってことはないかい?」
「……」
その疑問には答えられず、キャンベルは押し黙った。だが、すぐに頭が回転し始める。
「そう……ですね。ありうるかもしれません。殿下は今は無名ですが、経験を積めば、戦上手になる可能性があります。危ない芽は早めに摘み取ってしまいたいですし……それに、殿下が亡くなれば、次の王太子は第2王子のジェイムズ殿下……あの方はまだ8歳ですから、しばらく、ブリタニアは王族を戦場に行かせることができません」
必ずしも、戦場に王族がいるわけではない。しかし、いれば士気が高まるのも確かで、この戦争の性質上、ブリタニアにはちゃんとした王族がいるんだ、と言うのがブリタニア軍のアイデンティティにつながる。
ローレンスは少し考えた。もしローレンスの言うように奇襲が仕掛けられたとしても、ローレンスにはどうすることもできないだろう。
「……疑問はそれだけだよ。いろいろ言ったけど、私はキャンベルの指示に従うよ」
「いや、この軍は殿下のものなんですがね……」
満面の笑みを浮かべるローレンスに、キャンベルはため息をついた。ローレンスは自分が頭がいいと自認しているが、初めての戦場で自分の考えを押し付けるほど馬鹿ではない。戦争にはどうしても経験が必要なのだ。
結局、キャンベルは奇襲がないことを前提として作った戦法を採用した。
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そして、現在絶賛戦争中である。おそらく、数の差であろうが、ブリタニア軍が若干押されている。しかし、今ローレンスたちの頭を悩ませているのはそちらではなかった。
「……ありましたね、奇襲……」
「そうだね」
主戦場となっている草原をむいているローレンスたちから見て右斜め後方。ガリアの奇襲部隊が動いているという情報が入った。
「もうちょっと情報が入るのが早ければねぇ。子飼いの諜報部隊が欲しいな……」
これが、後にローレンスが諜報部隊『影』を成立させる原因となる。
「まずい、ですね。このままでは挟撃されてしまいます」
キャンベルが事実を突きつけると、ローレンスは冷静に言った。
「ローランサンの砦まで退却しよう」
ローランサンにはいくつかの砦が存在する。ブリタニアが所有権を握っているのは、そのうち二つ。単純にローランサン砦と呼ばれるところと、フェザンディエ砦と呼ばれる砦。現在の戦場は、ローランサン砦の方が近い。
「待ってください、殿下。砦に戻るには、奇襲部隊を突破して行かなければ……」
「わかってるよ。後ろから、本隊も追ってくるだろう……君も言ったように、このままではどちらにしろ挟撃される」
逃げるにしろ、このまま残るにしろ。どちらにしろ、挟撃されるのだ。
シャルル・マルベールはブリタニア軍を殲滅するつもりなのだ。
「私はここに停滞している方が危険だと判断したんだけど、どう?」
「……」
キャンベルは沈黙した。確かにローレンスの言うとおりだと思ったし、この状況で冷静な判断ができるローレンスに驚いた。
「わかりました。奇襲部隊を突破し、退却戦に入りましょう」
「頼むよ……責任は私が取るから大丈夫だよ。それと、私は一番前に行きたいんだけど」
「奇襲部隊と正面からぶつかるつもりですか!?」
「いや、だって、指揮をとれるのはこの軍では君か私だけだよ!? 初めての退却戦で、しんがりを務められるわけないでしょ!」
「ああ、そういう……なら、シリルとパークスから離れないようにしてくださいね」
「わかったよ」
ローレンスはうなずき、左手で震える右腕をつかんだ。一度大きく深呼吸をする。
「じゃあ、行こうか」
ローレンスの号令のもと、ブリタニア軍が退却を開始した。
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結果だけ言うと、ブリタニア軍は退却戦と言う意味では成功しなかった。一番前を走っていたローレンスが、たった百数名で3百名弱のガリア奇襲部隊を殲滅させたのである。奇襲部隊の壊滅を受けてガリア軍は撤退に転じた。
ローレンス自らも剣を取り、その非凡なる才能を発揮した。小柄で華奢、そもそも女性であるはずの彼女は、『百人斬り』を演じたのである。もちろん、本当に百人ではなく、せいぜい数十名だろう。
「殿下」
多くの死体が転がる中に立つローレンスは返り血で汚れていた。シリルはそれを避けながら彼女に近寄る。ゆっくりと振り返ったローレンスは、シリルの顔を見て顔をゆがめた。
「……はは」
「?」
「あははははははははははっ!」
唐突に笑い声が上がった。近くにいたブリタニアの兵士たちが、気の狂ったようなローレンスの笑い声に震え上がる。腹を抱えて笑ったローレンスは呼吸を整えると、打って変わって冷静な声音で尋ねた。
「被害は?」
「こちらの被害は2百名ほどですね。ガリア軍は、5百人は下らないでしょう」
「……そう」
ローレンスは目を閉じた。彼女は遺体は埋葬してやれ、と命じた。
「死者に罪はないからね……おう、キャンベル。ご苦労様」
ローレンスはシリルの横を通り過ぎ、ちょうど合流してきたキャンベルの方へ向かった。シリルはキャンベルにがっつり説教をされるローレンスを見て、思った。
もしかしたら、自分たちはとんでもない化け物を目覚めさせてしまったのかもしれない、と。
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その日のうちにローランサン砦まで退却したブリタニア兵士たちは浮かれていた。酒を酌み交わし、火をたく。陽気に歌う。
「王太子殿下に!」
「ブリタニアの勝利の神に!」
すでに、ローレンスを讃える声も上がるほどだ。王太子率いる軍隊が勝利したと言うのは、ブリタニアの兵士たちに活気を与えた。
そんな中、ローレンスが使用している部屋で、彼女は桶に向かって吐いていた。シリルはそんな彼女の背中をさする。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃない……げほっ」
顔を上げたので尋ねてみたが、そんな答えが返ってきた。
初めて人を殺した人間によくある症状だ。身体能力は非凡でも、中身は普通の少女であるようで少し安心した。いや、蒼ざめている彼女にそんなことは死んでも言えないが……。
一方、初めての戦で数十人を斬り殺すと言う経験をしたローレンスは胃の中が空っぽになるまで吐き続けた。自分自身が気持ち悪い。手に、肉を切り裂いた時の感触が残っている。多くの人の命を、ローレンスはあっさりと奪ってしまった。
自分にはそれだけの力があると言うことが恐ろしかった。
これが、戦争。
自分は、いつまで戦い続けることになるのだろうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
内容はあれですが、私はローレンスがブリタニアにいるころが一番好きです。彼女の残念な所業を書くのが楽しすぎる。
この話は14世紀ごろを想定しているのですが、中世ヨーロッパ、まあ、日本もですが、軍隊として動員できる人数は数千だったそうです。百名単位での戦いもあったとか。まあ、私は軍事史はよくわからないので、間違っているかもしれませんが……。
現在では4割減ると壊滅。このころは、2割の損害で壊滅と聞いたことがある気がします。
次は1月22日に投稿します。過去編がしばらく続きます。




