3、実は海上戦はマジで避けたい
前半ほのぼのしてます。
ある日の朝。ローレンスは無理やり起こされた。
「お兄様~っ!」
「ローリーお兄様っ。朝ですわっ」
「ぐはっ!」
寝ていたローレンスは、妹たちに腹の上に乗っかられて悲鳴をあげた。もしもガリア軍がこの状態のローレンスを見ても、『黒の悪魔』だとは思わないだろう。
「お兄様、起きてください! 今日は一緒に朝食をとる約束です」
「せっかくお帰りになったのに、あまりお会いできなくてクレアはさみしいです!」
「ああ……わかったよ。私のかわいいお姫様。だからお兄様の上から降りてくれないかい……」
「わかりましたわ、お兄様!」
2人の妹はローレンスの上から降り、ベッドのわきに立った。起き上がったローレンスを見て、妹2人はスカートをつまんで挨拶する。
「おはようございます、ローレンスお兄様!」
「うん、おはよう。セシリア、クレア」
ローレンスは手を伸ばして、10歳のセシリアと8歳のクレアの頭をなでる。確かに、昨日、セシリアと朝食を共にとる約束をしていた。
「お兄様は着替えるからちょっと部屋から出ててね、2人とも。ああ、ちゃんと行くから大丈夫だよ、セシリー」
「絶対ですわ! 約束ですわ!」
「うん。大丈夫だから、先に行っててね~」
ひらひらと手を振り、騒がしい妹たちを追い出した後、ローレンスは着替えはじめた。布で胸をおさえ、その上からシャツを羽織る。女である以上、胸が膨らんでくるのは止めようがなかった。
着替えている最中に、侍女のユーニスが入ってきた。彼女はセシリアとクレアを見送りに行っていたのだ。
「ちょっと、ユーニスちゃん。勝手に人を入れないでよね」
「いつまでも寝ている殿下が悪いのですよ。ほら、とっとと着替える」
「ホント、君もシリル君も私のことを敬ってないよね!」
「そんなことありませんよぉ」
そう言いながら、ユーニスはがしっとローレンスの髪をつかみ、櫛でとき、うなじで束ねた。自分でもできるのだが、ローレンスがやると正しく『くくるだけ』なので、不評なのである。
「はい。それじゃあ行ってらっしゃいませ」
「ああ……うん」
ユーニスに叩き出され、もとい見送られてローレンスは食堂の方に向かった。小さな家族用の食堂の前で、現在この宮殿にいる最後の兄弟、第4王子のアルバートに遭遇した。彼は13歳。そろそろ社交界デビューのはずだが。
「ああ、ローレンス兄上! 今日もお美しい!」
「おはよう、バーティ。君は朝から元気だね……」
「少し眠たげな兄上! そんな様子も麗しい!」
「……そうかい」
第4王子アルバートは、自由人ローレンスを黙らせることができるほどの自由人だった。異様にローレンスをほめたたえるのである。そう言う言葉は好きな女性に言った方がいいよ、という言葉をさらっと吐くのである。低血圧のローレンスには、朝からこのテンションはキツイ。
食堂に入ると、嫁いだ妹以外の家族が全員そろっていた。父のニコラス2世がローレンスを見て眼を見開く。
「お前がこの時間に起きてくるとは、珍しいな」
「セシリーとクレアに起こされたので」
「朝に弱くて、戦場ではどうしておるのだ」
「戦場に行くと大丈夫なんですよね~。丸1日最前線で戦っても平気でした」
「……その話は本当だったのか」
ニコラス2世は呆れたようにため息をついた。戦場で精力的に活動している代わりと言うように、宮殿に戻ってきたローレンスは昼ごろまで寝ていることが多い。たまに公務が入れば使用人が起こしに来るが、それ以外では寝かされている。
神に祈りをささげ、食事が始まる。家族用のテーブルなので小さく、そして、席順は適当だ。ニコラス2世とブランシュが並んで座り、その向かい側にローレンスを挟んだセシリアとクレア。ローレンスの右手側にジェイムズ、左手側にエドマンドとアルバートが座っている。
年の離れた妹2人に誘われて2人の間に座ったローレンスは、妹たちの世話を焼きつつ、食事を進める。食の細いローレンスは自分の倍以上は食べている弟たちに苦笑した。
「君たち、よく食べるねぇ」
「兄上が食べなさすぎなんですよ」
「でも、その細い体のラインが兄上の……」
「うん。バーティ、君はちょっと黙ろうか」
ジェイムズのその通り過ぎるツッコミのあとにほざいたアルバートに、ローレンスは手にフォークを持ったまま満面の笑みを浮かべた。さしものアルバートも、戦神の加護を受けている兄のこの様子に黙り込んだ。
「それにしてもローリー。食べなさすぎよ。もっと食べなさい」
「戦場だと食べれるんですけど。不思議ですよねぇ」
妊娠しているからかいい食べっぷりの母にまでつっこまれ、ローレンスはそう返した。ブランシュは数度瞬きし、ニコラス2世の方を見た。
「陛下。ローリーの基準がすべて戦場になっていますわ」
「うーむ……。まさか、本物のローレンスは戦場にいるローレンスなのか……」
「……あのですね、父上、母上。昔っから私はこんな感じでしたでしょうが」
父までうなりだしたので、ローレンスはさすがにツッコミを入れた。ローレンスの不真面目な口調と自由人っぷりは小さなころから健在である。
「そ、そう言えばローレンス兄上! 僕、身長が伸びたんです!」
話を変えようとしたのか、エドマンドが突然そう言った。ローレンスはにこやかにうなずく。
「そうみたいだねぇ。ジェイミーはもう私より大きいんじゃないかな」
「……そうかもしれませんね」
16歳のジェイムズは、すでにローレンスの背丈を越えていると思われる。男性の中にいると小柄に見えるローレンスだ。そろそろ弟たちに背丈を越えられても不思議ではない。
「そうだよねぇ……君たちももう、そんなに大きいんだよねぇ……」
「何年寄りみたいなことを言ってるの」
ブランシュが呆れた口調で言った。
朝食も終わりに近づいたころ、不意にニコラス2世が言った。
「ローレンス。そろそろジェイムズにも戦を経験させようと思うのだが」
「!」
びくっとしたのはジェイムズだ。ローレンスの方に目を向けるが、ローレンスはクレアにマンダリンをむいてやっているところだった。
「そうですねぇ」
ローレンスはのんびりと言う。
「私も初戦が16歳でしたからね……早い、とは言えませんよ、母上」
「……」
何を言おうか察せられたブランシュはそのまま沈黙した。ローレンスは果汁がついたセシリアの口の周りを軽く拭った。
「……父上、兄上。恥ずかしながら、私はそれほど剣が」
「うん。うまくないね」
「……」
ばすっと切り捨てたローレンスに、ジェイムズはしおれた。まあ、戦神の加護を受けている兄に劣るのは仕方がないが、ジェイムズは弟たちにも負けそうな勢いなのである。しおれたくもなる。
「まあ、戦争っていうのは、武力だけの戦いじゃないからね。考える人とか、情報戦とか……うん?」
殿下、と呼ぶ声が聞こえて、ローレンスは言葉を止めた。ここに殿下の該当者はたくさんいるが、対象者はローレンスだった。
「何かあったのかな?」
ガリア軍に動きです、と声なき声。ローレンスは今度は母親にグレープフルーツを切ってやりながら言う。
「うん。出てきてくれる? その話、父上にもして差し上げてよ」
ニコッとローレンスはブランシュに皿を差し出した。ブランシュはあっけにとられながらその皿を受け取った。
ややあって入ってきたのはローレンスの侍女のユーニスだった。彼女は上品に一礼して口を開いた。
「恐れながら、ガリア側に動きがありました。ハウエル海峡を抜け、スティプルドンの南の海上に向かっているそうです」
「ん。報告ありがとう。さがっていいよ」
「御意に」
ユーニスは一礼するとさがっていった。ローレンスはニコラス2世に顔を向ける。
「どうやら、今回は海上戦になりそうですね」
「……今の情報は正しいのか? そもそも、あの娘はお前の侍女だろう」
「正しいですよ。彼女は私の『影』の1人です。戦場において、情報は大切ですからね。ガリアにも何人か『影』を忍び込ませています」
「……時々、私はお前のその才能が恐ろしくなる」
「さようですか」
ニコラス2世の発言にも、ローレンスは微笑むだけだった。『影』はローレンスの強さの秘密だ。主に諜報を担う彼らは、正確な情報をローレンスに届けてくれる。
「ローレンス。その海戦にジェイムズも連れて行け」
「……わかりました。ジェイミー、大丈夫だね?」
「もちろんです」
ジェイムズは、兄がふざけた態度を取ったら自分が指摘してやる、と思いながら震える手を強く握った。ブランシュもエドマンドもアルバートも、こわばった表情をしている。セシリアも話を理解しているようだが、クレアはぽかんとした表情だった。
「ローリーお兄様とジェイミーお兄様、どこかへ行ってしまうんですか?」
クレアが何気なく放った言葉に、ローレンスは微笑んでクレアの手を拭いてやる。
「ちょっと海まで行ってくるんだよ。クレアたちは、ここでおとなしく待っていてねぇ」
「……せっかく戻ってきたのに、もう行ってしまわれるんですか、ローリーお兄様」
クレアがすねた表情で言ったが、この決定は変えられない。戦争となれば、ローレンスは駆り出される。
「そうだね。またすぐに会えるよ、きっとね」
「すごい自信ですね、兄上! でもそれでこそ兄上!」
「……バーティ。今の空気は壊して正解よ」
ブランシュが突然叫んだアルバートをほめた。自由人と言うより奇人であるアルバートは、やることが突飛で褒められるのは珍しい。
「ローレンス、勝てよ」
「仰せのままに」
「だから、あなたたちは空気を読んでくださいな」
ニコラス2世とローレンスのやり取りにブランシュがツッコミを入れた。どうやら、空気を読まないローレンスはニコラス2世に似ているようだ。
△
と言うわけで5日後。ローレンスは海の上の人となっていた。もちろん、今回が初戦となるジェイムズも一緒だ。ローレンスはガレー船の甲板で潮風を受けながら背後のシリルに向かって言った。
「とは言ったものの、海戦は苦手なんだよねぇ……」
「そう言うことは言わないでください。士気が下がります」
「これくらいで士気は下がらないよ。あ~、気持ち悪ぅ~」
ローレンスは真っ青な顔をしていた。ローレンスが船での移動を『面倒くさい』と言うのはこれにも理由がある。ローレンスは船に弱いのだ。
これでも、度重なる戦で船に乗るようになり、だいぶ改善されたのだ。少なくとも、寝込むことも吐き続けることもなくなった。
しかし、この状況のローレンスを初めて見るジェイムズは心配そうだった。もともと色白で華奢な彼の兄だが、今は色白を通り越して青白い顔をしており、華奢と言うかやつれているように見える。
「大丈夫ですか、兄上」
「あ~、大丈夫。たぶん」
たぶん。これが戦神の加護を受けていると言われるブリタニア王太子ローレンスの実態……自分がしっかりしなければ、とジェイムズが思うのは仕方のない話である。
この時代の軍艦はガレー船である。通常は人力で動かすものであるが、現在は帆を降ろしており、帆船として航行している。
王太子ローレンスが乗る旗艦は『マーガレット』。真珠を意味するこの女性の名がローレンスの旗艦の名だ。と言うか、ブリタニア海軍の軍艦はすべて女性の名がついている。
「元帥! 敵船が視えました!」
「ジーン君!? どの方向だい!?」
「正面です!」
青い顔をして海を見ていたローレンスは、その声に甲板の先に走った。ジェイムズはその素早い行動に驚きつつも後に続く。
「おおぅ……これはこれは……」
「大艦隊ですね」
目を眇めたローレンスに、シリルは冷静にそう返した。彼らの隣に並んでその大艦隊を見たジェイムズは息をのんだ。
「……兄上」
「うーん。すごいねぇ。ちょっと侮ってたよ」
こんな時でも口調の軽いローレンスを、ジェイムズは睨み付けた。しかし、すぐに目を見開いた。
笑っていた。いつものヘラリとした笑みではなく、見るものを凍りつかせるような、そんな凄惨な笑み。
「……ま、数だけが勝敗を決めるわけではないけどねぇ」
しかし、口調はどこまでも軽かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ブリタニアは島国です。まあ、この話も歴史上のある出来事を参考にしているような、していないような……って感じですが。
ローレンスは8人兄弟の一番上。もうすぐもう1人増えます。上の妹2人はすでに嫁いでいて、出てくる予定はないです。……今のところは。




