23、復帰戦
約3日かけてローランサンのガリア駐留のブリタニア軍に合流したローレンスは、その惨状に衝撃を受けた。一般的に、軍全体の4割の損害を受ければ壊滅とされるが、どう見ても半数以上の損害を受けている。しかも、この時代は約2割の損害で壊滅状態とみなされていた。
「……私の、せいだ……っ」
ローレンスは首元のロザリオを強く握った。自分が逃げようなどと思ったからだ。そう思った。
実際には、ローレンスがいたからと言って、どうなっていたかはわからない。それでも、自分のせいだと思わずにはいられないのだ。逃げようと思った、後ろめたさがあるから。
ひと月近く行方をくらませていたローレンスであるが、そこは適当にごまかした。さすがにガリア軍にいたとは言えないので、親切な商人に拾われ、怪我が治ったので戻ってきた、と説明した。信じてもらえたかは謎だが、この壊滅的な状況にショックを受けていた兵士たちは、ローレンスが戻ってきたことを喜んだ。そのうち、自分の不敗神話などができやしないかと、ローレンスは戦々恐々としている。
ブリタニア軍に合流したローレンスにまず下ったのは帰国命令だった。先のローランサンでの戦闘で、ガリア駐留ブリタニア軍は指揮官を失っていた。そのため、ローレンスが代わりに指揮を執り、一部の兵士を残して残りは連れ帰った。
「ローレンス! 今までどこで何をしていた!」
今回は全面的に自分が悪い自覚はあったので、ローレンスは再会した瞬間にニコラス2世に怒鳴られても、別に変だとは思わなかった。ただ、いつも通りに「すみません。帰るのが面倒くさくて」と舌を出したら、思いっきり頭に拳を落とされて舌をかんだ。痛かった……。
さらに、ユーニスに泣きつかれ、ブランシュには涙目で説教され、ジェイムズにはやはり涙目で帰還を喜ばれた。多くの人に再会を喜ばれ、ちょっと後ろめたい思いを抱いているところに、シリルに遭遇した。
「……やあ、シリル君。久しぶりだね」
「約ひと月ぶりですね」
シリルが冷静に言った。ローレンスは肩をすくめた。
「……迷惑かけたね」
「自覚があったのですか。ええ。かけられました。ジェイムズ殿下もジーンも、自分のことを責めていましたよ。優しすぎるあなたらしくないですね」
シリルの言葉に、ローレンスは苦笑して壁に寄りかかった。ちょうど向かい側に、聖母画があった。
「殿下。逃げようとしましたね」
「……そう思う?」
確信ありげな口調で言ったシリルに、ローレンスは首をかしげて尋ね返した。シリルは深くうなずく。
「ええ。そうでなければ、あなたがたとえ捕まっていたとしても、とうにブリタニアに帰ってきていなければおかしい」
「……それは、高くかってもらったものだね、私も」
「当然です。私は、戦のことに関してなら、あなたを尊敬していますから」
「うわ。相変わらず辛辣」
ローレンスは腕を組んで目の前の聖母画を見た。この絵画は、誰の作だったか。
「死んでもやむを得ない状況でなら、逃げてもいいかもしれない、と考えたことは認めるよ」
「逃げますか?」
「えっ?」
いま、とんでもない言葉が聞こえてきた気がして、ローレンスは聞きかえした。シリルは相変わらずまじめな表情だった。
「逃げますか、私と。どこか、戦わなくてもいいところに」
どこかで聞いたようなセリフだなぁ、と思いながら、ローレンスはフランソワにしたのと同じ返事をした。
「いや。やめておく」
「……そうですか。あんたなら、そう言うと思いましたよ」
シリルはため息をついた。
「まあ、あんたがそれで後悔しないなら、それでいいと思いますよ」
その言葉に、ローレンスは微笑んだ。やはり、みんなローレンスに甘すぎる。
「だから、甘えたくなってしまうのかもしれないね」
そう言って、ローレンスは目を細めた。
△
ローレンスが再び戦場に出たのは、それから10日後のことだった。派遣されたのは、前回大敗を帰したローランサン南部である。川を挟んだ戦場。遠目にガリア軍を見ながら、ローレンスは目を閉じて息を吐いた。
彼も、フランソワも来ているのだろうか。
そう思うと、戦う気持ちがなえそうだったが、ローレンスは無理やりその気持ちを振り払った。誰が相手だろうと、戦わなければならない。そう決めたはずだ。
ローレンスは目を開けると、すっと右手をあげた。合図に合わせてブリタニア軍が攻撃態勢を取る。
「……みんな。私は、みんなのことを信じている。だから、みんなも私のことを信じてほしい……。大丈夫。今度は負けない。なんたって、この私がいるからね……」
半分自分に言い聞かせるようにローレンスは言った。「おう!」と兵士たちから威勢の良い声が上がる。
「それじゃあ行こうか! 突撃!」
ローレンスが右手を振り下ろしたと同時に、待っていました、とばかりに兵士たちが声を上げながら川に突っ込んで行く。この辺りの川は深い。だが……。
現在は、ほとんど水の流れがなかった。当然だ。
上流でせき止めているのだから。
非人道的と言われようが、ローレンスは敵軍を水で押し流すつもりだった。
「元帥!」
「! どうしたのかね、ジーン君!」
ユージーンが少し離れたところから叫ぶのが聞こえた。ローレンスの生還を一番喜んでくれたのは彼だった。
「上流から、轟音が!」
ユージーンの声に、ローレンスはとっさに叫んだ。
「全員、陸にあがれ! 命令だ!」
緊縛したローレンスの声に、岸の近くにいた兵士たちは陸上に上がった。
「どれだけ流された!?」
水の轟音がすごいので、ローレンスが叫ぶように尋ねると、川からこちら側に上がってきた兵士が「わかりません!」と叫び返した。
「ですが、30人は下らないかと!」
「そうか……」
ローレンスは一瞬、流された彼らに黙とうをささげた。よほど運が良くなければ、この勢いの水に流されて、生きてはいられないだろう。
だがしかし。流された彼らには悪いが、これは想定内だ。
「まあ、こう来ると言うことは、相手はフランソワかな……」
誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやいたつもりだったが、近くにいたシリルには聞こえていた。彼はちらりと、自分の小柄な主君を見たが、ローレンスはシリルの視線に気づかずに、顎に指を当てて考え事をしていた。
フランソワとひと月近く暮らして、わかったことがいくつかある。最大の収穫として、ローレンスとフランソワは、考えていることが近い、と言うものがある。ただ、経験の差かわからないが、フランソワの方がローレンスより一歩で遅れている感はあった。
ローレンスは一度目を閉じると、再び開いた。水の勢いはかなり弱くなってきているが、まだ安全には渡れないだろう。
「ジーン君! 準備はいいかい!?」
「もちろんです、元帥!」
間髪入れずにユージーンからの返答が返ってきた。ローレンスはユージーンに作戦開始の合図を送った。その合図を見て、ユージーンがさらに合図の火矢を頭上に向けてはなった。すると、木の上から一斉に矢が放たれた。
川の近くには木がない。そのため、少し離れた位置からの攻撃になるが、高さがあるので思ったよりも飛距離がある。水の勢いが収まるまでの時間稼ぎなので、牽制でいいのだ。いいのだが……。
「ジーン君! なんかすごく当たってるよ!?」
「偶然じゃないですかね」
ユージーンのしれっとした言葉に、さすがだな! と思いつつも首をかしげるローレンスだ。うちの弓矢部隊、こんなに命中率良かったっけ。
その疑問はさておき。水の勢いが引いてきた。いくら弓矢の命中率が良かろうとも、減らせた兵士の数は微々たるものだ。ここからが本番になる。
「よし。じゃあ、予定通り退却戦に持ち込ませようか」
「あんたも人が悪いですね」
「なんとでも言いたまえ。ジーン君、合図!」
しりっるのツッコミを受け流しつつ、ローレンスはニヤッと笑ってユージーンに再び合図を出すように命じた。次の火矢の合図の意味は、一斉攻撃。
もちろん、ガリア側も奇襲を仕掛けようとしたはずだ。しかし、ローレンスはその奇襲部隊をまるっと無視することにした。代わりに、と言うことでもないが、ローレンスはすでに岸の向こう側にブリタニア軍を配置しており、合図を見て一斉攻撃、と言う形をとることにした。
つまり、形としてはガリア軍←ブリタニア軍←ガリア軍(奇襲部隊)となる。
一見すると、と言うか深く考えずともブリタニア軍が囲まれる形となる。しかし、ローレンスはやたらと退却戦が強いことで定評がある。負け知らずなのはこのためだ。
ブリタニア軍が追って来れば、ガリア軍本隊は、奇襲部隊が全滅したと考える。そのため、逃げに走る公算が高かった。つまり、前方のブリタニア軍は退却するガリア軍に攻撃し、ブリタニア軍もブリタニア軍で、後方は退却戦で奇襲部隊を攻撃する。もちろん、ローレンスはしんがりだ。
大将がしんがりにつくのはどうか、と言う意見もあったが、そこはローレンスなので最終的に「まあ、いいか」と言うことになった。そもそも、奇襲部隊の規模が小さいと予測したのもある。
果たして――。
何故かよく当たるローレンスの勘の通りにガリア軍は動き、ブリタニア軍は勝利した。こうして、ローレンスの新たなる伝説が作られるのである。本人に言わせると、「なにそれ」と言うことになるだろうが、兵士たちの中ではすでに出来上がりつつある伝説だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
なんか、終わるのか? といった感じでしたが、終わります。あと2話の予定です。
次は1月8日に投稿します。




