20、チェスの女王
これは私の独自解釈ですので、事実とは異なると思います。
チェスとは、芸術であり、そして戦争のゲームだと言われる。それぞれの駒には役割があり、ローレンスはその駒の働きは実際の軍の動きにも対応するのではないか、と考えていた。
もちろん、対戦しているのはブリタニアとガリア。『王』はそれぞれの王、ニコラス2世とクロヴィス4世。そして、ローレンスは『女王』であろう。シリルやパークス、ユージーンらは『騎士』や『僧正』にあたるだろうか。一般の兵士たちは文字通り『兵士』だろう。ポーンはチェスで最も重要な役割を果たす。
一方、フランソワがローレンスと同じ『女王』の役割を果たしているかと言われれば、首をかしげざるを得ないだろう。クイーンの長所はその攻撃力にあるとローレンスは思っている。
フランソワの役割は、どちらかと言うと護ること。つまり、『城』なのではないだろうか。いざと言う時に力を発揮し、仲間たちを護る。クイーンほど強くはないが、ビショップやナイトと並べるには力が強い。そんな存在だと思われる。
もちろん、これはローレンスの独自解釈であり、事実とは異なるのかもしれない。
ローレンスの理論によると、ブリタニアはクイーンを失ったことになる。もちろん混乱したが、表面上は落ち着いていた。あくまでも表面上は、だ。
ローレンス行方不明の情報は、最速でブリタニアに届いた。ニコラス2世の脳裏に、自信満々で『勝ってくる』と言ったローレンスの姿が浮かんだ。
「……ローレンスがいない事実は、全力で隠せ」
ニコラス2世は宰相にそう命じ、知っている者に箝口令を敷くことにした。これで、少なくとも表面上は国の形を保つことができる。クイーンが取られてしまったからと言って、チェスに勝てなくなるわけではないのと同じだ。もちろん、難易度は格段に上がるが。
ジェイムズたちも、ローレンスが行方不明であることは、一般の兵士たちには伏せていた。当然であろう。ほとんどの兵士がローレンスを慕っているのだから。士気が下がるし、探しに行くと言われても困る。
そのおかげで、大陸駐在ブリタニア軍は、今のところ軍の形を保っていた。もしもここで戦争になれば、すぐにローレンスがいないことが露見するだろうけど。
「私のせいですね。私が、あの時、元帥を置いて行かなければ……」
ユージーンが唇をかんだ。その手は強く握られており、詰めが掌に突き刺さって血を流していた。シリルはそれを一瞥して言った。
「いや。ジーンの判断は正しい。あそこでとどまっていても、ジーンが殿下を担いで逃げたとしても、捕まっていたはずだ。そうなれば、2人の王子が捕まっていたことになる。そうはならなかったんだ。上々だろう」
ジェイムズとローレンスの2人がいなくなる。それが、あの時の最悪の出来事だ。それを回避したのだから、ユージーンのせいではない。彼はローレンスの命令を護っただけである。しかし、自分が一緒だったなら、こんな事態にはならなかっただろうと思うシリルである。
そして、シリルは一つ疑っていた。
もしかして、ローレンスは逃げたのではないだろうか。
逃げる、と言ってもいくつか方法がある。死ぬことも逃げの一つだ。
笑いながら戦場に立ち、勝利の神と言われるローレンスであるが、その性根は優しさでできているのだとシリルは思っている。そうでなければ、彼……ではなく、彼女が戦う理由がわからない。
ローレンスは、逃げようと思えばいつでも逃げることができた。死ぬこともできたし、文字通り逃げることもできた。おそらく、ローレンスが逃げても、誰も追わなかっただろう。ニコラス2世は、彼女に負い目があるからだ。
しかし、戦場に出るようになって8年。ローレンスはそんなそぶりを見せなかった。気が狂いそうになる現実の中で、常に笑い、兵士たちを鼓舞して勝ち続けた。何故か?
自分がいなくなれば、ガリア王国がブリタニアを占領すると考えたからだ。
チェスでたとえると、ローレンスはクイーンだ。クイーンの状態ならば、いなくなってもまだ戦うことができる。
しかし、その攻撃力は格段に落ちるだろう。つまり、ガリアに占領されというローレンスの考えは、あながち間違いではないわけだ。
そうなれば、ローレンスが愛する家族は処刑か、よくて生涯幽閉だろう。家族たちをそんな目に合わせないために、ローレンスは戦い続けた。
しかし――――今回は。
今回は、やむを得ないと言えばやむを得ない状況で、ローレンスは一人になった。女装していたローレンスが、ブリタニアの王太子ニコラス・ローレンスだと見破られる可能性は低い。ローレンスの外見と、無敗の王太子の姿が結びつかないからだ。
だとすれば、あの森の中で死んでいても、町娘として葬られる可能性が高い。そうなれば、もう見つかることはないだろう……。
シリルがここまで考えるのは、あの場所がモニカの亡くなったフーリエであることと、逃げるなら今のうちだ、と言う考えが彼女の中で芽生えるかもしれないと言う危惧である。王になったら、逃げられない。そもそも、ローレンス自身が逃げようとはしないだろう。
ローレンスはもう帰ってこないかもしれない。シリルは心の中でそう思った。
△
一方、その頃のローレンスは困っていた。何に困っていたかと言うと、ガリア軍兵士に口説かれていたからである。言い寄ってくる女性のかわし方は知っていたが、男性の振り払い方は知らない。
「一目ぼれなんだよ。なあ、いいだろ?」
「……」
これ、殴ってもいいのかな。ローレンスの体をなめまわすように見ている男に、ローレンスはとっさにそう思った。気性が穏やかであるローレンスであるが、怒るときは怒る。おっとりしている人間ほど怒ると怖いのは自然の摂理である。
「おい、聞いてるのか?」
壁に手をつかれた。いっそのこと急所を蹴りあげてやろうかと思ったが、やめた。単純に、右足首を怪我していることを思い出したからだ。じゃあ、思いっきり突き飛ばす? 女性ではありえない身体能力を発揮するのはまずいだろう。
さすがのローレンスも、敵軍の中ではある程度慎重であった。
「おい。ローレル!」
最近ではめっきり聞きなれた声に呼ばれ、ローレンスは振り返った。フランソワの声で『ローレル』と呼ばれるのもすっかり慣れてしまった。
フランソワはローレンスと兵士の体勢を見て顔をしかめると、兵士に向かって言った。
「何をしている。さっさと持ち場に戻れ!」
「は、はいっ。すみませんっ!」
兵士はローレンスを解放し、走って持ち場に戻って行った。フランソワ、すごい迫力である。
「1人でふらふらするな。危ないだろ」
「ごめんなさい」
殊勝に謝って見せたローレンスであるが、フランソワはどうにも真剣にことを考えているように見えないローレンスの様子に眉をひそめた。実際に、ローレンスは真剣に考えていなかった。男所帯に女がふらふらする危険性は理解しているが、いざと言うときは百人切りでも何でもして逃げ出すだろう。
実際に、ローレンスは逃亡経路を探しに出ていたのだ。結果、正面から出るのが一番速そうだが、フランソワは妙に逃げ出したローレンスを探し出すのがうまく、これまで失敗続きだった。
まあ、ローレンスが本気で逃げようとしていないのもあるが。
「あんた、絶対自分の立場理解してないだろ。出歩くときは、俺かレイモンと一緒に行け」
何となく理解のない子供を叱っているような口調でフランソワはローレンスに言った。ここはすっかりローレンスが世話になっている、フランソワの司令室である。
「君たちを連れて行ったら、逃亡経路が探せないじゃないか」
「あんたも、それを俺に言ったら意味ないだろ」
フランソワがため息をついた。ローレンスの行動は突飛で、彼女に仕えていた者たちは大変だっただろうな、と思う。
そもそも、ローレンスが本気で逃げようと思えば、フランソワに捕まえることはできないだろう。それでも、毎回見つけられるということは、ローレンスは本気で逃げようとしていないと言うことなのだ。
「それにしても君、ちゃんと敬われてるんだねぇ。私の所は、みんな私のことを敬ってくれなくて」
「敬ってるっていうか、怖がられてるって感じがするけどな。つーか、あんたの方が怖ぇえだろ」
何しろ、返り血を浴びながら笑うような人間だ。こっちの方が怖い。フランソワはそう思ったのだが、「生活態度の問題かなぁ」とローレンスがつぶやいた。
「そりゃあ戦場に出れば、みんな私のことは怖いだろうけど。でも、現実の私は身長5フィート5インチの童顔だからね。しかも生活態度があれだからね」
「……一つツッコむ。あんた、自覚あるんなら直せよ」
「これで24年間やってきたからね。もう直らないだろうね」
ニッとローレンスが笑った。ローレンスの笑顔は始めて見たかもしれない。徐々に、冷静沈着なブリタニア王太子像が壊れていく。フランソワは無表情に戻ったローレンスに尋ねる。
「……なあ、聞いてもいいか?」
「内容によるね」
「……あんたの婚約者が、この場所で亡くなったって言ってただろ」
ローレンスを保護したその日、フランソワに短剣を向けた彼女はそう叫んだのだ。
『私の婚約者は、この地で散ったんだ。そう思えば、いくらでも残酷になれる』
ローレンスはそう言った。フーリエで亡くなった『婚約者』。フランソワが知る限り、フーリエで行われた戦いは一つだけだ。
「5年前の、フーリエの戦いで?」
「……そうだよ」
この話題を出した瞬間、ローレンスがフランソワを睨み付けたが、『婚約者』の話をする彼女の声音は優しかった。
「5年前にね。君は参加していないのだろう?」
「ああ……兄が、参加していたと思うが」
参加していたどころか、指揮官だった気がする。ブリタニアから久しぶりに勝利をもぎ取った戦いとして称賛される一方、一般人を人質に取ったとして非難される戦いでもある。
「ああ。君の兄ね。よほど殺そうかと思ったよ。あの男」
「……」
このどこかのんきな女性を本気で怒らせるとは、自分の兄は一体どんな非道なことをしたのだろうと思ってしまうフランソワだ。それだけ、ローレンスが『婚約者』を愛していたのかもしれないが。
「その『婚約者』って、女、だよな?」
「もちろん。王太子が男と結婚してどうするのかね?」
「……それはそうだが、女と女が結婚してどうするんだ」
ローレンスは同性愛者ではないだろう。『婚約者』を愛していた、と言うよりはかわいがっていた、と言うような雰囲気がある。さしずめ、仲の良い親友だったのだろう。
「まあ、その辺はいろいろ方法があるからね。養子をとるとか、弟に王位を譲るとか」
とにかく、ローレンスが即位した、と言う事実が大切なのだ。即位するためには、やはり結婚して子孫を残す意志を見せるべきだった。もちろん、必ずしも結婚する必要はないわけで、落ち着いて考えてみれば、ずいぶん父の考えに流されていたものだと思う。
「……後継ぎのいない国は、ガリアのようになるぞ」
経験者だからこそ言えるフランソワの言葉に、ローレンスは肩をすくめた。確かに、ローレンスと言う求心力の強い王がいなくなった後、後継ぎがいなければ、ガリア王国のような政情不安に陥る可能性があった。それこそ、ブリタニアはガリアに併合されるだろう。
そう思って、ローレンスは愕然とする。なら、自分はどうすればいいのだろうか。
死ぬのもダメ、生きるのもダメ。そう言われた気がした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
冒頭にも書きましたが、この話の中に出てくるチェスの話。私の独自解釈ですので、事実とは異なります(ここ重要)。
趣味としてチェスを始めてから5年ほどたちますが、いまだにめちゃくちゃ弱いです。もう少しうまくなりたいところです。
前にも書いたかもしれませんが、5フィート5インチ=約165cmです。平均身長は、男性はだいたい170cmくらい、女性はだいたい155cmくらいを想定しています。
実際には、16世紀時点で男性の平均身長は160cmくらいだったらしいですね。
次は12月31日大晦日に投稿します! 年始の更新については、活動報告にて!




