2、子供たちの苦悩
ブリタニア王国第一王子ニコラス・ローレンス・ブレンダン・ブリタニア。ニコラス2世の第1王子にして、戦神の加護を受けた戦争の天才として有名である。
だが、彼は『彼』ではなく『彼女』であった。
もともと、ローレンスはニコラス2世とブランシュの第二子として生を受けた。しかし、ローレンスは長子である。理由は簡単で、ローレンスより先に生まれた子は、生後一か月で亡くなってしまったのだ。
亡くなった子は男児で、彼の名がニコラス・ローレンス・アンドリュー・ブリタニアだった。
だが、彼は生後すぐになくなった。それから1年ほどして生まれたのが、現在のローレンスである。しかし、この子は女児であった。
長男が生後間もなく亡くなったことで失意の淵にいたニコラス2世は、第二子として生まれた女児を男児として育てると言い張った。名は兄と同じニコラス・ローレンスを取り、ミドルネームの一つをアンドリューからブランドンへと変えた。
母であるブランシュは、娘を息子として育てることに難色を示した。しかし、夫であり王であるニコラス2世に逆らえず、ニコラス・ローレンス・ブランドンを第1王子として育てた。
せめてもの抵抗として、ブランシュはローレンスを『ローリー』と言う愛称で呼んだ。男性名のローレンスの愛称としては『ラリー』が多い。『ローリー』と呼ばれることもないわけではないが、『ローリー』と言う愛称は女性名にあたる。
気が付けば、『ローリー』と言う愛称が浸透していた。しかし、ローレンスが中性的な顔立ちであるのもあって、彼女が女であると疑う者はいなかった。それはもちろん、ローレンスの卓越した戦闘能力にもある。
これまで24年、ローレンスを本気で女だと考える者はいなかった。彼女の戦闘能力と体力は確実に女性のものではなかったし、小柄で童顔であってもローレンスが女性であるとは疑われなかったのである。おそらく、彼女は本当に古の魔法の加護を受けているのだろう。
ニコラス・ローレンス・ブランドンは第1王子で男である。今更嘘だと言えずに、ニコラス2世はその嘘を貫いてきた。ローレンスの能力は現在のブリタニアに必要だったし、女だと思われないのは都合がよかった。
しかし、ここで生じてくるのが王位継承問題である。第1王子として遇されているローレンスは、このまま即位するとすれば男王として即位することになる。すると、当然、次の世継ぎ問題が持ち上がってくる。ローレンスが嫁をとっても子供は生まれない。2人とも女だからだ。
そこで、養子と言う話が持ち上がる。ローレンスはすでに、1人か2人子供がいてもいい年だし、ブランシュが次に生むだろう子は、ローレンスの子供と言っても違和感はない。
これが、ローレンスが国王として即位したとき、穏便に事を解決できる手段ではある。だが、ローレンスは両親の中で自分の即位が決まっていることが面白くなかった。
「いつまで仏頂面なんですか、あなたは。子供ですか」
「今夜も毒舌が絶好調だね、シリル君。この場でふざけてもいいと言うのならそうするけど?」
マールバラ宮殿の『春の間』で行われているパーティは、ローレンスの戦勝記念パーティである。主役であるローレンスは壁に寄りかかって腕を組んでいた。ふざけてシリルに散々ツッコまれているローレンスとは全くの別人に見える。
黒い軍服にいくつもの勲章。背中に流れる栗毛はうなじで束ね、中性的な顔はしかめられている。それでも絵になるほどきれいな顔立ちをしている。
「冗談ですよ。相変わらず本性は暗いですね」
「うるさいよ。あのテンション、疲れるんだよ」
シリルはローレンスの本性が暗い、と言ったが、あのふざけたテンションのローレンスも本性である。感情の起伏が激しいわけではないのだが、公私の切り替えが極端なのである。シリル曰く『暗い』のが公のローレンスであり、ふざけて突っ込まれまくっているのが私的なローレンスである。
ローレンスは給仕の従僕に向かって手を上げ、ワインの入ったグラスを受け取った。その中身を一気に飲み干す。
「一戦に勝ったくらいではしゃいじゃってさ。その前に戦争終わらせろっつーの」
小声だったが、この場にふさわしくない発言ではある。シリルはため息をつくのをぐっとこらえた。
「兄上!」
「よう、エドマンド」
はしたないと思われないくらいの速さで走ってきたのは、第3王子のエドマンドだった。ローレンスは笑みを浮かべてひらひらと手を振る。14歳で、社交界に出たばかりの彼は小柄で痩身のローレンスよりさらに背が低い。
「兄上! このたびの勝利、おめでとうございます!」
「うん。ありがとう。エディは勉強と剣の稽古はちゃんとしてる?」
「はい! でも、兄上にはまだまだ届きません」
「ははっ。買いかぶりだねぇ」
ローレンスはもっていたグラスをテーブルに置いて、エドマンドの頭をなでた。年が離れているのでかわいいのである。
「こらっ、エディ! 兄上の邪魔をしてはダメだろう」
なんだか人が集まってきた。エドマンドに注意したのは第2王子のジェイムズだ。彼は16歳。ローレンスのすぐ下の弟になるが、8つ年が離れている。例の、剣術がアレな子だ。
エドマンドはローレンスと同じで母親に似ているが、ジェイムズは父親のニコラス2世に似ていて、黒髪に淡い青の瞳の少年だ。
「いやいや、ジェイミー。邪魔ではないよ。こうやって私は壁際に突っ立てるだけだし」
「今夜は兄上の戦勝記念ですよ! 主役が壁際にいてどうするんですか」
「いやー。だってめんどくさいじゃん。私がいなくても盛り上がってるしさぁ」
「そんなこと言わずに! 行きますよ!」
「そうですよ、兄上!」
いつの間にかジェイムズとエドマンドが結託している。ローレンスはシリルを振り返ったが、彼は無情にも言った。
「楽しんできてください」
「……君、次戦場に行ったら覚えてろよ」
怒ると怖いと評判のローレンスなのだが、付き合いの長いシリルはけろりとしたものだ。ローレンスは弟2人に連れられ、ホールの真ん中まで来た。
「王太子様! 此度の勝利、おめでとうございます!」
「さすがのご活躍ですわ。王太子殿下がいらっしゃれば、我が国も安泰ですわね」
「わたくしどもも、殿下の勝利を信じておりましたわ」
ホールまで出れば、あっという間にローレンスはご令嬢に囲まれる。気づけば、ここまで連れてきたジェイムズとエドマンドの姿が見えないと言う始末だ。
ローレンスが小柄だと言っても、それは男の中にいるからであり、女性の中にいれば背が高い方になる。実際に、ローレンスは周囲の令嬢よりも顔半分ほど背が高かかった。
華やかに着飾った令嬢たちに囲まれ、うんざりしていたローレンスだが、顔には笑みを浮かべた。
「みなさん、ありがとう。みんなのような美しい方に祝っていただけで、私もうれしいよ」
まあ、と令嬢たちは軽く頬を染める。無駄に愛想のいい主人に、離れたところにいるシリルがため息をついた。
確かに、着飾った貴族のご令嬢は美しいが、ローレンスはそれに引けを取らないくらいの美人だった。並みの女性では、ローレンスの隣に並ぶとかすんでしまう。さすがはガリア一の美女と言われたブランシュを母に持つローレンスである。
男性にしては小柄で細身だとはいえ、優れた戦の才能を持ち、頭もいい。それに加えて顔もいいとなれば、王太子でなくともモテるだろう。あとは性格を治せは完璧である。何故、ローレンスの性格はあんなにも残念なのだろうか……。
シリルは集まっていた令嬢の1人と踊りだした第1王子から視線を逸らした。
△
ちょうどそのころ、先のローランサンでの戦闘で敗北したガリア王国王都ルテティアの宮殿、メルセンヌ宮殿では、ローレンス王太子に敗北した次期ガリア王と見込まれているフランソワ・シャリエールが王クロヴィス4世に謁見していた。
「ローランサンにおいて、ブリタニア軍と戦となったのですが……ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「よい。おぬしはよくやってくれておる」
意外に寛大な様子を見せたクロヴィス4世である。すでに老齢に差し掛かっているクロヴィス4世はフランソワの遠縁の親戚になる。そのせいで、フランソワはここにいるのだが。
しかし、実際に敗戦続きなのはフランソワのせいではなかった。フランソワは、むしろ戦に関しては才能がある方である。武に優れ、知力もある。そのため、クロヴィス4世の後継者として目をかけられているのだ。
それなのに、何故負け続けているかと言うと。
「すべてはブリタニア王太子、ニコラスのせいじゃ! あの悪魔め!」
クロヴィス4世が豪華な玉座の肘掛けを殴りつけた。
ブリタニア王国王太子、ニコラス・ローレンス・ブランドン・ブリタニア。現在のブリタニア王ニコラス2世の第1王子である。彼の父であるニコラス2世がガリア王国の王位継承を主張したため、現在、ガリアとブリタニアの戦争は続いているのである。
王太子ニコラスは、ガリアでは『黒の悪魔』と呼ばれている。そこから転じて『黒太子』とも呼ばれているようであるが、悪魔と呼ばれるのが一般的であろう。
ニコラス王太子は、フランソワとさほど年が変わらないのだそうだ。しかし、初戦を経験してから連戦連勝。今のところ負け知らずの戦の天才である。戦神の加護を受けているという噂もあるが、事実かもしれないと思えるほどニコラス王太子は強い。
「フランソワ! なんとしても悪魔の首を落とせ! よいな!?」
「……御意に」
たぶん、ブリタニア王は機嫌がいいんだろうな、と思いながら、フランソワは謁見の間を出た。
「フランソワ! 陛下はなんて?」
駆け寄ってきたのは友人兼側近のレイモン・アントワーヌである。長身のフランソワに比べてやや背が低いが、この時代の男性の平均身長よりは背が高い。
「当たり前だが、機嫌が悪かったな。俺のせいじゃない、とは言われたけど」
「ああ、フランソワのせいじゃない。相手が悪いんだよ」
レイモンもため息をついてそう言った。ブリタニア軍が強いのではなく、ニコラス王太子が強いのだ。
フランソワは当年22歳。明るめの茶髪とマリンブルーの瞳を持つ青年である。顔立ちはそこそこ整っており、背も高く体つきに均整がとれている。
そんな彼が次期ガリア王として目をつけられたのは今から15年ほど前のことだ。当時、7歳だったフランソワは、すでに聡明であると有名だったのだ。
ところで、フランソワには7つ年上の異母兄がいる。異母兄の生母は兄を生んだ後亡くなり、後妻が生んだのがフランソワだ。そして、またややこしいのだが、フランソワの母は王族の血流を汲む公爵家の出身なのだ。そのこともあり、シャリエール伯爵の次男であるフランソワに白羽の矢が立った。
「逆に言えば、ニコラス王太子の首を取ってしまえば、ブリタニア軍は瓦解すると言うことだな」
「ああ。陛下にもやつの首を取れって言われた」
「ああ、やっぱり」
それができないのだ、とレイモンがため息をついた。
「戦神の加護を受けたニコラス王太子か。会ってみたいな」
「遠目だけど、俺は見たことがあるぞ。小柄なんだが、驚異的な腕力と身体能力の人で……」
「うわ。何それ、人間か?」
レイモンから簡単に特徴を教えられたフランソワは思わずそう声を上げる。小柄なのに鎧を切り裂くとか、人間の所業とは思えない。
「フランソワ」
ニコラス王太子化け物説で盛り上がっていたフランソワとレイモンは声の方を振り返った。そこにいたのは、件の7つ年上の異母兄ベルナールだった。母親が違うからか、フランソワとはあまり似ていないと思う。
ベルナールも背が高い。武人、と言った様相の巨漢で目つきが鋭かった。その鋭い目で異母弟を睨んだ。
「負けたそうだな。やはり、お前では役不足だな」
「……」
そうは言うが、ベルナールもニコラス王太子には勝ったことがないはずだ。ニコラス王太子が出陣していない戦で何度か勝ったことがあるだけだ。
「次は私が指揮を執る。私とお前、どちらが王にふさわしいか知らしめてやる」
覚悟しろ、と言わんばかりにベルナールはフランソワを睨み付けた。去っていく彼の後姿を見ながら、フランソワはため息をつく。
「相変わらず仲悪いんだな」
レイモンの言葉に、「まあな」とフランソワが答える。
「小さいころはそうでもなかったけど……やっぱ、俺が次期国王に選ばれたからだよなぁ」
原因ははっきりしているのだ。兄であるベルナールではなく、フランソワが選ばれたこと。そのため、ベルナールはフランソワを敵視しているのだ。
ベルナールは軍人としては優秀だ。しかし、それだけだ。そもそも、長男であるベルナールを残したのは、彼がシャリエール伯爵家の跡取りだからだ。だから、次男であるフランソワが選ばれた……のだと思う。
「難しいよなぁ。人生って」
「いきなり何哲学的なことを言いだすんだよ」
フランソワの言葉に、レイモンはもっともなツッコミを入れた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ローレンスを含め、子供たちは親の対立に巻き込まれただけです。頑張れ、ローレンス、フランソワ。
最初にぶっちゃけていましたが、ローレンスは女性(の設定)です。まあ、いわゆる男装ものですね。ちなみに、私は結構「ベル〇ら」は好きです。
ローレンスの身体能力は、魔法がないので先祖返りの一種であると考えていただけるとよろしいかと……いや、実は深く考えていないので、ツッコまないで頂けると嬉しいです……。