ガースト制度のヒエラルキー
多くの犠牲者を出した溶鉱炉上の一本橋を、飄々とした態度で歩む、修験者姿の翁がいた。
「やれやれ危ないところじゃったのう、さっちゃん。しかも熱戦で気を失ったところに、特段切れ味鋭い刀での追い打ちとは。傷が残らんといいんじゃが……後でしろみさんに診てもらわんとな」
「……いつの間に現れたのかね、ご老人? まったく、あなたもつくづく食えない男だなァ」
眉にしわ寄せて問いかけるのは、傍らにガーターストッキング秘書を連れた、歯牙直哉我町長である。
呼びかけられた方の老人・溶岩米寿は、気迫あふるる中年町長の声を一切合切無視し通して、生存者の回収に立ちまわる。
「さっちゃんも、レギンスの娘も、怪我の手当をして安静にしなくてはいかんな。男連中もこりゃあ、どいつもこいつも満身創痍じゃわい」
「ロリババア老師の元を離れ、こんなところで油を売っていていいのかね、ご老人? その様子からすると、いつの間にかヘル・レッグケルズを回収していたのも、あなたということか?」
「無理に戦場に戻って来たせいか、眼鏡のボウズもボロボロのようじゃなあ。愛する刀の最期を看取ったばかりだしのう。まあ怪我人はみんな、ゆっくり休むといいわい」
「俺の話を聞いているのか、ボケジジイッ! 脚長町町長・歯牙直哉我であるぞッ!!」
「大事な町民に向かって町長が、ボケジジイとはなんじゃ! 美脚エステへの補助金は出るというのに、高齢福祉はなっとらんぞ、この町は!!」
中年と老年の意地をガツンと正面からぶつけあう、男二人。
途端、三脚を畳んで作り出した自らの錫杖を、溶岩米寿は天井に向けて差し伸ばした。
「儂にかまけている暇はないじゃろ、町長。お主の寝床で、べっぴんさんが到着を待っているではないか」
「……終。行くぞ」
「かしこまりました」
歯牙町長に呼びかけられたガースト秘書の歯牙終は、右、左、右と、目にも留まらぬスピードで両の美脚を蹴りあげた。
あまりの速さに、この全力振り上げサービスショットを、まじまじと他人が見ることすらも許されぬ。
しかしその両脚が類稀なる美脚であり、ガーターストッキングの艶かしき補強を受けて万全のものとなっていることは、切れ味にて明らかになった。
三度の蹴り上げで、天井を三角形に切断。
ガラガラと崩れゆく鉄筋コンクリートを脇に避け、肩や腰をがっしと抱く歯牙町長を伴って、空いた穴めがけて秘書、飛翔。
その大ジャンプは天井にまで届き、天井の穴を抜け、地下九階の床を抜けて新たな天井を抜け、そのまま地下八階から地下一階までをも通りすぎ、地上階の床すらを抜け天井を抜け、吹き抜けになった地上三階までを過ぎても止まらず、七階八階九階十階、一足飛びにぐんぐん上昇してついには最上階へご到着。
市庁舎頂上。この施設のヒエラルキー最上位、決戦の市長室へと、町長と秘書は即座に舞い戻ったのであった。
「美脚の一閃ごとに、最下層から最上階までの床と天井を全て切り抜いて、出来上がった道をジャンプ一発で登ってきたのか……? 色々と信じられないことをするな、町長秘書」
さすがの神業に額に汗して驚いたのは、この市長室にて歯牙町長を待ち受けていた、月脚礼賛である。
ショートパンツに薄黒ストッキングの御御足、未だ健在!
数歩下がって戦いの様子を見届ける、果轟丸少年も、当然のようにそこには控えていた。
「うちの秘書に履かせているガーターストッキングは特別製なのだよ、月脚礼賛。君が履いている天叢雲剣を八咫鏡で複製し、それを改良したのが、“これ”だ。規格外の性能はつまり、天叢雲剣そのものの力だとも言える!」
「ああ、そうだな。わたし以外にその規格外の性能を持つ奴がいることが、どうにも信じられないと言っている!」
「せっかくだ、試してみるかね? 最強の矛と矛がぶつかり合ったら、果たして矛盾は生じるのかをッ!! やれ、終ッ!」
「かしこまりました」
礼賛と終は脚の軌跡すら見えぬ残像と化して、市長室中央でぶつかりあい、もはやこれは『美脚』という概念同志の激突に近い。
美しき脚同士が打ち合わされる時特有の、「キン」というあの金属音ともまた違う、「コォン」と澄み渡る残響音。女同士に火花が散った。
いや、花火が散った!
「うわっ……? 部屋ん中で花火みてーなドデカイぶつかり合いって、正気かよ? こんな戦いに巻き込まれて、ばあさん大丈夫なのか……? 無理しないで、どっかで休んでていいんだぜ」
「ガキは余計なこと言わなくていいお」
派手派手しい脚花繚乱の光の中に、一瞬凍えるほどの殺気がぞっと過ぎていったが、それはそれ。
礼賛サイドで戦いの様子を見つめつつ、轟丸少年が心配の声をかけた相手は、白タイツロリババア巫女ナース、飛車しろみであった。
このロリババア老師。いつもの威勢は若干なりを潜め、ぺたんこ座りで白脚を投げ出して、戦況を見守っていた。
何故なら老師、先の戦いで毒まみれとなった礼賛と轟丸の元に現れて、その毒気を全て我が身に吸い取ってしまったのだ。
穢れを祓う巫女の力と、献身的な白衣の天使の合わせ技。蜜のごとくちゅうちゅうと蛇毒を吸引し、二人の戦士を救ったわけだが、引き換えにしろみの体も限界を迎えてしまった。
「口に蜜あり腹に剣あり。まさか毒の剣がこれほど胃にもたれるとは、困ったものだおー」
「だから、そんな辛そうならここにいなくてもいいんじゃねえの? ばあさ……老師はさ」
「戦えなくとも、この戦いの決着を見届ける義務がしろみにはあるお。『三種の神器』を守ってきた神社の宮司だから、しょーがないお」
轟丸少年としろみ老師のやり取りを聞き、高笑いをしたのは歯牙町長である。
「ぐうーぬはははははあぁ! なるほど、クソ雑魚のおかげで丁阡号が敗れたことは『脚本』外だったが、全身タイツサイボーグをぶつけずともロリババアが無力化したなら、それはそれで辻褄は合うッ!」
「豪放に見えて、いちいち段取りにうるさいタイプだな、歯牙町長? 何かと言えば自分の『脚本』の話ばかりだ」
「最高潮の一大決戦を盛り上げるためには、綿密な『脚本』も必要ということよ! では行くぞ、月脚礼賛! 誰にも邪魔されぬ一対一の対決で、華々しく『脚本』を締めくくろうじゃあないかッ!」
かつての対決を、覚えておいでだろうか。
病院前で偶然に相まみえ、不意の一撃で瞬時に勝負が決まった、月脚礼賛と歯牙終の最強決定戦。
今度は互いに正面切って、万全を期しての再戦。いざ尋常に開幕であった!
とどまること無く繰り出される両者の美脚は、達人の目を持って見ねば全容を把握することも困難であり、薄手の布地が描く軌跡を視線で追うと、裏に潜んだ一際黒い影ひとつ。
町長秘書・歯牙終の背後の空間にゆうらりと現出した闇は、漆黒の刃と化してガーターストッキング秘書の死角から襲いかかった。
古式忍法の粋を尽くし、八百万デニールの黒衣を履きこなすに至った彼女は、黒タイツが産んだ深淵を利用し、光すら飲み込むブラックホールと変化せしめ、歪んだ時空を未だもって彷徨っていたのだ。
外道魔導のシノビの技は、その脚を見つめ続けるための眼球を携帯することすら、可能としていた。あのロン毛カフェマスター・水町ゲロルシュタインの片目、実は義眼!
本来の目は既に刳り貫き、この時のために彼女の手に渡されていたのだ。本体を離れた水町の瞳、250ミリのペットボトルの中にて脚を見届け切れ味を高める。
千載一遇の好機を探り、闇に身を隠し続けていた黒タイツ眼鏡女子高生は、最終決戦にこうして割って入ったのである。
闇堕ちの汚名を被ろうとも、卑怯者のそしりを受けようとも、泥臭く貪欲に。勝利のためなら手段を選ばぬ女、負門常勝、ここぞとばかり出現し決戦に水を差す!
完全なる不意打ち、絶対勝利のための周到な潜伏、遂にここに実る。
実るはずで、あったのだが。
「受け止めた……ですって……??」
闇より這い出て歯牙終に密着、攻撃をかわすという行為そのものが不可能な一刀を、差し込んだにも関わらず。
振り返ることすらせずにガーストの脛で受け止められ、負門常勝は驚きや失意よりもまず第一に、理解が出来なかった。
対戦相手の影から突如、黒タイツ女子高生が生まれ出し、月脚礼賛も状況がわからない。戸惑いで脚が止まるうちに、事態は悠然と進行していく。
「意識の外からの背面攻撃。どんな無双の剣脚であろうと、これに対抗する手段は本来ございません。狙うタイミングも完璧であったと、評価いたします」
語る歯牙終の口元の艶ボクロは、シノビの使命失敗を告げる、絶望の終止符。
色香漂う唇が僅かに笑みを浮かべ、ガーターストッキング秘書は自らの脚を、改めて周囲に魅せつけた。
「対背面攻撃特化用装飾、『バックシーム』。先ほど完成いたしましたもので、あなたがこれを御覧になるのは今回が初めてだわ、負門さん」
賢明な諸氏には既に周知のことであろう。
バックシームとは、ストッキング類の背面にある縫い目のことであり、尻から脚のラインをより際立たせる一助となる、腿裏・膝裏・脛裏・踵裏を通過する一本の線であり、王道である。
運動とともに縫い目がずれてしまうという問題もあり、縫製技術の進歩によって、このバックシームは歴史上から一度は姿を消しかけた。
だが、しかして。熱心な賢明な諸氏の支持もあり、この縫い目の一本線には根強い後押しが存在する。
何より脚線美を際立たせ、相手の視線を誘導しつつ背面攻撃力を高める、美脚刀剣術においても重要な生命線となりうるのであった。
とはいえ、縫い目がずれれば包まれる脚のラインも台無しであり、履きこなすにはオトナ女子上級者の着こなしが必要となる。これを歯牙終は見事、自分のものとしていた。
それだけではない。この最終決戦においてバックシームの存在がここまで明らかにならぬよう、速度や角度を調整し、巧妙に奥の手を隠し通してきたのだ。
「あっ……、あざとい!!」
思わずその場の誰しもがそう口にしてしまうのも、むべなるかな。
視線を奪われ動きが鈍る剣脚たちの中で、自由に動き回れたのは、この奥の手を知っていた二人のみ。
歯牙町長と、歯牙終であった。
「なあ、終? 月が綺麗だ」
歯牙町長はいつの間にやら市長の椅子に腰を掛け、手元のボタンを握りこぶしでスイッチオン。
すると庁舎の屋根が開いていき、決戦場たる市長室を、月灯りが染め上げていく。
「ちょうどいいわ、負門さん。改良版の実験台になってもらいたいの」
バックシームに睨まれた蛙のようになっていた、負門常勝。その首元を、背中を向けたままの姿勢で挟み込み、ガースト秘書は跳躍した。
開かれた屋根を抜けて、満天の星空へと歯牙終は飛び上がる。必殺技の犠牲者である、黒タイツ女子高生を連れて。
「『背暗死腔』」
「くっ……!! よ、よしなに……!」
月脚礼賛が開発したこの必殺技『灰暗死腔』は、相対して対戦者の首を股で挟み込み、バック宙の勢いで投げ落とすものであった。
だが、歯牙終のこれは名前も違えば技の体勢も違う。
相手に背を向けたまま、ガーターストッキングに包まれていない腿の部分で首を締めつけ、ガーターベルトの紐のラインでホールドする。視界に入るバックシームの視線誘導も伴い、技の状態も理屈もなんだかよくわからないが、犠牲者のあらゆる身動きを封じる無類の説得力があるではないか。
空中で抗う負門常勝の動きも虚しく、ようやく出来たことと言えば、あさっての方向に何かを投げつけただけ。
哀れ、くノ一の首はガースト美脚に挟まれたまま、市長室の床のタイルへ真っ逆さま! 秘書の脚の重みを受けて、骨の砕ける音が聞こえる。
ここぞとばかりにバックシームを魅せつける歯牙終の脚は、脅威のあざとさによって『脚光』の光すら放った。
未曾有の大技を顔面に受け、冥闇の使者たる負門常勝は勝利ならず、代わりに死を献上されるのだった。
次回、剣脚商売。
対戦者、バックシームガーターストッキング秘書。
犠牲者、黒タイツ眼鏡女子高生――。




