シーン16!
これで回想パートは終わりだ。
愛莉も設計図を作った時には工夫をしたらしく、どうやらプールサイドに座った時にお尻が濡れて溶けて、本来の目的が達成されないままバレてしまうのを考慮した結果、上半身だけ水に溶ける素材にしたようだ。
怜が泳げないということは事前に愛莉から聞いていたので、次の課題はどのようにしてプールに連れ込むか、だった。
俺は普通に水をかければいいじゃないか、というごくごく一般的で、凡庸な意見を出してみたのだが、「アモルちゃん…… スケベだよ」 と言い返され俺の立場が実質上、消滅した。それほどまでに俺の意見は道理に反しているらしい。というわけで、愛莉の意見を半ば強制的に採用した。
具体的にはこんな感じだ。俺と愛莉が競争し、どちらが勝っても負けても怜が反対するだろう罰ゲームを設定する。どちらにせよ、極度のシスコンである怜だ、絶対その執行を妨げるために動くだろう。俺を殴りにかかるか、殺しにかかるか、まあ、二者一択だ。
そして、どさくさに紛れてプールの中に連れ込む、てことだ。
場面がコロコロ変わってしまってすまないが、現在に戻るとしよう。
「アモルちゃん早かったね! すごい!」
「いやー、それほどでもないよ」
因みに競争の結果だが、俺は負けた。タッチの差だ。
俺でさえ信じられない。確かにスタートの時少し体制は崩したし、体力の問題で人間の平均速度より若干遅かったかもしれないが、確実に走るのと泳ぐのでは断然走る方が速いはずなのだ。
ここまでなると、最早俺の実力の問題ではない。単に愛莉の速度が尋常じゃないのである。
「アモルちゃん、罰ゲームだよ! 忘れてないよね!」
息一つ切らすような様子を見せない。流石、というべきか。
「お、おう。……ああー、くそー、罰ゲームだあ! 俺は何をしなきゃいけないんだー」
俺の隠れた特技というものの中に、演技という要素は無いのだろう。
しかしながら、具体的に何を罰ゲームにするかは決まっていなかったので、俺のこの嘆きは案外本音だったりする。最も、重要なのは怜が苦手なプールに入りむことを決心するほどの状況を作るということだ。
「じゃあね、アモルちゃん……」
プールサイドで足を水につけて座り込んでいる愛莉は顔をグイッと俺に近づける。
ちょっと濡れている感じが、そそるなあ…… か、かわいい。
「愛莉とキスして」
そう言ったのだ。このプール全体に聞こえるように、しかもわざとらしく怜のいる方向を向いて、そう俺に命令したのだ。
「え」
ツインテールに結んだ、典型的なツンデレのような容姿であるこの萌女は四つん這いになって俺に迫ってくる。
「愛莉ね…… もう、アモルちゃんじゃなきゃ、やだ」
「な、何を言ってるんだ、愛莉ちゃん、俺は決してそんなことしようと思ってないし、ほら、プラトニックなラブから少しづつ、みたいなさ! ステップ・バイ・ステップが必要じゃないか! うん、心の準備ってのが…… ヒイィ!」
右手の平を俺に頬にあてる。
トロンとした目が俺を見つめてくる。俺の心拍数がどんどん上がっていく。
「もうアモルちゃんを思い浮かべるだけで、体が火照ってきちゃって、愛莉、もう我慢できないよ…… 罰ゲームだから、絶対服従なんだよ、ね?」
唇を尖らせて、俺の顔に近づけてくる。それに対して、俺と言ったら体が強張って何もできない。本来俺のキャラだったら喜んでこの展開を喜んで受け入れるってのに、全く、どうしたんだ。
「初めてだから…… や、優しくして」
それが俺の精いっぱいの振り絞った言葉だった。女々しいのは承知の上である。
そんな俺の言葉に一瞬笑った愛莉だったが、おかまいなしにキスを強要しようとする。ここで俺の心の中では 「怜、さっさと助けてくれ! 頼む! 頼むよ~~~~!」 だった。まあ、その通りになってくれたわけだが。
ザバーン。言葉にしたらそんな感じだろうか。音と同時に水しぶきが上がっていた。怜だ! 良かった…… などと安堵し、怜がこのようにプールに入るというこの状況こそが俺たちの望みであり、目標だったはずなのだが、残念ながら現時点での俺は極度の緊張のせいでこの作戦の本質を綺麗さっぱり頭の中から消し去っていた。
怜は鬼の形相で俺たちに近づいてくる。
駆け足で水の中を進んでいくのは分かるのだが、水の抵抗でスピードがでていない。どうやら、泳げないというのは本当らしい。
結局、愛莉の唇は俺の顔と接触することはなく、気が付いたら耳元にあった。そして囁く。
「いい演技だったよ、アモルちゃん。これの続きはまた今度かな」
いや、決して演技じゃなかったんだがな。マジで体が緊張してたし……。
だけど、え?
「『また今度』!?」
愛莉はその問いに答えることはなく、隠すためのタオルを取ってくる、と言ってプールを離れ、更衣室に戻った。愛莉のことは怜の眼中にないらしく、未だに俺の方へ進んでいる。しかし、あと少しで歩けなくなる時限爆弾(水溶性水着)があるのだから、俺はある程度の落ち着きを保っていた。
長い目で見れば無罪放免はありえないだろうが、上半身がまっぱになる間は、一種の執行猶予だ。
「あれ!? な、何よこれ」
計画通り、水着がどんどん溶けていく。あと一歩で俺に届く距離でやっと足取りがピタッと止まった。怜があと一歩踏み出せていれば執行猶予空しく、確実に死刑判決だっただろう。ピンチだったぜ。
「ちょ、何で水着がなくなるわけ!? さては、愛莉ね! て、ちょっと、見ないで、ていうか見るな! エロキュー! 見たら目ん玉潰すわよ!」
俺は見なければいけないような義務が課されているのだが、どうしたことやら。まあ、愛莉の努力を踏みにじるわけにもいかない。いや、俺もこれがいけ好かない行動ではあると自分では百も承知なのであるが、どう表現したらいいものか…… そう、仕方なくだ。いや実に仕方なく怜の胸を堪能…… じゃなくて、拝見しなければ、俺はここにいる意味がなくなってしまう。
そして、俺は怜の体に目を向けた。
俺は驚きを隠せなかった。そして一瞬それが何かと、戸惑った。
「…………おい、怜、なんだよ、それ」
怜は俺が一体何を指しているのかは自ずと察しているようで、俯いたまま口を噤んでいた。下唇を噛んでいるようにも見える。怜はもちろん既に手で大事なところは抑えている。俗にいう手ブラだ。だが、俺の驚きはそのポーズに感銘を得たから故の驚きではない。
俺は愛莉がなぜここまでして、この産物を俺に見せたかったのか、分かった気がした。いや、気がしたのではない。その本意を十分すぎるほど確信したといっても過言ではないだろう。
傷があったのだ。
一つではない。カッターや、ナイフのような鋭利な刃物で切ったような無数の傷がその純白の肌に刻まれていたのだ。
痕になっているもの、かさぶたになっているもの、交差しているもの、長いもの、短いもの。決してタトゥーを描いているような風でもなく、単に乱雑に切ったかのように。
これを俺は知っている。学校で人間心理学を学んだときに見たことある。
「チェスト……カット……」
リストカット、アームカット、ネックカットとと並び、自分の胸部を鋭利なもので痛めつけることで安心感を得るという。
主に精神が不安定になったり、過剰なストレスを感じた人間が行う、自傷行為。
俺たちは愛莉が来るまで呆然と立ち尽くすしかなかった。




