シーン14!
さて、今俺がどこにいるかというと、プールだ。具体的に言えば、民間の温水プール。とはいえ、民間さながらの派手な色とりどりの看板やら、自作のマスコットキャラクターなんてものなぞ見渡す限り存在しておらず、区役所のような外見だ。夏になれば屋外のプールも開いてかなり大きいらしいが、現状屋内の温水プールしか一般開放していない。
とは言え、なぜ、このキューピッドであるこの俺が、こんな季節外れなプール訪問をしているかというと、まあ、ご察しの通りだろう。
どうやら、太平洋よりも深い謎を秘めている怜の胸を鑑賞するためだ。
俺は四角いオリンピックサイズのプールの端で体育座りをしながら、なぜ女性と言いうものは着替えやら、化粧やら、トイレやらが無意味に遅いのか、という男子共通の疑問を浮かべながら女性陣の着替えを待っていた。
「お―――い、アモルちゃ―――――ん!!」
まずはオレンジ色の花柄ビキニでお召しになった愛莉の登場だ。
いやー、いいね! 逆に胸にふくらみがないのも味があるというか、とある貧乳キャラがこんな格言さえも残していた気がする。『貧乳はステータスだ! 希少価値だ!』、と。確かに巨乳がステータスなら、貧乳もステータスになりうる!
そう、ぺったんこ万歳!
「アモルちゃん、何考えてるの?」
「え、えへ? ああ、ぺったんこもいいなあと」
「ぺったんこじゃないよ!」
あれ、無意識的に心の声が出てしまった。失敬、失敬。
「怜は……まだか」
「もちろんだよ! ……全て作戦通り!」
「なんか、気が重いなあ」
「そんな顔しないの、アモルちゃん! お姉ちゃんの為でもあるんだから!」
作戦、というのは愛莉が独断で考え出したものだ。行動力とコネと経済力だけはあるらしく、その内容を聞いたときは何ともシンプルで、何とも斬新で、それでいて何とも無慈悲な計画だと思ったことか。
まあ、内容については後に分かるさ。
「この前も言ったが、別に口頭で説明してくれても、いいんじゃないか? 俺は別にお前たちに懐疑的になっているわけでもないし、元より、愛莉の言ってる事なら信用するぞ。それに……」
怜からイジメのことも話してもらったし、と言いかけたがやめた。考えたら、今俺がこうしてプールにいるのって、元はと言えば怜があの会話のあと、態度が変わったからなんだよなあ。どういう伏線上で成り立っているのか、俺は知る由もないが。
「それに?」
「いや、なんでもない。何言うか忘れた」
「そっか、アモルちゃんもド忘れするんだね! ドジだなあ!」
「ま、まあキューピッドも天から落ちるからな。あは、あはは……」
「じゃあ、そのキューピッドちゃんは堕天使さんだ! そのキューピッドちゃんは悪いことしたのかな? エッチなゲームを屋根裏まで探したりとか、夜に女の子の部屋に入ったりとかしたのかな? アモルちゃんはそんなキューピッドちゃんになっちゃダメだよ! メッ!」
例えにスゲー現実味があるなあ。
俺ならやりかねないのが更に恐ろしい。
「はい…… 面目ない」
そうこうしているうちに女子更衣室の扉が開いた。
俺たち以外の泳者は誰もいない。誰もまだこんな肌寒い季節のプールには用無し、って事さ。というわけで、その人物は怜以外の誰でもなかった。
しかし…… まあ、事前に作戦で聞いていたとは言え、インパクトが強いなあ、あの姿は。
「ああ! お姉ちゃんだ! どう、愛莉があげた水着! スク水だよ! スク水!」
そう! スク水だ。
流石モデルというべきか、体のラインがぴっちり浮かび上がってるし何よりも胸が寄せあげられていて、谷間がくっきり見えている。しかも、胸の所に 『一年A組 れい』 って書いてあるのも、さりげない萌ポイントである。
これによって立証されたさ。
良い体の良い巨乳はこれからも敬われるであろう、紛れもないステータスであることを!
「あ、愛莉…… ちょっと小さすぎやしないかしら……」
「え? そんなことはずないよ。きちんと体の寸法に合わせたオーダーメイドだもん。あ、とは言え半年前の寸法だけど」
「そうなの? で、でも胸のあたりが、何ていうか、その…… く、苦しいっていうか」
「む、胸…… そんなはずはないんだけどなあ…… はっ!」
愛莉は気づいたらしい。つまり、半年の間で怜のバストはサイズアップしたのだった!
しかし、まあ、なんというか、お約束である。
チクショ―――、とプールの傍らで叫んでいる愛莉をそっちのけに怜の方を見る。
「しかし、本当にスク水しか着ないのか? お前?」
「そうね。学校で水泳やるじゃない。それで慣れちゃってね。それに……」
怜は何か言いかけようとして、口を噤んだ。
「それに?」
「何でもないわ」
「お前やたら謎が多いな」
「隠れた秘密主義なのよ」
隠れてたら秘密にする必要もないよな。
「いやー、その割に俺には色々喋ってくれたよな。事故のこととか、好きな人のこととか……」
「だ、黙れ! あれは単なる気まぐれよ!」
室内で怜の声がこだまする。しかし、すぐさま愛莉のチクショ――――にかき消された。萌チビ、それだけ姉のバストが大きくなったのがショックだったんだろうか。
聞いた話、兄弟姉妹だと、時に片方がもう片方の何かを吸収するとかって言われていたりするしな。
この際は、胸の脂肪だってことか。
「ううっ…… 有難う。お前に信用されて、俺は嬉しいぞ! 愛してる! もう、これからはお前一本だ。いつでも俺のベッドの右側はお前のために残してあるからな。いつでも夜這いに来てくれよな」
「誰が行くか! それ以前に部屋自体拓兄と共同だし、あんた寝ないでしょ! たく、大体キューピッドがセクハラって、どんな教育されてんのよ、あんたの世界って」
「主に性教育だ」
「納得だわ」
納得されてしまった。
怜は俺の隣に座った。体育座りだ。
いつの間にか、愛莉はプールに飛び込んでいた。おそらく爪先立ちをしても底に足がつかないであろう深さのプールに。
「ほら、さっさとプールにでも入れ。ここまで来て泳がない気か」
「…………」
俺のいる反対側を向いて若干頬を赤らめている。
「どうしたんだ?」
「…………お、泳げない……」
「え? 聞こえなかったぞ。もう一回」
「泳げないの! トンカチなの! ああ、そうよ、体に似合わず、スポーツ音痴なのよ! 盛大に笑いなさい! 私を蔑みなさい!」
身をより出して張り上げた声で俺を罵倒する。四つん這いになった姿なので胸の谷間がくっきりと浮き出ているのだが、そこまで余裕を作れるキューピッドでは、残念ながら、俺はなかった。
「い、いや、そんなに自分を落とさなくても、蔑まないから。後、トンカチじゃなくてカナヅチな。俺も泳げないから、同じだって」
「わ、わかればいいのよ!」
強気に出るくせに、本当に潔い女である。
「アモルちゃん! ほら、こっちおいでよ!」
「おう! 愛莉ちゃん…… このあつーい濡れ場で、一緒に汗でびしょ濡れになった体を交えながら、楽しもうぜ!」
「うん! そうだね! このあったかい温水プールで競争して汗を流そうか!」
おお、なんという変換の素質だろう。俺のいかがわしい一言が普通になってしまったぜ。
「あんた、泳げないんじゃないの?」
「確かに泳げないが、水の上は歩けるぞ」
「な!?」
まあ、最近分かった能力なんだがな。分かった時は自分自身の違う側面を垣間見た気がしたよ。
中二病の発言かもしれないが、俺はキューピッドなりに超人的な力があるのかもしれない。いや、かもしれないだけで、ないかもしれない。
かもしれるしかもしれないし、かもしれないかもしれない。
「よーし、アモルちゃん! 競争だよ! 競争!」
「よーし、競争だー。楽しみだなー」
愛莉はプールから一旦上がる。
(アモルちゃん…… やるよ!)
彼女は俺の耳にさりげなく囁く。怜からすればこそこそ話に見えるだろうが、そんなこと気にかけている場合ではない。怜はこれからもっと気にかけなければいけないことが起こりうるのだから。
(わ、わかった……)
もしかしたら、愛莉はルックスとは裏腹にかなり陰湿で根暗な策士なんじゃないか……。そう心なしか思ってしまう。
いやーシスコンって怖い。怖いぜ。
今度は怜にも聞こえるぐらいの音量で会話をするとしよう。もう分かっていることだろうとは思うが、これは全て演技である。
そう、胸の秘密を探るための、正義なる演技なのだ。
「きょ、競争だから、負けた方には罰ゲームが必要だねー。あ、あははー」
「そうだねー! じゃあ、罰ゲームを決めようか! うーん…… 思いつかないなあ…… じゃあ、そう! シンプルに、勝った方は負けた方の言うことをなんでも聞く、ていうのはどうかな? それなら競争にもハリがでるよね」
流石、愛莉というべきか。今までスプーンしか使ってなかった幼児が、箸デビューするときの手さばきのようにぎこちない俺の演技とは似ても似つかないような、プロ顔負けの演技それでいて作り笑顔だった。
実に巧みである。
「じゃあ、位置につくよ、アモルちゃん!」
「お、おう!」
怜は事態の進展が早すぎるのだろうか、唖然と俺たちのショーを眺めている。
「種目は自由形二十五メートル一本。自由形と言っても、クロールじゃないから安心してね、本当に自由でいいよ、アモルちゃん」
「了解だ」
俺は水の上を歩き、愛莉は泳ぐので、必然的にスタートラインが変わってくる。愛莉は飛び込み台の上で、俺は飛び込み台から一歩踏み出した水の上だ。そして、スタートも 愛莉はダイビング、俺は見よう見まねのクラウチングスタートである。
「位置に付いて、よーい、ドン!」
愛莉の一声で俺は走り出した。水の上を。




