貧血
朝陽が瞼に柔らかく差し込む。外からの刺激を感じて、朧は沈みそうになる意識を覚醒させる。ゆるゆると彷徨う思考は、ぼんやりと昨晩の出来事を回想していた。
はらはらと舞う桜の花びら。
はらり、はらりと風と戯れる薄桃色の花びらは、月光を受けてほんのりと光り輝いている。
花冷えも弱まったとはいえ、やはりまだ肌寒さを感じる宵に、朧は一人で散歩していた。いや、徘徊していたというのが正しい。
昔から、思っていたことが朧にはあった。
どうせ、家族に迷惑をかけながら生きるよりは、切りの良いところで、終えてしまおう。
今日で、二十歳になった。
朧には、今日が絶好の日に思えた。
闇の帳におぼろに霞む月を見上げる。
ぼんやりと霞んだ存在は、己の名と同じ月。己と同じように、曖昧模糊とした存在。
外を歩き回っている内に、朧に名案が浮かんだ。
この時、枝垂れ桜の存在を思いだしていなければ、彼人と出逢うことはなかっただろう。
心地よい夜風が頬を撫で、朧の髪の毛をさらった。
歩き続け、火照った頬を撫でる風は冷たく、体をひんやりと静めてくれる。砂利を踏みしめる音が川辺に響く。下を見ながら歩いてると、朧の視界に薄桃色の光が舞った。ふと下がっていた面を上げると、月下に淡く輝く枝垂れ桜が視界一杯に咲き誇っていた。
「ああ・・・着いたのね」
朧は吸い寄せられるように枝垂れ桜へと歩を進める。月の光を帯びた花びらは、闇夜にまるで光が躍ってるかのように見える。
「あなた、夜もこんなに綺麗なのね。・・・・・・ほんとに凄く綺麗」
感嘆の溜息を吐く朧の耳に、自分のものではない低い声が聞こえた。
「・・・こんな夜に女性が一人で出歩くのは危ないぞ」
「・・・ええ!?」
桜しか見えていなかった朧は、突然響いた声に腰を抜かした。声のした桜へと視線を移すと、草を踏みならして自分の方へと近づく男が見えた。
「おいおい、大丈夫か?」
困ったように笑うと男は、自分へと手を差し伸べる。
「え、あ、ああの」
あまりに驚きすぎて口が回らず、慌てふためいていると、男はすまなそうに眉を下げた。
「・・・ここまで驚かれるとは思わなかった。すまない」
「い、いえ。だ、だだ大丈夫です」
ここまで思いだして朧は眉をしかめた。いくら、驚いていたからってどもりすぎだろう。昨晩の自分を思い出して懊悩していると、扉をノックする音が室内に響いた。
「はい。どうぞ」
返事をする前に、急いで寝台から降り寝間着を整える。返事をしてから、少し間を置いて入室した人物を見て、朧は微笑んだ。
「まあ、蓮じゃないの。おはよう」
「おはようございます。姉上」
緩くウェーブがかった茶髪の頭を下げながら、蓮は挨拶をする。蓮は朧の、三つ下の弟で今年十七歳になる。蓮は母親似の黒い目を柔らかく細め、朧を見つめる。
「姉上」
「なあに?」
「昨日は誕生日おめでとうございました」
「昨日も聞いたよ? どうしたの」
「いえ・・・ただもう二十歳になられたのかと思うと・・・感慨深いものがありまして」
「蓮。言いたいことは完結にいいなさいい」
「ふふふ・・・今日は父上と母上が帰られますよ」
拳を口元に当て笑うと、蓮は朧を見て声を弾ませていった。朧は一瞬何を言われたのか判らずぼうっとしていたが、理解すると緩やかに驚愕がやってきた。
「え? なんで二人とも」
「そりゃあ、姉上の誕生日ですから。当日には間に合わなかったようですが、二人とも何があっても祝いにくると息巻いておりましたゆえ」
「だ、だだだって・・・お仕事が忙しいでしょう? それに」
それに、私なんか。外に出すのも厭うくらい嫌いな私の誕生日に来るはずがない。口には出さずとも、蓮には伝わったらしい。
「姉上・・・。まあいいか。自分たちでちゃんと説くだろう」
最後は小さな呟きで朧には聞こえなかったが、蓮はにっこり微笑むと姉に手を差し出す。
「さ、姉上。もう朝食の用意は出来てますよ。行きましょう」
「え? はい」
差し出された手に、己の手を重ねる。弟と違い、白いよりも青白い己の手を見て、やはり自分は役立たずだと恥ずかしく思う。幼い頃から貧血で運動が出来なかった。外を歩くことも、誰か供をつけなければいつ倒れるか判らない我が身では一人で歩き回ることも出来ない。蓮のように父の仕事を手伝うことも出来ない。だから、父も母も私のことを外に出したがらず、屋敷に閉じこめたがるんだ。いつまでたっても半人前。悔しい。涙が出そうになるのをこらえ、ひたすら蓮に案内されるまま歩く。
「姉上? 大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ」
涙目になっているであろう顔をみられたくなくて、咄嗟に逸らすと、蓮がはあと溜息を吐く音が聞こえた。弟にまで落胆させる自分・・・余計泣きそうになっていると蓮が急に立ち止まった。
「あのですね、姉上。姉上はずうっと勘違いをされてます! 第一父上と母上が帰ってこないのは!」
「う・・・」
「あ、姉上!?」
急に気分が悪くなり、目の前がぐらぐらと回り始める。ああ、また貧血でしょうか。そう思うのと同時に意識を失った。
2012/02/20 改稿