第6話 万バズ
最初の曲を公開した。どれくらい再生されるだろう。そんな期待を胸に、何度もページを開いては、再生数を眺めていた。だが、数日たっても数字はほとんど動かない。一週間経っても、再生数は数回程度。通知も、コメントも——何も来なかった。
それでも、作曲が一区切りつくたびに、もしかしたらとページを開いてしまう癖だけは、どうしても抜けなかった。そんなことを繰り返しているうちに、気づけば一ヶ月が経っていた。
表示されていた再生数は、十数回。世間から見れば、ほとんど誰にも聴かれていないに等しい数字だった。
それでも——。
画面を開いた瞬間、思わず小さくガッツポーズをしていた。
「……よしっ!」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。視線は自然と、画面の端へと引き寄せられる。
——いいね 1
その数字を見た瞬間、胸の奥に抑えきれない嬉しさが込み上げてきた。一人でも、俺の曲を「いい」と思ってくれた人がいた。そう分かった瞬間、頬が緩むのを止められなかった。
(……ちゃんと、届いたんだ)
その言葉を確かめるみたいに、胸元をぎゅっと掴む。この曲がまだ拙いことくらい、自分でも分かっている。荒いところも多いし、技術だって全然足りない。それでも。確かに、一人には届いた。その事実だけが、胸の奥で静かに響いていた。
——よし。次は、もっといい曲を作ろう。その人に、また聴いてもらえるように。そう思いながら、俺はもう一度ソフトを立ち上げた。画面が淡く光る。その前に座り直して、ゆっくりと息を吸った。
そして——もう一度、音を紡ぎ始めた。
作曲を続けていくうちに、一つ、気づいたことがあった。それは両親と話す時間が増えているということ。
今日作った曲のこと。
新しく見つけた音のこと。
そんな何気ない会話が、前よりも自然に交わされるようになっていた。
そして、もう一つ。
「……あれ?」
再生した曲を聴きながら、ふっと笑う。今作っている曲は——最初に作ったものより、ずっと明るくて、どこか温かいものになっていた。自分でも気づかないうちに、音が変わっていた。
それはきっと先生に看護師、そして両親の優しに触れているからだとそう感じる。もしくは、肺炎がようやく完治して希望が見えたからかもしれない。
それはきっと、先生や看護師、両親の優しさに触れているから。あるいは、肺炎がようやく落ち着いて、少しだけ先が見えてきたからかもしれない。今の自分の気持ちが、そのまま音に滲んでいる。
——誰かに寄り添えるような曲にしたい。その目標に、また少しだけ近づけた気がした。
そして、作った次の曲。その再生数は百数回。決して多いわけじゃない。それでも——画面を見て指先が僅かに止まる。
——いいね 3
その数字を見た瞬間、胸の奥に静かな嬉しさが広がる。それを噛みしめるように、ゆっくりと頬が緩んでいく。少しずつ、自分の曲を「いい」と思ってくれる人が増えている。それがたまらなく嬉しい。ほんの小さな変化。それでも確かに前に進んでいるという実感があった。
それでも、いいことばかりではない。また、薬剤性肝不全という合併症を発症した。作業ができない日も増えた。思うように動けない。体がついてこない。
それでも——以前のように、すべてを悲観することはなかった。今できることをやる。ただ、それに注力すればいい。そう思えるようになっていた。
そうして、少しずつ手を動かし続けて——三曲目。いつも通りの画面。のはずなのに、どこか違和感があった。視線を細めて、気付いた。いつもよりわずかにスクロールバーが長い。
少し引っ掛かり、ゆっくりと、指を滑らせた。画面が下へと動く。
「……っ」
思わず、息が詰まる。
『頑張って』
そこにあったのは、俺を応援してくれる一行のコメントだった。その一行にぎゅっと胸を摑まれる。何かが、一気に押し寄せてくる。これまでの時間。積み重ねてきたもの全てが報われたような気がして。気づけば、目に涙が滲んでいた。
「……ありがとう」
小さく、呟く。画面の向こうにいる、誰かに向けて。
たった数人でもいい。それでも——俺の曲を聴いてくれる人がいる。その事実が、胸の奥で確かな熱になっていく。それが、何よりのモチベーションだった。
それからも、曲を作り続けた。
作るたびに一曲を作るスピードは上がっていく。引き出しも増え、技術も少しずつ上達していく。何より——自分の伝えたいものが、少しずつ輪郭を持ち始めていた。
前は、ただ音を並べていただけだった。メロディもリズムも、どこか借り物みたいで。けれど今は違う。自分の中にある思いが、そのまま音として形になっていく。
指を動かすたびに、内側にあったものが外へ流れ出していくような——そんな実感があった。
そして、ある時。次に作る曲はなぜか、不思議と。絶対に一番いい曲になる。そんな確信があった。根拠なんてない。でも、迷いなくそう思えた。胸の奥に、静かに居座るような感覚だった。
そして、完成した——八曲目。闘病生活から一年と五ヶ月が経過した時だった。その曲は数十万回、再生された。
画面に並ぶ数字を見ても、正直、ピンとこない。桁の多い数字が、ただそこにあるだけ。それが自分の作った曲だなんて思えなくて、どこか他人事みたいに感じる。嬉しい、はずなのに……。
「……え?」
口からこぼれたのは、そんな間の抜けた声だった。一瞬、画面が壊れているのかと思って、画面を閉じて開きなおしたり、サイトを更新するが、数字は、変わらない。
「……なんで」
そんな言葉を思わず呟いていた。嬉しいはずなのに、実感だけがついてこない。そんな中で、確認も含めて両親に話してみると————
「えっ!? すっ、数十万!?」
母さんが、驚いたように目を大きく見開き、画面をじっと見つめる。思わず両手を口元に当て、少し身を乗り出すようにして画面を覗き込んでいた。
初めて見る、母さんの狼狽えた表情に、驚きながらも思わず笑みが零れる。ふと目を向けた父さんも、柔らかく優しい笑みを浮かべ、少し弾んだ声で口を開いた。
「湊の音が、こんなにたくさんの人に届いて良かったな」
その声は、まるで胸の奥まで温かく染み込むようで、嬉しさが溢れているのが手に取るようにわかる。母さんも、
「頑張った甲斐があったわね」
なんて、母さんも嬉しそうに笑いながら、胸元でぎゅっと両手を握り締めていた。その手のひらから、良かったね。そう励まされているような気がした。
少し大げさなくらいの反応に、思わず苦笑が漏れる。でも——その声の明るさ、その表情に触れるたび、胸の奥がじんわりと温かく満たされていく。
そんな両親の姿を見つめているうちに、俺の中にも少しずつ実感が湧いてくる。
「……そっか」
小さく呟く。
「俺、ここまで来たんだな」
これまでの時間が、ゆっくりと頭の中に浮かんでくる。最初の一曲。悔しい想いをしながらも、必死に前だけ見て作り続けた日々。増えていった、ほんの少しの反応。
その一つ一つが——今、この瞬間の結果に繋がっている。バラバラだった点が、一本の線になったみたいに。ようやく、ひとつに結ばれた気がした。まるで、俺の白血病細胞が無くなったことを祝福しているかのようなタイミングだった。
ちょうどリハビリ期間に入り、再発を防ぐための体調は安定期に入りつつある。上手くいけば、一年後には退院できるかもしれない——そんな希望が、現実味を帯びてきていた。
何より、これまではずっと一人個室だったのが大部屋に移るらしい。ずっと両親に負担をかけてきたから、その負担を少しは減らせることが、心底嬉しかった。
当初は無料版で十分と言っていたのに、結局その翌々月には有料のDAWを買ってもらっていた。その他の機材もいくつか揃えてもらい、気づけば機材代だけで16万ほどになっている。病院代に加えて考えると、かなりの出費だったはずだ。
気にしたら、「そんなこと心配しなくていい」と両親に気を遣わせてしまうと思い、俺からは特に何も言っていない。
でも、少しずつ収益も入るようになってきたことだし、いつか少しずつでも返せたらと思っているまぁ、両親にそんなことを言っても、きっと断られてしまうだろうけどね。
そうして曲を作り続けるある日のことだった。通知音が鳴り、画面を見ると、一通のメッセージが届いていた。
「すみません。作曲の依頼をしてもよろしいですか?」
と。




