第5話 初投稿
作曲をしていく中で作業できる時間が、どれほど限られているのかを思い知らされる。一日に作業できるのは、良くて二時間半。それが限界だった。
あまりに体力が消耗しすぎて、デバイスに触れることすら許されない日も少なくない。せめて気を落ち着かせるために、看護師さんと一緒に曲を聴くことだけが許された。
(……不甲斐ないな)
胸の奥に滲むその感情を押し殺しながら、俺に何ができるのかを必死に探す。そうして辿り着いたのは、「音に対して明確なイメージ」を付けていくということだった。
自分がどんな曲を作りたいのか。その指針になる曲を選び、その目印になるような曲を選定する。目を閉じて曲を聴きながら、仕訳けるような作業。これは好きな音か、違うのか。高揚感か、充足感か。それとも、喪失感や孤独感なのか。
流石に自分でどんな曲を作ろうかと考えるだけで、脳に負荷をかけすぎてしまう。だから、選定だけする。自分の中にある感情と照らし合わせながら、時には看護師さんにも手伝ってもらい、少しずつ輪郭を掴んでいく。
それを作業できる日に、自分なりの形へと落とし込んでいく。あまり広げすぎて方向性を見失わないよう。一曲を何時間も繰り返し聴くこともあった。
もちろん一時間ごとに十五分、窓の外をぼんやり眺める。敏感になった神経を落ち着かせるために、意識的に何もしない時間を作る。そうして、脳内で自然に再生できるほどに、その音を染み込ませていった。
不思議なことに、曲の構成やコード進行も、少しずつ理解できるようになっていく。まるで、音が自分の中に根を張っていくようだった。
「少しでも進んでいるんだ」
その確かな手応えに、胸の奥がじんわりと満たされていく。
——もちろん、いい日ばかりじゃない。
点滴や経過チェックの検査を受けた日は、体力が底をつき、ベッドに戻った瞬間には身体を起こすことすら億劫になる。指先ひとつ動かすのも重く、天井を見上げることしかできない時間も少なくなかった。
それでも、曲を作るたびに、新しい発見があった。限られた時間の中で、何をするのか、何をしたいのかを研ぎ澄ませていく。その作業は、不思議なほど楽しかった。
キックやスネア、ハイハットの音を一つひとつ選び、並べてリズムを組み立てる。ピアノやシンセの音を重ねて、胸の内にある感情をかたちにしていく。
思い通りにいかないことの方が多い。けれど、理想に近づけるために試して、崩して、また試す。その繰り返しの中で、少しずつ理解していく感覚があった。
表現したい音に辿り着くために、できることを積み重ねる。行き詰まれば調べて、また手を動かす。
悔しさと、楽しさ。その両方を抱えたまま過ごした一ヶ月半。——ようやく。一つの曲が、形になった。
「……できた」
呟いた声は、驚くほど小さかった。画面を見つめたまま、指が止まる。
(……本当にできたんだよな?)
確かめるように何度も再生する。耳を澄ませる。途中で崩れないか、どこかおかしくないか、疑うみたいに確認して——それでも、最後まで途切れずに流れた。
「……できてる」
今度は、はっきりと。胸の奥で、何かがほどける。次の瞬間、堰を切ったみたいに息が漏れた。
「よっしゃ! できた!!」
思わずベッドの上で体が跳ねるように上下させる。心臓がうるさい。手が震えてる。何度も失敗して、悔しい想いをして、それでもしがみついてきた一ヶ月半。その全部一気に押し寄せてくる。
自分でも驚くほど大きな声が出て、途端にむせ込むようにゴホゴホッ!と何度も繰り返すように咳き込む。胸の一部を裂けるような痛みが襲い、思わず右手胸を押さえて、前かがみに身体を丸める。
苦しい。息がうまく吸えない。それでも——
「……っ、はは……」
込み上げてくるものを、抑えきれなかった。痛みの中でも、笑いが零れる。曲を完成させたという高揚感から思わず笑みを零さずにはいられなかった。
喉の奥で、ヒュー、ヒューと掠れた音が鳴る。それでも、空いた左手で、小さくガッツポーズを取る。震える指先のまま、確かめるように。自分の左手を見つめる。
そのすぐ横で、ピー、ピー、と機械的な警告音が鳴り続けている。
(……また、無理しすぎたか)
きっとまた、心配をかけてしまう。わずかな罪悪感を抱きいていると、警告音を裂くように病室に例の看護師さんが入ってくる。
「——っ、大丈夫!?」
すぐに駆け寄ってきて、僕の状態を確認し、手際よく酸素マスクが当てられる。
「ゆっくり吐いて。長く、細く……そう」
促されるまま、息を吐く。肺にあるすべての空気を、絞り出すように吐き捨てる。
「……っ、は……ぁ……」
吐ききった、その瞬間。反動で冷たい酸素が、空っぽになった肺の隅々まで一気に流れ込んできた。
大きく肩を上下させ、乱れた呼吸を、少しずつ整えていく。やがて、身体の震えが落ち着くと、当然のように、その後数日は安静を言い渡されることになるのだった。当然のように、デバイスも没収されたが、それでも充足感だけはあった。
そして三日後。ようやく俺は、両親に完成した曲を送信することができた。
「曲、完成したよ!! 聞いてももらってもいい?」
短く打ち込んで、データを添付する。送信ボタンを押した瞬間、心が弾むのが分かった。すごいって、言ってくれるかな。頑張ったなって褒めてくれるかな。
そう、じっとしていられない感覚があって、何度も画面を確認してしまう。
けれど。画面の向こうは、静かなままだった。既読すらつかず、なんの反応も返ってこない。当然仕事中の可能性もあるから、すぐにすぐに見られるとは限らない。そう頭では分かっているのに、不安が押し寄せて来る。
やっぱり変だったかな?
勢いのまま送ってしまったことを、今さらになって思い返す。不安に押されるように、もう一度再生する。さっきまで「できた!!」と思っていたはずなのに、冷静になった耳には、どこか物足りなくも、粗くも聞こえてしまう。
……やっぱり、もう少し練ってから、聞いてもらおうかな。そう思って、送信を取り消そうかと画面を見直したところで、ピコンっという通知が来た。
「……っ」
反射的に端末を掴む。表示された名前に、息がわずかに止まる。父さんからだった。
『これ、本当に湊が作ったのか?』
一瞬、言葉の意味を測りかねる。驚きなのか、疑いなのか、それとも——。そう考えてつつも素直に答える。
『……うん。自分で作ったよ』
短く、できるだけいつも通りに返す。少しの間を置いて、今度はすぐに通知が鳴った。
『凄いじゃない湊、聞いたけど優しくていい曲ね!』
なんて、母さんが返信をくれる。その一文を読み終えた瞬間……
『……っ、はは……』
張りつめていたものが、ふっと緩む。さっきまで胸の奥に居座っていた不安が、嘘みたいにほどけていく。気づけば、口元がゆるんでいた。
『にしても二週間でこんな曲が作れるなんて。才能あるんじゃないか?』
『そうかな……』
思わず、頬が緩む。視線を落としながらも、口元だけは抑えきれない。やっぱり才能あるのかな~。そうにやけてしまう。
冷静になろうと、口を引き締めようとしても勝手に緩んでしまう。へへへ……。そう口元から笑みを零していると、父から続けてメッセージが届く。
『湊は、カノンさんに曲を作りたいんだよな。だとしたら、ネットにアップして認知されることも考えているのか?』
「……あっ」
思考が、そこで止まる。アップロード。その言葉が、遅れて頭の中で形になる。
——考えて、なかった。
カノンさんに歌ってもらいたい。その一心で曲を作り始めたはずなのに、気づけば、作ること自体に夢中になっていた。
「……でもそっか」
小さく呟いて、ひとつ頷く。自分の中だけで作っているだけじゃ、届くわけがない。当たり前のことなのに、今になってようやく腑に落ちる。
それに。誰かの背中を押したいなんて思っていたくせに、その"誰か"にすら、何一つ届いていなかった。
「……うわっ、俺……」
少しだけ、顔が熱くなる。さっきまで浮かれていた自分が、急に恥ずかしくなる。小さく息を吐いて、気持ちを整え、僕は画面に向き直った。
『もちろんアップするよ。……けど、方法が分かんないんだよね』
正直に続けると、すぐに母から返信が来る。
『なら、お父さんがやってあげたら?』
そう母さんが伝えてくれる。確かに、任せればすぐにできるだろう。でも——。自分の気持ちを整理し、言葉にしようと考えていると今度は父さんからメッセージが届いた。
『どうする湊。自分でやってみるか? それとも父さんがやってもいいのか?』
その一文を見て、自然と背筋が伸びる。頼ってもいいんだろう。それでも。これは、自分で決めたことだ。どこまでやれるのか、自分の力で試してみたい。だから、
『自分でやってみたいんだけど、いい?』
そう自分の意志を伝える。少しだけ指が震えたまま、送信した。すると、
『もちろんだ。やってみなさい』
『困ったら相談するのよ』
そうして、二人は静かに背中を押してくれる。こういう時に俺の意思を確かめるように言葉をくれる。その気遣いが、ありがたかった。
『ありがとう』
小さく礼を返すと、胸の奥にあった迷いが、すっと軽くなる。俺はデバイスを操作し、アップロード用のアカウント作成を進めていく。必要事項を入力していく中で——ふと、指が止まった。
「……あっ、名前決めないとだよな」
画面の空欄を見つめたまま、考え込む。流石に本名はマズいよな。じゃあ、白瀬から取って——siro?一瞬考えて、すぐに首を振る。
「……いや、単純すぎるだろ」
思わずくすっと笑いが漏れる。湊……水。aqua?いやいや商品を連想するだろう。単純にローマ字shirase?うーん、なんか違うよな。
自分の名前から近いイメージで、読み方も近い物……。そんなものを求めて、気づけば検索欄に指を走らせていた。そうして、三十分ほどたった頃、ふと、目に留まる言葉があった。
「……水無瀬」
画面に表示された文字を、ゆっくりと読み上げる。平安の頃から、歌に詠まれてきた地名。なにより、水無瀬川——その風景が気に入った。
巨岩の間を縫うように流れる清流。揺れる緑。静かな水の音。そこには、ホタルがふわりと舞い降りるよう、羽を休める場所だった。
「……いいな」
思わず、そう零れる。
「誰かの心に寄り添うような、そんな存在になれたら……」
小さく呟いて、ひとつ頷く。これにしようと。minaseそうローマ字で打ち込む。そして、少しだけ指を止めてから。
「……m1nase」
iを、1に変える。それは、ほんのささやかな願い。いつか、自分が“彼女にとっての一番”になれるように。その想いを、そっと忍ばせる。
設定を終え、最後の投稿画面を開く。あとは、このボタンを押すだけ。それだけなのに、指先がわずかに震える。
喉が乾く。心臓の音が、やけに大きく響いていた。本当に、これでいいのか。そんな不安が、一瞬だけよぎる。
それでも——
「……えいっ」
小さく息を吐いて、ボタンを押す。これが、俺の最初の一歩だった。




