第3話 周りにいる人の温かさ
「ん~~~」
軽く背筋を伸ばしながら、俺は未だに重たい頭をゆっくりと覚醒させていく。まだ寝ぼけたまま時計を見ると、時刻は既に13時になっていた。
(……そっか、5時間くらいは眠っていたのか)
ぼんやりとした頭で、そんなことを考える。少しずつ意識がはっきりしてくると、眠る前に言われた言葉を思い出した。
「目が覚めたら、まずナースコールを押してくださいね」
その言葉に従い、俺はナースコールのボタンを押した。数十秒ほどして、看護師さんが駆け付けてくれる。顔を上げると、そこにいたのは——さっき俺を窘めてくれた看護師さんだった。
悪いことをしたという自覚があるからだろう。思わず、少しだけ気まずい気持ちになる。なんて声を掛けようか、なんて考えてしまう。
そんな俺の不安な気持ちを感じ取ったのだろう、彼女はふっと表情を緩め、柔らかい笑みを浮かべる。
「ちゃんと呼んでくれたのね。ありがとう」
看護師さんはほっとしたように表情を緩めると、様子を確かめるように俺の身体に視線を向ける。
「……それで、体調はどう?」
肺炎も患っているからだろう、彼女の視線は自然と俺の胸元へ向けられている。俺はその様子を見ながら、彼女の方をまっすぐ見て答えた。
「寝起きで少し頭はぼーっとしてますけど、それ以外は元気です!」
そう言って手を上げてアピールすると——
「こら、はしゃがないの」
優しくたしなめられる。けれどその声には怒った様子はなく、口元には小さな笑みが浮かんでいた。その表情を見て、さっきまでの気まずさが少しだけ和らぐのを感じた。
それからは、眠る前と同じようにバイタルを確認される。ひと通り確認を終え、特に問題がないことが分かると——当然のように、次は担当医との話し合いへと移る。
最初は当然、看護師さんが話してくれたように、徹夜がいかに危険なことなのか説明される。今の俺の体は免疫力が大きく下がっていること。無理をすれば、最悪は治療そのものが出来なくなる可能性もあるとより詳しく説明される。
その表情は真剣で、俺を心配してくれているのが分かる。だからこそ、余計に余計に申し訳ない気持ちになる。
「……すみません」
思わず小さくそう呟くと、先生は少しだけ表情を和らげた。
「それで……どうして徹夜をしてしまったのかな?」
その言葉に、俺は少し迷いながらも、正直に話すことにした。
作曲をしていたこと。音楽を作るのが思った以上に楽しくて、気づいたら時間を忘れてしまっていたこと。そして、一番気になっている部分を尋ねることにする。
「もし可能なら、今後も……作曲をしてもいいでしょうか」
先生は俺のバイタルデータなどを確認し、少し難しい顔を作る。その顔はいつになく真剣だった。
(……もしかして、作曲できないのかな?)
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。それが気がかりで仕方なくて、思わず唇を強く結んだ。視界の奥がじんわりと滲んでくるのが分かる。
そんな不安げな様子に気づいたのだろう。バイタルデータから視線を戻した先生は、ふっと表情を和らげた。そして柔らかく笑うと、優しい声で口を告げる。
「もちろん、条件付きであれば認めますよ」
先生は俺の様子をじっと観察しながら続けた。
「条件は三つ。一つ目は、徹夜をしないこと。二つ目は、疲れを感じたらすぐに手を止めること。そして三つ目が、一時間に一度は立ち上がってストレッチをすること。……いいですか?」
「……はい」
そう答えはしたものの、俺は気がかりがあって、少し曖昧な声色で返事してしまう。それを感じ取ったのだろう、先生は俺の顔を見て、寄り添うように問いかけてくれた。
「何か、気になることでもあるのかな?」
「その……実は…………」
少し言い淀んでから、意を決して口を開く。
「僕、集中しすぎる傾向にあって……自分で止められるか、正直ちょっと自信がなくて……。やっぱり、ダメですか?」
縋るように先生を見つめる。すると先生は、ふっと柔らかく笑った。
「そういうことなら、こちらも見回りを増やすなどして、できるだけサポートしますよ」
そう言ってくれる。そして
「もちろん、他にも心配なことがあれば言ってください。出来る限り、こちらでフォローしますから」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていた不安が一気に弾けた。作曲していいんだ!!その事実が嬉しくて、思わず笑みが零れる。
気付けば俺は、勢いよく頭を下げていた。
「ありがとうございますっ」
思いきり頭を下げ、顔を上げる。すると先生は、本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。その様子に、ありがとうございます。ありがとうございます。と何度も心の中で繰り返した。
やがて先生が「それじゃあ、お大事に」といって病室を後にする。その背中が見えなくなるまで、俺は深く頭を下げて感謝するのだった。
お医者さんとの話し合いをして、ちょうど一時間くらい経った頃。当然のように、心配した両親が病院へ駆けつけてきた。
「どうしてこんな無茶をしたの?」
母さんは目に涙を浮かべながら問いかけてくる。その姿を見て、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
……本当に、まずいことをしたんだな。悲しそうなその姿に、思わず表情をゆがめる。なんて答えたらいいのか分からなくて、少し口ごもってしまう。
父さんはこんな僕のことをどう思っているんだろう。そう思って視線を向けると、父さんは俺のことをじっと真剣な目で見つめ、静かに口を開いた。
「何か理由でもあったのか?」
誰よりも落ち着いた声で、優しく問いかけてくれる。その言葉に戸惑いながら、俺はぽつりと理由をこぼした。
「実は……曲を作ってみたくなったんだ。それでソフトを触ってたら夢中になりすぎて……気づいたら、夜が明けてた」
申し訳なさに、思わず視線が下がる。もしかして両親からも嫌われてしまったかな……。そう胸が締め付けられるように気持ちを抱いていると。
「……そっか」
その声色は、どこか少しだけ嬉しそうに聞こえ、思わず俺は顔を上げる。そこには柔らかな笑みを浮かべている父の姿があった。そして父さんは、ゆっくりと確認するように口を開いた。
「それは楽しいの?」
そう尋ねられて、俺は一瞬だけ言葉に詰まる。俺は一瞬迷いながらも素直な気持ちを口にした。
「うん。すっごく楽しいよ。今まで聞いていた音、全部に意味があったんだなって思えるようになったし。何より、自分が奏でたい音を探して……そのピースが埋まった瞬間が、たまらなく最高なんだ」
つい作曲していた時のことを思い出して、夢中で語ってしまう。気付けば、両親が驚いたように俺を見つめ、その視線に、一瞬で我に返る。
怒られている最中だっていうのに、なに熱く語ってんだよ。はっとした俺は、慌てて口を閉じる。完全にやらかしたと、一人気まずい思いを抱きながら、反省をしていると。父さんが穏やかな声で告げる。
「そっか、楽しいんならいいんじゃないか?……もちろん、作曲していいかは、先生に確認は必要だけどな」
「えぇ、そうね。こんなに嬉しそうな湊は初めて見た気がするわ」
先程まで悲しげな表情をしていた母さんも、今は口元に優しい笑みを浮かべながら同意してくれる。
「一応先生には許可を貰ったよ。勿論条件付きだけど」
俺は二人の反応に驚きながらそう伝える。すると父さんは、嬉しそうに目を細めて口を開いた。
「そうか~……なら、必要な機材とかも買わないとなだなっ!」
その言葉を聞いた瞬間、思わず目を瞬かせる。怒られると思っていたのに、返ってきたのはそんな言葉だった。母さんも少し声を弾ませながら口を開く。
「そうですね。湊に必要な機材をかってあげないとですね」
なんて、父さんにつられるように嬉しそうに笑いながら言う。そんな二人の様子を見ていると、俺もつい笑ってしまった。
「気が早いよ、父さん。今のところはこのARデバイスで間に合っているから」
苦笑しつつ、そう伝えると。
「そうなのか?」
なんて、父さんは首を傾げながら不思議そうに言う。その様子がおかしくて、何より二人とも嬉しそうだからかな。気が緩んだ僕は思わず吹き出してしまった。
そんな僕につられるように、三人して笑い合う。明るい笑い声が、静かな病室の中に広がった。ひとしきり笑った後。僕は父さんの方を真っ直ぐ見つめながら口を開く。
「……もし、他の機材も必要になったら、お願いしてもいい?」
そう父さんの表情を窺いながら尋ねると、父さんは微笑みながら深く頷く。
「あぁ、もちろんだ」
その様子を見ていた母さんは、少しだけ嫉妬したように口をすぼめる。
「二人して母さんを置いてかない」
そうして、僕の方を優し気な瞳で見つめると、ふっと口元を緩めて口を開いた。
「もし必要なことがあったら、母さんにも相談しなさい」
そう優しく伝えてくれる。
「うん。ありがとう」
俺は深く頷いてお礼を告げる。その後は、両親とたわいもない話を続けた。どうして作曲に興味を持ったのか。昨日はどんなところで詰まって、どんな瞬間に上手くいったのか。
本当に些細なことばかりだった。でも、それをこうして誰かに話せることが、たまらなく嬉しかった。だから最後に、少しだけおねだりをする。
「また、二人と話したいんだけどいい?」
そう伝えると、二人とも優しげな笑みを浮かべた。
「もちろんだ。いつでも駆けつける」
「えぇ、もちろん。明日も様子を見に来るわね」
「ずるいぞ、母さん」
そんな風に言い合っている時間が、たまらなく嬉しかった。
——あぁ、本当に俺は愛されているんだな。そう実感すると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
今も楽しそうに話している二人の姿を見て思う。まずは、周りにいる人たちを大切にしようって。そう、心の底から思った。




