水無月、息を整えながら
六月は、気づくともうそこにいて、こちらの準備など待ってくれない月だった。月のはじめ、空は晴れとも曇りとも言えない不思議な顔をしていて、一斉テストの会場までの道順を調べながら洗濯機を回した。家事はいつも通りなのに、どこか気持ちだけが先走っている。久しぶりに届いた知人からのメールに、時間の流れの速さと、世間の狭さを同時に思い出す。連絡したい人はいるのに、今じゃない、と自分に言い聞かせた。
曇りの日が続き、子どもたちはそれぞれの課題やレポートに追われながら学校へ行く。成長していく背中を見て、えらいなと思い、同時に自分の子ども時代や、親がどんな気持ちでこちらを見ていたのかを考えてしまう。答えは出ない。ただ、人は忘れて、懐かしんで、また今を生きる。その繰り返しなのだろう。だから今日も、体を動かし、日記を書く。
雨が降ると頭が重くなり、晴れると少し楽になる。友人とのランチは私の楽しみの一つだった。壊れた換気扇は異音を立て、家の空気までどんよりさせる。早く直したい、換気したい。それはたぶん、気持ちの話でもある。
近所の神社へ行き、紫陽花を見た。面談を前に神社へ立ち寄るのは、気合いというより、自分を落ち着かせるためだ。いろいろあるけれど、頑張っている。だから支える。それだけは揺らがない。帰り道、自転車の鍵が壊れ、予定通りにいかないことに小さくため息をつく。
梅雨に入り、雨音とニュースと体調不良が重なる。家族の咳が長引き、病院に通い、こちらも腹痛で横になる。学校行事の保護者会で自己紹介をし、無事に終わったことにほっとする。何も起きていないようで、実はいろいろ起きている日々だ。
それでも、試験会場まで送ってあげられた。朝早く歩けた日があった。大きな虹を見上げた日があった。空にかかる虹は、理由も説明もなく、ただ「きれい」で、それで十分だった。
六月は、体も心も重くなりがちで、思うようにいかないことが多い。それでも、ラジオを聴き、コーヒーを飲み、小さな「ありがたい」を拾い集めていく。否定や愚痴だけで終わらせず、美味しいものを食べて、少し笑って、一日を過ごす。その積み重ねが今の私を支えている。




