23.本命。
ガチャッ! バンッ!
「失礼します! 状況は? 侵入者は⁇」
「えっ⁉︎ あっ……ザッ……」
気安く彼の名を呼びそうになり、私は慌てて自分の口を押さえた。扉を開けて室内に入って来たのは、朝の診察後に帰ったはずのザックスだった。レイ先生同様、屋敷の誰かから連絡が入り、急いでまた戻ってきたのだろう。息が少し上がっている。
「安心しろ。問題ない」
「大丈夫。妹はこの通り、無事だよ」
「そうか、よかった……」
二人の言葉を聞き、ザックスの強張っていた表情が緩み、ほっと安堵の色が浮かんだ。すると彼は、私の方にその顔を向け、にこりと柔らかく微笑んできた。
ドキッ!
彼の美しい瞳と私の視線が交差し、小さな心臓が高鳴る。だが……これはどうやら私だけの反応じゃないようだ。セレスティーナ嬢の身体も落ち着かないのか、両指先がモジモジとしきりに動いている。あら、もしかして照れているのかしら?
するとザックスが、私の横に座るレイ先生の近くへと寄り、彼女にそっと耳打ちをする。
「義姉さん、ちょっと」
「ん? なんだ? ……うん……うん? うん!」
彼の言葉に頷きながら、彼女の白磁器のような頬が次第に赤らんでいく。そして、聞き終えたのと同時に、レイ先生はソファから勢いよく立ち上がった!
「わ、わ、私はちょっと急用が出来た! すまんな、ヴォレーク、ザックス。後は頼んだぞ!」
「分かった。そっちも色々と大変だろうから頑張れよ、レイ」
「義姉さん、いってらっしゃい」
「ターニャ、そいつから情報を全部、絞り取ってくれ。おい、お前! 素直に吐けば、情状酌量を考えんでも無い、わかったな!」
「承知致しました」
「は、はい!」
「いいか? もし今後、何か行動を起こすとして……皆、無茶だけはするなよ! セレナもな!」
「ひゃい!」
急に名前を呼ばれ、声が裏返ってしまったわ。恥ずかしい。
バタンッ!
この場の全員へ、釘を刺すように捲し立ててから、レイ先生はパタパタと部屋から慌ただしく出て行った。冷静沈着なイメージの彼女にしては珍しい行動。でも、なんだかすごく嬉しそうに見えたけど、一体、何のご用事かしら?
そんなことを考えながら、閉まった扉を眺めていると……なにやら視線を感じ、ふっと振り向く。
「あ……」
「ん?」
レイ先生が座っていた私の左隣、ザックスが彼女と入れ替わるようにそこへ腰掛けていた。そして、真横という至近距離から、私を愛おしそうに見つめてくる。昔と変わらない、その優しい眼差しを向けられ……今朝の会話をパッと思い出す。
「‼︎」
回想で自分の顔が赤くなるのを感じ、その恥ずかしさから、ザックスとは真反対方向に思わずぷいっと顔を背けてしまった。
うぅっ……いくらなんでも、失礼な態度だったわよね、でも……なんだか甘い雰囲気を漂わせてくるザックスを直視できないわ!
私が一人で戸惑っていると、頭上からヴォレーク様の溢す声が降ってきた。
「レイは今、セレナの手術準備と並行して、自分の式の段取りで忙しいからなぁ……」
「式?」
彼を見上げながら、思わず聞き返す。
「結婚式だよ。俺のせいで予定がだいぶ遅れたからな。これ以上、待たせるわけにはいかない」
「え……」
………………
ふいに聞かされた彼の言葉に……一瞬、理解が出来なかった。
け……結婚……式?
それは……もしかしなくても、レイ先生と……ヴォレーク様の……?
え、えっと……あれ?
じゃあ……貴方の婚約者であるはずの私って……?
脳内でゆっくり反芻することで、ようやく思考が追い付いてくる。それとは反比例するように、精神はグラグラと大きく揺さぶられた。
座っていてよかったわ……立っていたら、きっと膝から床に崩れ落ちていただろう。まだ、目の前がぐにゃぐにゃと歪んで見える。
「『セレナには、結婚指輪を運ぶリングガールをお願いしよう』って……レイが楽しみにしていたぞ? 無事に手術が終わったら、参列用のドレスを仕立てないとな」
「え、えぇ……そ……そうね……」
自分の顔が引き攣っているのが、鏡を見なくても、顔面の皮膚感覚で分かる。上手く笑えない。貴族令嬢として、腹の内を表に出さぬようマナー講義は受けてきたのに……いざ実践となると、まるで思うように制御が効かない。
ヴォレーク様に心臓を串刺しにされたことは、ザックスのお陰で、百歩譲って、まだどうにか心に折り合いをつけられた。『何か、やむを得ない理由があったんじゃないか?』と。
だが、今度ばかりは……もう無理だ。結婚式を目前に控え、幸せそうな本命女性の顔を見て……堂々と婚約者面していられるほど、私は図太くない。
セレスティーナ嬢の手術が無事に終われば、ヴォレーク様にとっての懸念事項が消える。そうなれば、学生時代からの想い人、レイ先生との結婚が叶うだろう。相思相愛、お似合いな麗しい二人は、皆から祝福され……邪魔者な私は……。
ポタッ……ポタ、ポタッ……
「セ、セレナ? どうした⁉︎」
「え? あ……ちょっと……目にゴミが……」
我ながら下手くそな嘘をつき、両目から流れ落ちる涙を手の甲で拭う。
もう、怒りの感情は通り過ぎ……悲しみと虚しさが心の大部分を占めていた。
もし……元の身体に戻れたなら……その時は、笑顔でお二人のご結婚を祝福しよう。好きな人の幸せを心から願い、私は『役割』としての婚約者の座を、喜んで手放そう。
だから……今だけは……ほんの少しばかり、失恋の悲しみに浸っていても許されるだろうか?
ちゃんと……ヴォレーク様のことを諦めるから……。
「ライ……セレスティーナ様……」
「あ、ありがとう……ございます」
ザックスが心配そうに差し出してくれたハンカチを両手で受け取り、そっと目元を押さえた。優しく涙を拭き取り、それを右手が握り締めると……突如、左手が勝手に動き出し、ヴォレーク様の頬を渾身の力でつねりあげた!
ガッ! むぎゅーーーーっ!
「いてっ!」
「⁉︎」
目の前で起きた予想外の事態に驚き、私の涙がピタリと止まった……いや……違う。彼女が涙を止めたのだ。
私の身体は、ひらりと兄上の膝から降りると、空いていた一人掛けソファへと移動する。そこにどさっと腰掛けて、足を組み、頬杖をついた。
もう私の意思からは離れた行動……いつの間にか、四肢の自由をセレスティーナ嬢自身が完全に取り戻したのだった。




