2.美しき魔法陣。
キュッ!
私の背後で、侍女のユノが手早くコルセットの紐を締め上げる。
寝起き用の洗顔桶を運んできた彼女には詳しい事情を伝えずに、朝の支度としてコルセットだけをお願いした。こればかりは、自分一人じゃ着用不可能だし、着けなければ私の持っている腰の細いドレス達が残念ながら一着も入らない。
「ライザお嬢様、本当にここまででよろしいんですか?」
「えぇ、結構よ。ありがとう。ねぇユノ。このコルセットって、金具は使われているのかしら?」
「いえ、このタイプのボーンに使用されているのは鯨髭、ホックは象牙ですね。なぜ、そのようなご質問を?」
「え? あ、ちょ、ちょっと気になったのよ。ほら、ここ! 綺麗なウエストラインだから、凄いなぁって……ね」
慌てて腰を指差し誤魔化す私を、不審そうな目で彼女がジロリと見つめる。
「でも、お嬢様……髪は? お化粧は?」
「えっと……じ、自分でやってみたい気分なのよ〜〜」
「ええっ⁉︎ ご自分で⁉︎ 超絶不器用なのにーー⁉︎」
「い、いいから! 本当に大丈夫だから! ありがと、ありがと! うん、じゃあね!」
「え? ちょ、ちょっとお嬢様〜〜⁉︎」
不思議そうに首を傾げるユノの背中をぐいぐい押し、私は強引に彼女を部屋から退室させた。
バタンッ!
「ふーーっ……金属不可に他言無用……よし、クリアだわ」
そう呟いてから、今度は壁際にあるクローゼットの扉を勢いよく両手で開け放ったのだった。
◇◇◇◇
「よし! やっぱりこれかな?」
ようやく決まった、今日の勝負服は……控えめなリボンの飾りが付いたシンプルなアイスブルーのドレス。ヴォレーク様の瞳の色とリンクしている、お気に入りの一着。手紙にあった条件にもバッチリよ!
ベッド上で山積みのドレスは、とりあえずそのままに……。
「で、次は……」
カサッ……
手紙の中、幾重にも折り畳まれ同封されていた大判の紙を、そっと広げる。そこに描かれていたのは、藍色が美しい転移魔法陣……円の直径は、人間一人が乗るのにぴったりなサイズだ。
「今日の鳩さんが随分ふくよかだったのは、これが分厚いからなのね」
広げた紙をそっと絨毯の上に置き、真上からじっと覗き込むが……うぐっ、読めない!
「魔石の時みたいに、魔法陣の……この中央に立てばいいのかしら?」
ヴォレーク様が作って下さった陣を踏み付けるのは少々憚られたが……『ふんっ』と気合を入れ、室内靴を脱いだ私は、恐々に一歩を踏み出し、魔法陣の紙上に降り立った。
とんっ!
魔法陣の錬成は貴族学院で一応は習った、が……ゔぅっ! 苦手中の苦手な授業。まずは全術式を片っ端から丸暗記し、それを組み合わせて陣を構成、展開させる。だが、宛先を間違えると手紙が届かないのと同様、一文字でも書き損じたら術は発動しないか、暴発するかの二者択一。
ユノの言う通り、ガサツで大雑把な私はこの授業、見事に赤点だった。由緒正しきフレイブ伯爵家の令嬢といえど人間……いくら努力しても、もはや何が分からないのかが分からない。記憶力はけして悪くないとは思うのだが、勉強となるとなかなか本領発揮が難しい。
そんな私だ、学院で基礎魔法陣以外を発動させることは叶わなかった。
それがまさか、ヴォレーク様が錬成した素晴らしい魔法陣をこの目で拝め、触れることができるなんて……あぁ、やっぱり日頃の行いが良いのかしらね、私。
いつもの手紙に同封されていた魔石用の転送魔法陣は、便箋サイズ。テーブル上で紙を広げ、魔法陣の中央に魔石を置くと、ふわりと二重の陣が紙から剥がれるように浮かび上がる。それが、内輪と外輪に分かれて交差し、双方が真逆の回転を開始する。一定の回転数に達した瞬間、藍色の閃光に包まれた魔石は、高エネルギー反応の衝突に伴い目の前から消失する……そうして、転送が完了となる仕組みだ。テーブル上に残るのは白い紙ただ一枚。
物体が目の前から消え失せる刹那、小さな花火が弾けるように、細かな魔力の粒子がキラキラと周囲に輝き散っていく幻想的な光景……それがまるで、彼からの贈り物のように思えて、私はいつもドキドキした。
「ふふっ……あっ!」
そんなことを回想していると、フワッと足元の紙から魔法陣が浮き上がる。
転移・転送魔法陣の発動条件は、中央に置かれたモノ自体がもつ魔力が、術式に記載された四大元素に適合、かつ動力源として十分量に達しているか……どうやら、私に合わせて調整して下さったようだ。流石はヴォレーク様!
光のリングがゆっくりと回転を始め、やがて私の全身を包み込むように、眩い光を放ち……そして……
パチンッ!
こうして弾ける音と共に、私は自室から忽然と姿を消したのだった。
床に真っ白な大判の紙を一枚だけ残して……。
ライザ・フレイブ嬢……完全に失踪ですね。




