18.腕の中。
「なぁんてのは……冗談だ」
「へ?」
「⁇」
そう言いながら、ヴォレーク様は構えた杖を、人差し指を軽く動かす程度にクイッと下げた。これから演奏会を開始する指揮者のような優美な動き。
そう、彼は……この場の支配者だ。
ぽよんっ!
「「⁉︎」」
次の瞬間、アグウィの頭全体が、降り落ちてきた厚めの水膜ですっぽり覆われた!
自分の身に一体何が起こったか一番分かっていないのは、くらった当事者だろう。目が点になっている彼の顔が、私の瞳に映る。
空気中の水分を結集し、私達の頭上、天井近くにぷよぷよんと浮遊停止させていたのか? 下を向いていたから全く気づかなかったわ。注意を惹きつけ、油断させ、少量の水で口と鼻を塞ぐ……鮮やかな手口。ヴォレーク様、戦いに慣れている?
でも……さっきのあれ……油断させる為の台詞……だったの? 本当? 彼が言うとジョークに聞こえないっていうか……目が本気だったわよ? 100%本心じゃないの? だけど絶対、もう既に本人に宣言して、鬱陶しがられ済みなんじゃない?
「ごぼがぼがばっ!」
酸素経路を遮断されたアグウィは、見る見る間に蒼褪め、その顔が苦痛に歪んだ。少量の水でも、間違いなく溺れている。
どすんっ!
「きゃっ!」
彼の両手が、どうにか水膜を外そうとバタバタ踠く! そのお陰で、私はその腕から解放されて、尻餅をついた。あいたたた……。
「がごっががっ!」
何度掻き分けても、意思を持ったように手をすり抜けては再度くっつく粘性な水を、まるで掴むことができないアグウィ。
「ぐっ!」
ポケットに一度手を突っ込み、その手を今度はズボッと水膜に差し込む!
水中に散らばせたのは……黒い無数の丸玉……さっきの蔦に水を吸わせる気か、なるほど! 豆蒔きのアグウィ!
だが、彼の目論見虚しく、種子は発芽しなかった。ヴォレーク様の水魔法、他属性への耐性が掛けられているのか、容易くは破らせてくれないようだ。
ぐるん! どさっ!
「‼︎」
そしてとうとう、白眼を剥いて、彼はその場に卒倒してしまった。
ターゲットが気絶したことで、顔面から速やかに水がはけていく。動きが低級モンスターのスライムみたい。そして、それはザバーーッとただの液体へと還るのだが……場所が悪い。仰向けに倒れたアグウィのズボンの上だったせいで、彼の下半身がビショビショになってしまった。ちょっと恥ずかしい地図が出来ている。
だが……その身体がピクリとも動かない。
………………
えっ、? う、嘘でしょ、アグウィ⁉︎
「ふふうぅーー!」
思わず私はズリズリとイモムシのように移動して、彼の胸に耳をビタッとくっつける!
………………
トクン、トクン、トクン……
聞こえてくる規則的な彼の鼓動で、私の縮み上がった全身がふっと緩んだ。
あぁ、良かった……意識を失っているだけね。アグウィには聞きたいことがいっぱいある。
未遂に終わったが、この優しい青年が、なぜ誘拐なんていう犯罪に手を染めなければならなかったのか?
眠る彼の顔をじっと見つめていると、突如、後ろから名前を呼ばれた。
「セレナ!」
「‼︎」
アグウィの身体に寄りかかったまま、首だけグリッと声の方向へ動かすと、そこには泣き出しそうな顔のヴォレーク様が立っていた。
そしてすぐに私の元へと近寄り、蹲んで片膝をつく。
そっと伸びた彼の手が、私を縛る蔦に微かに触れた。
パキパキパキパキーーンッ!
一瞬でそれらを凍らせ、木っ端微塵にする。対象のみを狙い、私の肌は全く傷ついていない。コントロール能力が桁違いだ。私なんて足元にも及ばない……というか、比べること自体、烏滸がましいわね。
ようやく解放された部位を動かしてから、私はぺこりと彼に頭を下げた。
「あ、ありがとう……お兄様」
「まだ怒っているのか?」
「……」
『えぇ、ライザは串刺しにされたこと、間違いなく、まだ怒ってますよ』……なんて言えるわけがない。彼になんと返すのが正解かわからず、私は……小さく首を横に振った。
セレスティーナ嬢は、助けてくれた兄を無視するような狭量なお嬢様ではないだろう……たぶん。
すると、『待て』から『よし!』を貰った忠犬のように、彼は満面の笑みで、私を優しく持ち上げ抱き締めた。
「セレナ〜〜!」
「きゃっ!」
その手が……微かに震えているように感じた。愛おしい宝物が壊れてしまわないように……失いたくないと縋るように……。
「……」
またこの腕の中に抱かれるとは、思ってもいなかった。ザックスが言うように、元の身体へと戻り、目覚めて、次にヴォレーク様と会った時……私は一体どんな顔をすればいいのだろう?
もしも、いつもの貴公子然とした仮面の彼だったら……私はもう、ヴォレーク様を受け入れることが出来そうにない。妹へと向ける無邪気な顔が、彼の本来の姿だと知ってしまったから……。心を下さらない旦那様と、共に歩んで行く未来が私には見えない。
そんな私の心情など知る由もない彼は、抱っこをしたまま問い掛けてきた。
「その……セレナ……何でこの男にくっついていたんだ?」
「え? えっと……死んでしまったのではないかと、焦りまして……」
「もし、仮に正当防衛だったとしても……人殺しだけは、誓って絶対にしない。二度と、陽の下で笑えなくなってしまいそうだからな……俺には大切な存在がいる。そんな身近な者達を悲しませるようなことはしないさ」
そう言うとヴォレーク様は、軽く杖を動かして、眠ったままなアグウィの身体を浮かび上がらせ、地面で待つターニャの元へと放り投げた。
ブンッ!
放物線を描いて落下するアグウィの身体を見送りながら、頭の一部がなんだか痺れているような感覚に気づいた。
『人殺しはしない』……つまり、心臓を串刺しにされた身体は生きている。でも、婚約者である私の心は……傷つき、ひどく悲しんでいる。
私は、貴方の身近な存在にはなり得ない……そう、受け取ってよろしいでしょうか?




