13.友人として……。
驚きのあまり、私の両眼から流れ落ちていた涙がピタリと止まった……というより、むしろ引っ込んだ⁉︎
「え、え、えっ?」
眼前には、憂いを帯びた表情のザックス様が私の小さな手を取ったまま、じぃっと真正面から見つめてくる。
奥底に何かを隠しながらも偏光に煌めく瞳……その深くに思わず吸い込まれてしまいそうで……目が離せずに……私の思考がうまく働かない。
「あ、え、あ、う、えっと……」
「何? どうしたの? ライザ」
ドクンッ!
名前を呼ばれ、私の心臓が大きく飛び跳ねる!
い、今まで……ザックス様から『可愛い』と言われたことはあったけど、『愛しい』だなんて言われたことない! まして、こんな面と向かって……婚約中の時だって、そんなこと一言も……。
ふっと、封印していた記憶の蓋が開き、洪水のように思い出が脳内で渦を巻く。
記憶の中……いつも私の傍には彼がいた。幼い私にアレやコレやと世話を焼き、頭を撫で、可愛がってくれた。『ジャックリーしゃま』と呼ぶ私に微笑みを返し、手を繋ぎ、実の兄上よりも兄らしく、なんでも先回りしてはドロドロに甘やかして……って、あれ? 私が超絶不器用なのって、なんでも彼にやってきてもらっちゃったから? いつの間にかダメ人間にされてたってこと? いやいや、それは今、置いといて……。
「……」
ザックス様と触れる手を見つめ……頭の中で悪魔が囁く。『この手を取ってしまえ』と……もし、それができたら、どんなに楽だろう。
「わ、私は……私の心は……」
『ライザ……』
瞬間、ふっと……頭に思い浮かんだのは……現婚約者、ヴォレーク様の姿だった。
………………
私は……馬鹿なのだろうか?
搾取され、利用され、それでも……まだヴォレーク様を信じたい自分がいる。
私の心臓を突き刺したことに、何か『理由』があるのなら、私は本人の口からそれを聞きたい。
だって……私はまだ生きている!
「……」
すっと、ザックス様の手の上から自分の手を引き、私は静かに立ち上がった。
「ライザ?」
「わ、私は……扱われ方はともかく、婚約者のいる身。疑わしき行動は慎む、それは伯爵令嬢としての最低限の行儀です。あ、あの…… ごめんなさい。私は……貴方を想い続けることがつらくて……次の恋に進んでしまったから……」
兄のように慕い……でも、依存的に寄り掛かってしまった元婚約者に向かって、深々と頭を下げて謝罪する。
ザックス様は私をずっと想い続けてくれていたのに、私は彼を過去の存在にした。
そして、幼い日々の懐想で気づいてしまった。失った恋心は、親鳥の後ろを追う雛鳥のような『家族愛』のそれに近しいと……。
「ライザ……」
「そ、それに……このままだと、セレスティーナ嬢に向けてザックス先生が愛を囁いているような状況でして……」
「あぁ、たしかに……」
私の言葉に納得したのか、彼も立ち上がり、私の頭をポンポンッと撫でた。
「すまない。困らせるつもりはないんだ……ただ、先程の話を聞いて、大切なライザのことが心配で……医師として、友人として……君を案じることは、そんなにいけないことかい?」
「そ、それは……え? ゆ、友人ですか? ザックス様……」
「あぁ。友なら気兼ねなく、『ザックス』と呼んでくれ。ライザ」
「……ザ、ザックス」
勢いに押されて、思わず言う通りに彼の名を呼び捨ててしまった。
「それに……ライザとヴォレーク殿は、公には発表されていない薄氷の婚約だ。どうとでも、白紙に出来る」
突然、ザックスが思いもしないことを言い出す。
「え? でも、王命による政略結婚ですよ?」
「現王家は傀儡政権だ。立て続けのスキャンダルと王の退位で、第二王子が即位した。中枢を支配するのは、公爵家を中心とした上級貴族達」
「あぁ、そういえば……」
数年前、第一王子が成り上がりの子爵令嬢に唆されて、婚約者の侯爵令嬢を迷宮送りにした。
ここネルトワーグには死刑制度がない。代わりに、『迷宮刑』が科せられる。軽微な罪から、大罪までが全部年数と迷宮ランクで振り分けられるのだが、その侯爵令嬢はたしか『懲役100年』を言い渡された。重罪犯は、未踏破の迷宮に送られるのだが……それが、実は冤罪だったと後に判明した。
この侯爵令嬢の凄いところは、その牢獄迷宮を自ら攻略して、自身の潔白を証明したのだ。
今は、その迷宮を含む領地を与えられ、幸せに暮らしていると風の噂に聞く。
そして、第一王子自身が迷宮送りとなり、第二継承権のある第一王女に皇位が移る……はずだったのだが、彼女は突然、他国へと嫁いだ。下賜されたそうだが、それがどの国かも公にはされていない、非常に不可解な婚姻だ。
立て続けなスキャンダルから間も無く、体調を崩したという名目で王が退位し、幼い第二王子が国王陛下となられたのだ。
こうして、上級貴族達がこのネルトワーグの政治を回しているのだが……これが面白いことに、王宮内が腐敗するどころか、清廉になったというから、なんとも皮肉な話だ。
「力無き王命は容易く覆せる。セレスティーナ嬢が回復し、ライザも無事に身体に戻れたら、フレイブ伯爵家はグラシース侯爵家と縁を繋いでおく理由が無くなるんだよ」
………………
なにやらキラキラとした表情でザックスが語っているのだが……えっと……それは、つまり……『お前を諦めないぞ』的なことを私に言いたいのだろうか?
「あ、あのぉ……」
「さて、あまり長いと侍女が怪しむから、診察はここまでにしよう」
そう言って、ザックスはニコッと微笑んだのだが……困惑する私の瞳には、それが狂気を孕む笑みに映ったのだった。




