拾得物報告書 第17号 財布
十月の終わり、夕方の駅構内は帰宅客であふれていた。ざわめきとアナウンスが交錯するその片隅──改札脇のガラス張りの一室、「新汐野駅落とし物取扱所」は、外の喧噪と切り離されたように静かだった。
俺はここで日々、届けられる忘れ物を記録し、持ち主へ返す仕事をしている。傘、定期、スマホ、財布。駅という場所がある限り、誰かが何かを落とすことはなくならない。
十八時を少し回った頃、年配の女性が財布を届けてきた。拾ったのはホームのベンチらしい。中には三万円ほどの現金と定期券、数枚のカード、そしてマイナンバーカード。カード類の名前は一致しており、怪しい点は何ひとつない。
いつも通り記録を取り、棚に収めたとき、俺は今日も平穏に終わるだろうと思っていた。
……そのときまでは。
二十一時前、窓口の前にスーツ姿の男性が現れた。マイナンバーカードの顔写真とそっくりな人物だ。
「すみません、財布を落としたかもしれません」
俺は記録を確認し、名前と生年月日を尋ねる。答えは一致している。受け渡しの署名を頼もうとした瞬間、背後から声がした。
「財布を探しているのですが」
振り返った俺は、思わず言葉を失った。
そこに、まったく同じ男が立っていたのだ。スーツも髪型も声も、寸分違わず同じ。鏡写しを見ているような光景だった。
冷静を装い、俺は一人ずつ順番に質問をすることにした。
氏名、生年月日、勤務先、通勤経路。どの質問にも二人は一言一句違わぬ答えを返してくる。筆跡も同じ、カードも本物。どちらが偽物かなど判断のしようがなかった。
――テレビのドッキリ番組じゃあるまいし。
そんな考えがよぎり、俺は一度席を外して構内を見回した。柱の陰も改札上も、カメラの影は見当たらない。誰もこちらを見ていない。
戻った俺は、二人に向かって告げた。
「これ以上主張を続けるなら、業務妨害で警察を呼ぶことになりますが、よろしいですか?」
二人は表情ひとつ変えず、同じ口調で言った。
「本当に自分のものです。」
十分、二十分と時間が過ぎる。背中を冷たい汗が伝う。二人が同じタイミングで髪を耳にかけた瞬間、背筋が凍った。
最終的に、俺は「先に名乗り出た方」に財布を返した。これ以上は自分の手に余ると判断したからだ。
受け取った男は軽く頭を下げて去り、もう一人は無言で人混みに消えた。
……それから数日間、妙な違和感がまとわりついた。通勤電車で見た他人の顔があの二人のどちらかに見え、ガラスに映る自分が別人のように感じられる。
そして一週間後の夜、奇妙な連絡が入った。
同一路線の高月台駅に勤める同期の山口から、「あなた名義の財布が届けられている」というのだ。
勤務後、確認のため高月台駅へ向かった。
対応してくれたのは山口本人だった。
「……なあ、これ、どういうことだ?」
カウンターの上に、見覚えのある財布が二つ並んでいた。
山口は一方の財布を開く。中には小銭、カード類……そしてマイナンバーカード。俺の名前、俺の顔写真、そして番号──間違いなく俺のものだ。
続けて山口は神妙な面持ちで、もう一方の財布も開ける。その中身もまったく同じ。カード番号も、マイナンバーも。
試しにスマホのマイナポータルアプリで読み取ってみた。
……どちらのカードも、問題なく認証される。
パスワードも、照会結果も、履歴も、まったく同じだ。
ふと、キャッシュレス生活に慣れて札をほとんど持ち歩かなくなっていたのが、かえって幸いだったのかもしれない──そんな場違いな考えが頭をよぎった。もし同じ番号の紙幣まで出てきたら、その時点で即、警察沙汰だ。
「……なあ。なんで、同じカードが二枚あるんだ?」
山口が顔をしかめる。
俺は複雑な顔でカバンを開け、中を確かめた。
そこにも、まったく同じ財布が入っていた。
……そうだ、そもそも俺は財布を落としてなどいないのだ。
カウンターに並べると、三つとも同じ型、同じ色、同じ擦れ跡。中身まで、寸分違わず同じだった。
「どういうことだ?」
「……俺に聞かれても、知らんよ」
結局、山口と相談し、その二つの財布は「遺失主未判明物」として処理されることになった。
――後日聞いた話では、あの二つの財布は今も「誰のものでもないまま」、保管庫の奥で静かに並んでいるという。
俺は翌日マイナンバーカードを作り直した。
気に入っていただけたら評価いただけると今後の励みになります。よろしくお願いいたします




