おろち
困ったやつが来てしまった
今、目の前で胡座をかいて、腕を組んでいる。
「さぁ、姫を出されよ!」
「いや、道理がござらん。」
「何を申す。大人しく姫をこちらに渡せば、それ以上何も申さぬし暴れもしない。」
「⋯はぁ~~~」儂は大きくため息を吐いた。
こいつ暴れると台風並みに気象を操るし、雷落とすし⋯
「貴殿、京からの客人を前に失礼であろう!」
「しかしですな...」
「しかしもカカシもござらん!」
困った。本当に困った。
いきなりやって来た人物に自分の妻をほいほい会わせることができるものか。
「いや、姫は儂の妻でしてな。」
「またそのような嘘を。姫はそなた達に監禁されているのであろう?」
誰だこの脳筋にデマを吹き込んだやつは。
「そもそも、貴殿は代理人であろう? 知っておるのだ。8つの頭を持つ大蛇、八岐大蛇が後に控えておる事を。」
いや、何処の話なんだろうか?
儂は呪と治水技術を持つ職人であって、越の国から請われて保知石にやってきた。呪というのは言霊の掛け合わせで強力な強制力を持たせることができる技術である。
呪と治水はうまく機能していて、里は豊かになり 今は百姓頭も任されている。
足名椎命と手名椎命が大声を聞いて客間にやって来た。
「何の騒ぎかね?」
「ああ、お義父さん お義母さん なんでもないのです。」
「なにもないことはござらん。さぁ、櫛名田比売をここへ!」
足名椎命と手名椎命が顔を見合わせる。
「何かね?娘がどうかしたのかね?」
「おお、そなた方が櫛名田比売のご両親であらせられるか。」
「やつがれは ヤマタノオロチに監禁されている櫛名田比売を救出に参った。須佐之男命と申す。」
「ヤマタノオロチ?」「監禁?」足名椎命と手名椎命が顔を見合わせる。
足名椎命が言う。「儂らの娘の櫛名田比売はこの方の嫁であるが?」
「えっ!」須佐之男命が絶句した。
儂は「姫と子どもたちを呼んで参れ」と近習のものに告げ、ゆっくり話を始めた。
「肥河には8つの支流がござるが、流域のどこにも八岐大蛇などおるとは聞いたことはない。」
「儂は越国から請われてやって来て肥河の治水をする技術者であって八岐大蛇の代理人ではない。」
「治水はうまくいき、財を築けたので 足名椎命と手名椎命の娘である櫛名田比売を貰い受けた。」
「子宝にも恵まれて肥河の8つの支流の治水を任せている8人の子供もおる。」
須佐之男命は固まったまま、目を見開いたまま聞いている。
そこに 櫛名田比売と子供たちが入ってきた。
「嫁の櫛名田でございます。」
「長子の馬木でございます。」
「二子の三刀でございます。」
「三子の阿嘉でございます。」
「四子の安威でございます。」
︙
嫁と8人の子供たちが名乗った。
「こ、これは・・・」須佐之男命は言葉を振り絞った。
「何処の誰からその話を聞いて貴殿は参ったのかな。」
「大国でござる。」
儂は天を仰いだ。またあいつか。
根の国から勤勉な八十人もの職人がやって来て研修を兼ねて治水事業を手伝ってくださったが
その中でも大国だけは何ヶ月も遅れてふらふらやって来て。
遅れた理由は白ウサギに嘘を吹き込んで和邇に襲わせたせいだし。
来たら来たで何もしないし。
職人たちは技術習得が終わり帰っていったのに、未だに杵築でぐうたら過ごしているらしい。
何もしないくせに言だけはやたらと達者で
三瓶山と大山に綱をかけて越の国から土地をぶんどってきただの、韓の国からぶんどってきただのと
ありもしない荒唐無稽な言で民衆を惑わすし。
お陰で儂は越の国と韓の国に出向いて申し開きをさせられて⋯
思い出すとだんだん腹が立ってきた。
そして、今度は越から来た儂のことを「八岐大蛇」扱いかい。
「どうやら貴殿は騙されたようであるな。」
「面目もない。」須佐之男命はうなだれた。
「この期に及んでは 申し訳もござらん。 せめて大国の頭に雷を落としてご覧にいれる!」
「あ、いやいや...」儂は須佐之男命の言を遮った。いい考えが浮かんだのである。
「大国のことは、儂に任されよ。その代わり貴殿は雷が使えるなら、この地の山にじゃんじゃんと鳴らして頂きたい。」
「それだけでよいのか?許して頂けるのか?」
「貴殿も悪気なく騙された方であり、もう誤解も解けたであろう。これ以上は申さぬ。」
「ありがたい。」
雷は放電現象であり、空中の窒素を固定してくれる。
固定された窒素は肥料となり土壌を豊かにして作物を育ててくれる。
実のところ神社の紙垂というギザギザの白い紙は雷の意匠で
綱を引いて鐘をガラガラと鳴らすのは 雷を鳴らして窒素固定をする行為、つまり豊作を祈っているのである。
山の民の製鉄事業は大事な産業であるが、鉄穴流しで出てくる土砂で下流は洪水になり大変だった。
しかし治水事業でそれも落ち着く目処がついた。
下流に流れてくる土砂の窒素が増えれば肥料が自然と追加されるようなものだ。
作物がよく育ち、それは素晴らしい話である。今後の出雲の豊作は保証されたも同然になった。
須佐之男命は一本気な脳筋ではあるが こうなると百人力の男である。
真面目にじゃんじゃんと雷を鳴らすであろう。
儂は杵築の大国に手紙を書いた。
「この度の須佐之男命の件で伺いたいことがある。」
何度か文を飛ばしたが 届けに行った者共は籠絡されて帰ってこない。
仕方ないので こうも書いて送った。
「貴殿の杵築の社の鍵は今後儂が管理する。申し開きあれば申せ。」
届けに行った者共はまたも籠絡されて帰ってこない。
本当に人心掌握に関しては長けた人物である。
忠告通り、杵築の社の鍵は取り上げて知乃社で管理させた。
知乃社の「知」には鍵という意味と知恵という意味がある。二つの意味をかけて儂が建てた。
杵築の鍵を取り上げ管理をするのに強力な呪を掛けたのである。
今後は杵築の社は何をするにも知乃社まで鍵を取りに来ないといけなくなった。
ずっと兵糧攻めに遭っているようなものである。
事あるごとに呪避けの行列を立て、鍵を受け取りに来ているが
なんやかんや言いがかりをつけて すぐに鍵を渡さないように命じておいた。
儂は更に杵築の大国に手紙を書いた。
「このまま貴殿の社を頂くことにするが、いかがか?」
追い詰められ困った大国が やっと文を返してきた。
その文には 私は歳を取ったので判断できかねる。息子の事代に訊ねるよう綴ってあった。
大国の長子の事代は、社の鍵を取られたあたりでもう観念しているようである。
しかし
弟の御名方は徹底抗戦するつもりらしい。もうすでに詰んでいるにも関わらず。
戦うまでもなく、大国は根の国へつまり自分の故郷への退去。事代に杵築の社を管理させることとさせた。
御名方は少数の供とともに、諏訪大社で厄介になることになったらしい。
あそこは自然神を祀っているのに全然流派の違う御名方が行ったからこれからは大変である。
大国も片付けてこれでやっと落ち着いて暮らすことができる。
遠くでゴロゴロと雷が聞こえてくる。
須佐之男命は真面目に雷を鳴らしていているようだ。