36
唇と唇はすぐに離れた。
あたしは魔法から解けたように、我に返って顔を上げていた。やや上目に、未優の瞳が笑いかけてくる。
「それでおしまい?」
そんなもん? といっているように聞こえる。間違いなくそういう意図がある。
もともとあたしはキスするつもりはなかった。指を唇に当てるか、ほっぺたを引っ張るか、とにかくふざけてお茶を濁すつもりだった。
けど、気づけば口づけていた。
未優の瞳から放たれた不思議な力に引っ張られるように、体の自由を奪われた。
「ねえ、おしまいぃぃ~~~?」
目の前でにんまりと口角を上げる。なんて楽しそうな。
未優からすると、あたしはちゅっと唇をつけて離しただけ。完全にふざけるでもなく、ものすごい中途半端な感じになってしまった。
「みさきちゃんかわいらしいキスでちゅね~?」
頭をいい子いい子されて、カッと顔が熱くなる。
ここで恥ずかしくなって顔をうつむかせでもしたら、完全に負けだ。さらに喜ばせてしまう。
なら次こそ、大人なキスを重ねて⋯⋯いや無理。照れる。
この距離感で見つめ合ってるだけで恥ずかしすぎる。
「みさき終わり? じゃあ次、わたしのターンね」
「は、はい?」
あたしが間抜けな声を出すやいなや、わっと未優の体が覆いかぶさってきた。
あっという間にあたしの膝の上に乗る。長めのスカートが捲れて、白い膝があたしの太ももを挟んだ。逃げられない。なんか、この前も見たばっかりの光景。
「ち、ちょっと、未優……」
顔を上向けると、すっかり口角の上がった笑みが降ってくる。前回ので味をしめたのか、人の上に乗るのがお気に入りらしい。
「なぁに? おりてほしい? やめてほしい?」
聞かれて口ごもる。
前回ので味をしめたのか、あたしは膝の上に乗られるのがお気に入りらしい。
……じゃなくて。違うけど。いや違くはないかもだけど。
ここでやめないで、なんて言えるか。
「瑠佳ちゃんにこうやってこられて、『好き。チューしよっか?』なんて言われたら、断れないんじゃないの? 優柔不断なみさきちゃんは?」
「い、いや、瑠佳はこんなことしないし……」
「本当? 言い切れる?」
またも返事ができずにいると、未優はあたしの頬に手を触れた。
「じゃあ練習する?」
「は、はい?」
「襲われたとき用に。拒んでみて?」
言い終わると同時に、すばやく未優の顔が接近してきた。半開きになっていたあたしの唇を塞いでくる。
すぐに温かく柔らかいものが入ってくる。表面はざらっとして、側面はぬるっとしていた。
あたしはわけもわからず未優の手首を握って、息を吐き出した。
「や、やめて⋯⋯」
声を漏らすと、一度舌先が引き上げられた。あたしを見て未優が笑う。
「そんなふうに言われたら、もっとしたくなっちゃうなあ~」
未優はあたしの手首を掴み返すと、再び唇を押し当ててきた。
舌がこすれているうちに、ざらざらが粘膜に覆われてなめらかになってくる。
ちゅく、ちゅく、と唾液が押しつぶされて広がる音がする。
「は、ぁっ……」
待って、やめて、が声にならなかった。
きもちいい。やめないでほしい。もっとしたい。
そんな言葉で頭が埋まって、真っ白になっていく。目の前が見えなくなってくる。
心臓がドキドキして苦しくなって、たくさん呼吸をしないといけなくなる。
口と鼻、どっちで息をしてるのかわからなくなっていた。
あたしは舌の動きを感じながら、呼吸をするタイミングだけをはかっていた。
「はぁ、はっ……」
鼻先に呼気が当たる。荒い息遣いが聞こえる。
息が苦しいのはあたしだけじゃなかったみたいだ。未優だって呼吸を荒げている。
ずっと余裕そうに見えたけど、興奮してるんだ。
それに気づいて、あたしの心臓のドキドキはもっと早くなる。
舌でいじめながら、未優はあたしの手を握ってきた。ふつうの握り方じゃなくて、指の間に指を絡めるように。恋人同士がするみたいに。乱暴なようでいて、握り方は優しかった。
あたしの手は、夢中になってそれを握り返していた。もはや完全に抵抗する気がない。けどもう、なんだってよくなっていた。
「……あーあ、落とされちゃったね?」
気づけば未優の顔が少し上からあたしを見下ろしていた。
だんだんと目の焦点が合っていくにつれ、あたしは自分の置かれている状況を悟る。
「や、ち、ちがっ……」
なんとかそう口にして、慌てて握った手を離そうとした。けれど未優の指は獲物を捉えた動物のように絡みついて離れなかった。
「目がとろとろになっちゃったね? かわいい」
そういう自分の目だって、どこか遠くを見ているみたいにふわふわしてる。のぼせてるみたいに頬の血色がいい。
ていうかこれ、もう普通に襲われてる。これってフリじゃなかったの。たしか襲われるのを拒む練習って言ってたのに。
「もっとかわいいとこ、見せて?」
未優はあたしの耳に近づいて、ちょっと芝居がかったセリフを吐いた。
まるで自分でスイッチを入れたみたいだった。頬をかすかに伝わせながら、唇をあたしの正面に持ってくる。
「……ほら、してほしかったら、ちゃんとお願いして?」
ほとんど唇同士が触れる位置でささやいた。
もうあたしの知っている未優じゃなかった。今日見せたどの顔とも違う。
けどそんなことを思うのは初めてじゃない。彼女の中には未優が何人もいるんじゃないかと、ときおり錯覚することがある。
「……どうしてほしいのか、言って?」
命令の言葉は優しかったけど、簡単には抗えそうになかった。小さな声が不思議と脳の深いところにまで響いてくる。
今の未優にお願いしたら、どうなっちゃうんだろう。この未優はあたしをどうするつもりなのかわからない。
不安半分、期待半分。
拒むという選択肢はすでになかった。なんていったら彼女は喜んでくれるだろう、とか考えていた。
そのとき静けさをさくように、部屋の奥から音がした。
あたしが発したものでも、未優が発したものでもない。
未優ははっと我に返ったように顔を上げると、音のしたほうを振り向いた。
鳴ったのはお風呂場のアラートメロディだった。お風呂が湧いたらしい。
セットしたのはあたしじゃなくて未優なのに、自分で驚いている。自ら時限タイマーをつけるなんて、彼女もまだまだ詰めが甘いみたいだ。




