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「あ、あの、いきなりこんなこといって、引かれるかもだけど! でも、ちゃんと伝えたくて……」
あたしと未優は黙ったままだった。
顔を赤らめた瑠佳が、手を振りながら弁解するように続ける。
「それで今すぐどうこうしたいとか、そういうんじゃなくて! ただ言いたくなって……我慢できなくて! ごめん! 困るよね、急にこんな事言われても……」
その気持ちはわからないでもない。
好きな人に好きって言うの、脳内麻薬ドバドバでヤバい。
でも、今じゃない気がする。今やられるとこっちが困る。
「あの、みさきは覚えてないかもだけど! アタシ、前もみさきに助けられたことあって!」
「え?」
「入学してすぐぐらいのとき、トイレで! 覚えてないかな? アタシ、先輩にその髪すごいね~? みたいに言われてて……」
瑠佳はこの顔に見覚えは、とばかりに身を乗り出してくる。
あたしはワードを頼りに記憶をたどる。
入学してすぐ。トイレで。先輩。
高い位置で斜めに結んだ茶色い髪。
……あ、思い出した。
もしかして、あれのことかも。
その日、調子に乗って朝からアイスを食らったあたしは、学校についた頃に急にお腹イタイイタイになっていた。
校舎に入るなり、手近なトイレを探して突貫した。
そしたら三、四人ぐらいの女子の群れが、ドア入ってすぐのとこでごちゃごちゃやってた。
「てか一年生? かわいいねぇその髪、気合入ってるねー?」
「もしかして高校デビューってやつ? いいねえ楽しそうで」
数人で一人を囲んでニヤニヤしていた。
はっきり敵意を見せているわけではなかったが、嫌味ったらしい口ぶり。見た目生意気そうな新入生が目についたのかもしれない。
けれどそのときのあたしは、はっきりいってそんなのどうでもよかった。邪魔だからさっさとどいてほしかった。
「あ、ちょっとすいません、お取り込み中失礼」
「は? なに?」
間を抜けようとすると、なにか勘違いしたのか一人が行く手を塞ぐように立ちふさがった。
「一年? この子の友達?」
仲間か何かと思われたのかしらないけど、全然知らない。
一年とか二年とかどうでもいい。とにかくトイレに入りたい。
「あの、どいてくれます?」
「なに? なんか文句あるの?」
少し強い口調であたしを睨んできた。
そのとき一緒に、波が押し寄せてきた。さっきからお腹の中で暴れているこいつは、休んでは動いて、を繰り返している。
ここ数分はしばらくおとなしくなっていたと思ったら、ここにきて本気を出してきた。
「いいからどけっつってんだろ」
あたしはキレて睨み返してしまった。
だってもう今にも決壊しそうだったから。
まさに決死の形相だったと思う。
修羅が宿っていたかもしれない。まさに阿修羅すら凌駕する存在だった。
あたしの剣幕に押された相手は、「なにこいつ……」みたいな顔でいなくなった。
……と、いうようなことがあった。
てことは、あのとき嫌味を言われていた子が瑠佳だったのか。
気にもとめなかったし、そんな場合じゃなかった。あたしは速攻でトイレの個室に駆け込んだ。
「それから、ずっと気になってて、でも声かけにくくて……。勇気出して声かけたら、仲良くなれて……。彼氏より、みさきといるときのほうが楽しいし……」
もしかして、さっきのあたしに関係するかもしれない悩みって、それのこと?
初めての危機的状況に、あたしの頭はパンクしていた。
これって、なにをどうすればいい? どうやって切り抜ける? 切り抜けるとかあるの?
もし瑠佳がそういう感じだった場合、毅然とした態度で断る、と未優には言った。
ならば早めにごめんなさいしたほうが⋯⋯。
いやでもまだ話も途中っぽいし、ここで食い気味にごめんなさいしたらコントみたいになるし⋯⋯。
「わたし、みさきのこと好きだから」
はっ? とあたしは声の主を振り返る。
未優はあたしではなく、瑠佳を見ていた。あたしではなく、瑠佳に向かって言った。
「瑠佳ちゃんより、ずっと前から」
未優の瞳は、じっと瑠佳を見すえたまま揺るがない。まるでなにかを心に決めたような顔だった。
一瞬にして、場の空気が彼女のものになる。
傍目に映画のワンシーンを見ているようだった。配役をするなら、彼女は主演のヒロインか、もしくはその最大の敵役のどちらかだ。
間に挟まれたあたしはミスターポポみたいな顔で固まっていた。
きょろっと右を見て、左を見て、これぞリアルキョロ充。
このままじゃまずい、あたしもなんか言わないと。
でもなにを?
「やめて! 私のために争わないで!」「じゃそこ、試合決定で」
……ダメだ、絶対ここでふざけてはいけない。
あたしだって、ここぞというときには決める。
優柔不断とかヘタレとか言わせない。
「ごめん、瑠佳。あたしも、未優のこと……好き、だから……」
とうとう言った。
でも最初から答えは出ていた。悩むことなんてない。
瑠佳は視線を未優からあたしに向けた。
「うん、それはわかってるけど……。それで? アタシのことは?」
「えっと、その……ごめん」
「ごめんって? なに?」
瑠佳は首を傾げた。本当に心から不思議そうな顔だ。
それはわかってるって……え、どういうこと?
瑠佳って、もしかしてパワー系ヤンデレの人?
あたしと同類? 上位種? 首を縦に振るまで逃さない系?
あたしは追いつめられた無自覚浮気二股主人公のようにうろたえた。ここにきてやっと主役になれた。
「いっ、いやだから、あたしは、未優が好きだから……」
「それは言われなくても知ってるよ? そりゃそうでしょ」
「え? そりゃそうって……」
「アタシだって未優のこと好きだよ?」
「はえ?」
あたしは口半開きのアホ顔になった。
「なんか最初はちょっと壁あるかな〜って思ってたんだけど、今日はよかった。めっちゃ仲良くなった! 未優がナンパ追い払ったとき、かっこよかったし、惚れた。未優かわいいしおっぱい大きいし~……一緒にたくし上げコール楽しかった! もう同士だね!」
瑠佳は歯を見せて笑った。
まったく嘘っぽさを感じない、まさしく屈託ない笑みというやつだ。
「アタシ、クラスだとあんまり合う子いなくて。このままずっと一人だと、気まずいっていうか……。アタシってなんか、怖がられてるのかな? わかんないんだけど」
瑠佳はうつむいた。言葉尻も小さくなる。
クラスではたしかにちょっと浮いている感はある。見た目で。
「お姉ちゃんがこっちのほうがかわいいって言って、勝手にいじってくるから。でもこれ、みんなには評判悪いのかなって」
瑠佳は束ねた髪をいじる。
もしや諸悪の根源は姉なのか。妹を改造して喜んでいる? コスプレさせているぐらいだからいろいろ余罪がありそう。
「二人が仲いいのは知ってるけど……。アタシも二人とは合うし、いい感じだから……これから学校でも、仲良くしてほしいなって……」
学校でも仲良く……?
もしかして瑠佳の言う好きって、(意味深)のほうじゃないやつ?
ラブではなくライクってやつ?
「もうトモダチじゃんって、みさきも言ってくれたし……。ダメ……かな?」
瑠佳はおずおずと上目遣いにあたしを見た。
あたしはおそるおそる未優の顔色をうかがった。
口半開きのアホ顔は未優にもうつっていた。おそらくあたしと同じことを思ったらしい。
あたしと瑠佳の視線を受けて、慌てて我に返ったように声を上げた。
「う、うん! も、もちろんいいよ! トモダチでね! うん、トモダチ! わぁ、やったー! わたしも瑠佳ちゃんのこと好きー! これからも仲良くしようね~!」
必死に取り繕っているが、あの未優にしては焦っている。
さっきの主演女優ばりのオーラはどこへやら。
「やったぁ、うれし~~~!」
しかし瑠佳はまったく疑うような素振りもなく、席から飛び跳ねそうな勢いでガッツポーズする。
「ねえ、じゃあみさきは? 好きって未優だけ? アタシのことは?」
すっかり舞い上がって顔を近づけてくる。
未優があれだけやったのだから、ここであたしが下手うつわけにはいかない。
「おいおいそんなの聞くまでもないだろ~~? 瑠佳のこともちゅきちゅき大ちゅきに決まってるだろ! あたしは来る者拒まずだからさ、もうじゃんじゃん船乗って! 膝の上にも乗って!」
親指を立ててみせると、瑠佳はぱあっと笑顔になった。
ちょっと周りの目が気になるぐらいに歓喜する。
あたしがほっと胸をなでおろしていると、対面の未優と目があった。「やりすぎ」とでも言いたそうな、じとっとした目を向けてくる。
……うん、まあ、ちょっと口が過ぎたかな。




